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2005年4月30日 (土)

私の研究時間帯

私が研究のための時間を割くのは、主に早朝である。ちょっと朝早くおきて、1時間ほどの時間を、読書や論文の執筆に当てることにしている。

「当てることにしている」というと、「毎日欠かさず」早朝の時間を利用しているような印象を与えるかもしれないが、恥ずかしながら、目が覚めてみるともう大学へ行く時間…ということも少なくないのが悩みのタネである。

それにしても、なぜ早朝の時間か-というと、やはりそれが一番、研究に適した時間だと実感しているからである。

言うまでもなく、基本的に日中は授業の時間帯である。授業自体が必ずしも毎日というわけではないが、授業には当然、「準備」というものが必要だから、しかるべき準備をしようとすると、おのずから、一定の時間を割くことになる。

それでは、日中の仕事が終わったあとの、夜の時間帯はどうかというと、実は20代の頃は、若さに任せてといおうか、真夜中に頑張って研究していたこともある。しかし、それでは、体調が長続きしないのだ。いつか必ず、どこかで風邪をひいて、数日間寝込むことになるのであった。

それに比べると、早朝の時間を使った場合の心のゆとりといったら、どうだろう!少なくとも私自身の体験からすると、心のゆとりは夜の時間の比ではない。それに、早朝の時間を利用できたときの、その日いちにちの有効活用度といったら!一日がいい意味で長く感じられるので(あれ?まだ午前10時か…といった具合に)、その意味でも心にゆとりが持てることになる。その心のゆとりが、体調のよさにもつながるようである。

それに何よりも、早朝の時間を利用して研究を少しでも進めることができたときの効用は、日中の時間に心おきなく、授業等の仕事に専念できるということだ。さもないと、「研究のための時間を授業にとられている…」という不平不満がムクムクと湧き起こってきて、これがつもりつもると、またまたこれが「体調不良→休講」という破目になる。そしてそのツケを、結局は「補講」という形で払わされることになるのだ。

というわけで、できるだけ早寝早起きで、早朝の時間を研究に使うことにしている。いまの私の目標は、それを「毎日欠かさず」着実に実行することである…(この「毎日、欠かさず、着実に」というのが、案外、本気でやろうとすると、結構カンタンではないのデス)。

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2005年4月29日 (金)

私の研究テーマ

私の研究テーマは、20世紀を代表する自由主義思想家の一人F・A・ハイエク(1899-1992)の政治・社会思想である。

ハイエクを研究し始めて、もう何年経つだろうか。23歳に大学院生になってからのことだから、もうかれこれ、まる12年経ったことになる。いつの間にか、ずいぶん時間が経ってしまったものである。

その間、6本の論文を学術雑誌に発表し、また著書のレベルでは、次の共著にハイエクの政治思想について書く機会をいただいたので、これまでの業績としては、計6本の論文と1冊の共著があることになる:

富沢克・古賀敬太編著『二十世紀の政治思想家たち-新しい秩序像を求めて-』(ミネルヴァ書房、2002年6月刊)

それにしても、もうずいぶん時間が経ったし、色々と試行錯誤を繰り返したあげくに、ようやく、私なりの観点から、ハイエクの政治・社会思想の全体像について、ゆくゆくは1冊の単著にすることを目指すべく、まとめる構想ができたように思うので、現在、大学の教育の仕事の合間を縫って、博士論文を執筆中である。

その冒頭には、まだ草稿の段階ではあるが、次のようなことを書いた。少々長くなるが、引用させていただきたい:

二十一世紀にハイエクを論じる理由

本稿は、自生的秩序論の名で知られてきたFA・ハイエクの政治思想について、「もはや社会主義なき二十一世紀という時代において、われわれはハイエクの議論をどのように受け止めるべきか」という観点から、原理的考察を加えようとするものである。

二十世紀がすぐれて〝政治の世紀〟の様相を呈していたことは、もはや周知の事柄に属するだろう。社会主義であれ、ファシズムであれ、あるいは新自由主義(New Liberalism)であれ、それらはいずれも、政府権力の強化によって政治と経済の力関係を大きく変えた。自由放任主義が全盛だった十九世紀とは異なり、二十世紀に支配的となった政治潮流はいずれも古典的自由主義と袂を分かち、経済に対する政治のコントロールを強化することによって、社会を意識的に改革しようとしたのである。急進的か穏健的かのちがいはあれ、それらはいずれも〝政治による救済〟を目指したという点において、まさに共通していたといえよう。

このような二十世紀の基本的動向に異を唱えたのが、古典的自由主義の復権を目指すネオ・リベラリズム(Neo-Liberalism)であった。二十世紀最後の四半世紀になって西側先進諸国の福祉国家がスタグフレーションと膨大な財政赤字に悩まされるようになり、また一九八九年以降になって社会主義陣営が次々と崩壊していくなかで、政府権力におしなべて不信の目を向ける一方で市場原理への全面的信頼を説くネオ・リベラリズムが、古典的自由主義の再来という形で、にわかに脚光を浴び始めたのである。

そのような中でハイエクは、ケインズ主義全盛の時代に全くといっていいほど忘却の彼方に置かれてきたのとは一転して、一九七四年にはノーベル経済学賞を受賞し、米国レーガン政権や英国サッチャー政権にも大きな影響を与えるなど、その注目度は飛躍的に増大した。「人間の理性の限界」と「社会における知識の分散」こそが、人間と社会の現実であるという醒めた認識から出発するハイエクの議論は、社会主義の中央計画経済や新自由主義の福祉国家に対する有力な批判の武器として分権的で多元的な市場システムの概念を提示し、二十世紀最後の四半世紀における市場原理復権の潮流の中核的地位を占めることになった。政府権力による意識的な社会改革に大きな信頼が寄せられてきた時代状況のなかで、「人間の理性の限界」と「社会における知識の分散」を諄々と説き明かすハイエクの議論は、中央計画経済であれ福祉国家であれ、およそ中央集権的な経済介入の有効性に大きな疑問符を投げかけ、分権的な市場原理復権の潮流を新たに巻き起こす重要な役割を果たしてきたのである。一九七〇年代から八〇年代にかけて、ハイエクが俄然、注目を集めるようになったのは、二十世紀における〝政治による救済〟の潮流に対抗する有力な批判の武器を、それが提供してくれたからであった。

その際、理論的に大きなインパクトをもったのが、いうまでもなく〝自生的秩序〟の概念である。各自の目的に従った自由な行動を個々人に認め、政治権力の発動をできるだけ抑制しつつも、それが無秩序状態に陥ることなく、自生的に秩序が形成されることが可能であり、そのような自生的秩序が実際に市場システムとして存在していることを説くハイエクの議論は、盲目的な市場の動きに対して政府が合理的に介入することが秩序の安定に寄与するという当時の常識を覆す画期的な議論であった。

しかしながら、ハイエクの議論を、政府権力の不完全性を指摘するとともに権力肥大の危険性を警戒し、社会の自生的性格を強調する議論としてのみ受け止めることは、もはや社会主義なき二十一世紀のグローバル時代、すなわち国家が国民経済の管理運営能力を大幅に低下させ、多国籍企業などグローバル経済の新しい主役たちを前にして〝国家の退場〟すら指摘されているグローバリゼーションの時代において、非常に危険な帰結をもたらす恐れがあるように思われてならない。というのも、ハイエクの自生的市場秩序論をつぶさに検討するならば、それは決して、市場の無条件な礼讃に終始する単純なものではないことが分かるからである。むしろハイエクの議論は、後述するように、市場の論理が人々の自然感情にそぐわない冷酷非情な側面を孕んでいることを率直に認めるものであり、それを承知の上で覚悟して市場を受け入れることを迫る非常に厳しいメッセージをわれわれに突きつけるものなのである。

たしかにハイエクは、〝政治の世紀〟たる二十世紀において、国家権力の全能性に対する信仰を打ち砕くことによって〝政治による救済〟の試みを幻滅へと追い込み、市場への信頼を取り戻そうとする議論を展開した。しかしながら、社会主義批判の重要な論客という側面のみならず、自由市場経済の擁護者という側面にも注目するとき、そのハイエクの議論は、人々にいわば〝経済による救済〟を約束するものでは決してないことが分かるだろう。むしろそれは、希少性と不確実性に取り囲まれた〝苦境〟としての経済の世界に呻吟する人間の現実を率直に認めようとするものであり、〝政治による救済〟を夢想することなく、あくまでもその厳しい現実に踏みとどまるよう、人々に強迫する議論だといっても過言ではないのである。

しかしながら、それと同時にハイエクは、一般民衆がそのような厳しい経済の現実に到底堪えられるものではないことも十分承知していた。だからこそハイエクは、一方で二十世紀に全盛を極めたラディカルな〝政治による救済〟は明確に退けつつも、他方において、きわめてささやかではあるけれども、一定の救済策を民衆に施す任務――必要最低限の生活レベルを人々に一律に保障する社会的安全網の整備という任務――を、政治権力の果たすべき重要な役割として明確に位置づけていたのである。しかも、ハイエクが政治権力の必要性を認めていたのは、自生的市場秩序の働きを外部から補完する一定の社会保障制度の整備のためという理由にとどまるものではなかった。もしもそれだけだったとすれば、ハイエクが政治権力の必要性を認めていたという事実は、その自生的市場秩序論との間でそれほど深刻な緊張関係をもたずに済んだことだろう。

ところが、実際はそれだけにとどまらないもっと本質的な役割を、ハイエクは政治権力に認めていた。すなわち、元来は政治権力に頼る必要性を効果的に抑制しうる自生的な社会秩序原理として市場を描き出したにもかかわらず、晩年になると、ハイエクはその市場秩序それ自体を維持するためにこそ、政治権力の必要性を力説するに至ったのである。それは、後に詳述するように、市場の論理があまりにも人々の自然感情に反するものであることをハイエクが率直に認めていたがゆえに、市場に対する反発を権力的に抑えるために他ならなかった。しかも、この「市場に対する反発」についての強烈な問題意識は、これも後に詳述するように、市場秩序の世界規模での自生的な普及・伝播を説くハイエクの進化論的合理主義の議論にも、実は通底するものだったのである。ハイエクの議論のそのような側面を看過して市場秩序の自生性を強調する側面のみを取り出し、社会主義や福祉国家が全盛期だったという当時の時代背景を抜きにして、市場原理の復権を極端なまでに唱え続けることは、ハイエクの全体像を過度に単純化するものに他ならない。そのような議論は、いわゆる〝市場原理主義〟のそしりを免れないだろう。

本稿は、以上のような問題関心を抱きつつ、ハイエクの政治思想的業績の第一歩たる『隷従への道』から、壮年期の大著『自由の条件』を経て、晩年の三部作『法・立法・自由』、さらには最晩年の『致命的な思い上がり』にいたるまでの彼の議論を跡づけることによって、「ハイエクにおける自生的市場秩序と政治権力の関係とはいかなるものであったか」という観点から、ハイエクの政治思想について原理的考察を加えようとするものである。

この博士論文の仮のタイトルは、「FA・ハイエクの政治思想――自生的市場秩序論・進化論的合理主義・エリート支配――」というものだ。これはまだ仮題であり、ものになるかどうかは、書いてみないと分からないが、今さらあれこれ思い悩んでいても仕方ないので、ひたすら前進あるのみで、勇気を持って執筆を進めていこうと思う。

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2005年4月28日 (木)

研究日記を始めます

勤務先の大学で、私の授業を受けている学生から感想や要望を受け付けるために、学内サイトでのホームページを立ち上げたのがキッカケで、ブログ上で、「研究日記」なるものをつけ始めることにした。

私は基本的には、今の仕事が好きだ。大学で学ぼうと授業を受ける学生を前にしていると、彼らの期待を裏切ってはならないと思うし、学生たちが授業の内容を理解し、試験で出来のいい答案を出してくれると、こちらはやはりすごく嬉しくなる。また、やはり学生たちにとっては、「先生」というのは大きな関心の対象であって、よきにつけ悪しきにつけ、学生たちの間でのうわさのタネになるから、「あの先生はいい先生だ」という評判を聞くと、やはりとてもウレシイ。それに何よりもまず、先生の教えることはやはり学生にとっては非常に大きな重みを持ってくるから、無責任なことは教えられないと、自然と気も引き締まってくる。

しかし、大学の教員に求められているのは、教育だけではない。やはりもう一つ、研究成果を挙げていくことも大いに要求されている。これから研究業績を挙げていこうとする若手教員にとっては、それが自分の将来に関わってくるから、なおさらのことである。

ところが他方で、若手教員には、研究以外の大学の仕事が、若手であるがゆえに、たくさん回ってくる-という状況も避けることが出来ない。そこで、昨今の若手の大学教員は、教育と研究の板ばさみに、多かれ少なかれ、悩むことになるわけだ。

しかしながら、よくよく考えてみれば、よい教育を行なっていこうと思えば、よい研究成果を積み重ねていくことが必要だろうし、また、なぜ研究を行うのかといえば、やはりそれはその成果を社会に還元し、月並みな言い方になるが、“世のため、人のため”になるためだろう。だとすると、教育と研究、あるいは研究と教育を両立させていくことは、必要不可欠なわけだ。いや、そもそも本当は、研究と教育、教育と研究とは、元来別々のものが「両立」していくというのではなく、そもそもの初めから表裏一体、車の両輪なのかもしれないのだ。

そんなわけで、この「研究日記」では、そのような状況におかれるなかで、教育はもちろん熱心に行なっていきつつも、それと同時に、いかに研究実績を挙げていくか、という課題に向き合おうとしている一人の若手教員が、研究を進めていこうとするなかで感じるさまざまな思いを、率直に語っていこうと思う。

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