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2005年5月10日 (火)

自然体で書くということ

この研究日記をつけ始めて、私の中でちょっとした変化が起きはじめた。それは、いわば“自然体で”文章を書けるようになってきた――ということだ。

これまで私は、文章を書くにあたっては、いま思うと、かなり「構えていた」ように思う。要するに意気込みすぎていたのだ。「力んでいた」と言ってもいい。

それが災いして、現在執筆中の博士論文も、正直言うと、なかなか筆が進まなかった(あるいは「キーボード打ち」が進まなかったと言うべきか?)

ところが、この『研究日記』で文章を書くときには、気楽に書いている。そうすると不思議にも、スラスラスラッ――と書けていくのだ。

とはいえ、もちろん、ブログ上に公開するのであるから、推敲はする。公開するのは、ワープロソフトのWordで下書きをし、何度か読み直して、「これでよし!」と思ってからのことだ。

しかしながら、その下書きの文章を書く手が、格段にスムーズになったのである。ほどよい気楽さが、かえって幸いしたのだろうと思う。

書き始める前から、書こうとする内容について、あれこれと細部にわたって完璧に構想が立ってから書くのではない。もちろん、アウトラインとしては構想を立てているが、いざ書き始めるときには、書こうとする内容が、“漠然と”思い浮かんでいるだけだ。

ところが、書き進めていくうちに、不思議や不思議、書きたいことが芋づる式に、スルスル、ズルズルと出てくるのである。

そうしてひととおり書いてしまった後で読み直してみると、もちろん修正・加筆を要する箇所も出てくる。しかし全体としては、意外にも、結構ちゃんと書けているのである…!

この体験が何よりもありがたいのは、これが博士論文の執筆にも大いにプラスに働きつつあることだ。最初から変に取り越し苦労することなく、「とにかく書き始めてみよう!」と、ほどよく気楽な気持ちで、キーボードに向かうことができるようになってきたのである。

これは本当に、思わぬ収穫であった。この調子で、この『研究日記』も、それからもちろん博士論文も、勇気を持って、大いに喜んで書き進めていこうと思う。

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