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2005年7月 4日 (月)

スティグリッツとバグワティのグローバリゼーション論(2)

まず両者に共通するのが、「グローバリゼーションは本来、世界にとってよいものだ」という認識である。その点で、グローバリゼーションを本来的に悪とみなす過激な反対論とは明確に一線を画している。

両者の違いは、その基本認識を踏まえた上で、スティグリッツ氏の方が「その本来よいはずのグローバリゼーションを世界にとって不幸なものへと歪めてしまったのは誰か」という問題意識から、その犯人をIMFと米国財務省とみなして、徹底的に糾弾することに主眼を置いているのに対して、バグワティ氏の方は、「グローバリゼーションは人間の顔を持っていない」とする過激な反グローバリゼーション運動に対して、「グローバリゼーションは人間の顔を持っている」とし、グローバリゼーション本来のよさを強調しつつ、反グローバリゼーション運動がグローバリゼーションのせいだとしているさまざまな悪現象-貧困、児童労働、女性の地位低下、民主主義の危機、文化の侵食、環境の危機等-は、本来のあるべきグローバリゼーションのせいではない(要するにそれらは“濡れ衣”だというわけである)とする主張の展開に主眼を置いている-という点である。

またバグワティ氏(以下バ氏と略記)の書物の方があとに書かれたという事情から、氏の『擁護する』にはスティグリッツ氏(以下ス氏と略記)の『正体』を意識し、批判している論述の箇所が(私の見つけた範囲では)二つある。それは第一に、貿易の自由化により輸入品と競合する途上国内の産業での失業を懸念するス氏の議論に対して、バ氏は解雇された労働者が失業したとしても貿易自由化で拡大するであろう輸出セクターで新たに職を得る者もいるから、全体としての失業率は変わらないと反論している箇所であり(『擁護する』387頁)、第二に、途上国に融資を行なおうとする国際機関が融資先の途上国に対して課そうとする貸付条件(コンディショナリティ)をス氏が途上国の抵抗を許さない強制的なものとしているのに対して、バ氏の方は、被融資国たる途上国はもっとしたたかであり、そう簡単に融資主たる国際機関の言うことに従いはしないものだと論じている点である(392-396頁)。

さらに、ス氏を直接批判したものではないが、バ氏は「国際機関や富裕国が自由化の推進を謳いながら、その実、裏で自国産業の保護政策を維持していることを、偽善、ダブルスタンダードだ」とする議論に対して、「貧困国の保護関税は平均して富裕国のそれよりもずっと高い」と反論している(『擁護する』21頁)。そして、貧困国が保護貿易主義の愚をここ10年の間に悟り、経済を開放し始めたことを評価している(同354頁)。

以上のような違いが両者には存在しているのだが、しかし、ある重要な点で、この両者の論旨は一致していた。それは、地球規模での短期資本移動を厳しく批判している点である。〔続く〕

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