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2005年7月13日 (水)

国際テロとグローバリゼーションをめぐって(1)

77日にロンドンで起こった同時多発テロがまたもや世界を震撼させた。慄然たる思いを抱いたのは私だけではあるまい。

なぜ彼らはあのような手段に訴えるのか?なぜそこまで豊かな先進国を目の敵にするのか?――2001911日以来、この問いが私の頭をことあるごとに駆けめぐる。

しかし、「宗教的信念にもとづくテロリズム」は私の専門分野ではないので、この分野に下手に踏み込むわけにはいかない。気になって仕方がないのでいくつか文献を集めて読んでみるのだが、下手な寄り道を許さない、きわめて内容豊富かつ複雑な研究分野なので、私の読書はどうしても断片的にならざるを得ないのだ。研究者としては、根拠の薄い主張を無責任に行なうわけにはいかないので、この分野に関する専門的な発言は差し控えねばなるまい。

とはいえ、イスラム原理主義のテロリストたちがグローバリゼーションを「アメリカのイスラム支配のための道具」とみなしていることは間違いないであろう(cf. Jessica Stern, Terror in the Name of God: Why Religious Militants Kill, HarperCollins Publishers, 2003, pp. 40-41)。

彼らの主張がどこまで正しいかを詳細に吟味する能力は現在の筆者にはないが、現在のグローバリゼーションの有様には彼らの怨念の対象となっても仕方のない側面があることは否定できないように思う。

そして、その現在のグローバリゼーションの有様は、ハイエクの唱えていた “extended order” の概念とも異なるものである。

そこで今回は、アメリカ主導の現在のグローバリゼーションについて、筆者がこれまで読んできたことを思い起こしつつ、自分の心の中を整理するためにも、ここで表現してみたいと思う。

大野健一著『途上国のグローバリゼーション――自立的発展は可能か』(東洋経済新報社、2000年)によると、1990年代に入ると「後発国は既存の国際システムへの速やかな統合――アメリカ型の価値・制度・ルールの受容――を要求されている。通常それは、改革、自由化、対外開放、収斂、国際標準の採択といった形をとる。こうした圧力は過去にもあったが、今日ほど性急かつ包括的なものではなかった」(4頁)。この書物における大野健一氏の問題意識は、「この誘われたあるいは強制された国際統合の中で、産業も政策も制度もまだまだ未熟な国――とりわけ最貧国や体制移行国――はこの過程をうまく管理することができず、その結果、かなり無理な対応が行なわれつつあるのではなかろうか。すべての国がそうだとはいわないが、対外開放にともなうショックで困難に陥る後発国はかなりの数にのぼるのではないだろうか。自立的な経済発展と国際統合の要請をいかに両立させるかが、開発政策の最大の課題になりつつあるように思われる」というものであった(同書3頁)。

それにしても、なぜ1990年代以来、後発国はこのような性急かつ包括的な国際統合の圧力にさらされることになったのだろうか?

〔続く〕

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