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2005年7月14日 (木)

国際テロとグローバリゼーションをめぐって(2)

金子勝『反グローバリズム――市場改革の戦略的思考』(岩波書店、1999年)によると、「グローバリゼーションの本質は、市場が世界規模に広がってボーダレス化するといった表面的現象にあるのではない。冷戦終了後も冷戦型のイデオロギーの残像に寄りかかりながら、なおアメリカが強引に覇権国であり続けようとする『無理』が、今日のグローバリゼーションをもたらしているのである」(27頁)。

金子氏に言わせれば、「すでに製造業と貿易収支という点から見れば、アメリカの経済力は中期的に衰退しており、覇権国の地位にとどまる必然性を失っている」(同書21頁)。そのような状況に追い込まれる中でアメリカが1990年代にとった対外経済政策が、金融自由化要求に他ならなかった。巨額の貿易赤字をファイナンスするためには多額の資金がアメリカに流入してこなければならない。そのためにアメリカがとっているのが高金利政策である。その高金利でアメリカに資金を呼び込みつつ、その資金の運用先を海外に見出して投資収益をあげ、膨大な対外債務を何とか支えていくためにこそ、アメリカは貿易黒字国に「市場開放」を迫って金融自由化要求を突きつけた。それがIMFや世界銀行などの国際機関を通じて新興工業国や発展途上国にも及んでいったが、それが国際的な短期資本移動をもたらし、それらの国に破滅的なバブル経済をもたらしたのである(同書21-26頁)。

このような不安定な金融自由化は、自由貿易論者の現代における代表格のバグワティ氏でさえそれを非難の対象としていたことを考えると、このアメリカの強引な金融自由化要求は、国際政治経済秩序を極めて不安定なものとしてしまっていると言って間違いないだろうと思われる。

ここで思い出されるのが、ロバート・ギルピンの「覇権理論」、すなわちアメリカがその圧倒的な軍事力・経済力によって国際公共財を提供していたことが自由貿易体制を安定的に維持してきた――という議論である。ついでながら、冷戦時代に日本が「軽武装の通商国家」を目指す吉田茂の路線を池田内閣時に定着させ、軍事的な考慮から解放される中で、ライセンス料を払いさえすればアメリカからの技術導入も寛大に許され、アメリカに集中豪雨的な輸出をしながらひたすら経済発展に邁進できたのは、冷戦期のアメリカがギルピンの言う覇権国としての役割を果たしてきたからだということは、いまさら言うまでもあるまい。

要するに、冷戦期に西側陣営で自由貿易体制が形成され、維持されてきたのは、覇権国のアメリカがその圧倒的な国力を背景に、自由貿易体制を維持するという強固な政治的意志がそこに働いていたからであった。その突出した経済力ゆえに、アメリカ市場を西側同盟諸国の輸出先として開放したとしても、アメリカ経済は依然として優位性を保ってきたのである。

ハイエクが唱えていたことは、市場競争が自国に有利に働こうがそうでなかろうが、市場競争のルールに厳格に従い、政治的手段に訴えることなく、市場競争のゲームにおいてフェア・プレーに徹することであった。

しかしながら、アメリカにせよ、その他の先進国にせよ、自由市場競争の論理に首尾一貫して従う用意は、依然できていないようである(もちろんわが国も)。さもなければ、工業製品や金融市場においては門戸開放を後進国に要求しつつ、農産物については自国の農業を保護するという二重基準を示すはずはない。このような二重基準はハイエクの最も嫌うところであった。たとえバグワティ氏が指摘するように途上国の方も高い保護関税を敷いているとはいえ、自由貿易をめぐる先進国の二重基準は決して許されるものではないだろう。

とはいえ、このことを逆に言えば、ハイエクの主張にもかかわらず、政治的な考慮というものは、首尾一貫した自由市場の論理に屈しないだけの根深さをもっているのだということなのかもしれない。

しかしながら、アメリカをはじめとした先進国のそのような態度は、途上国・後発国の怒りを買うだけであろう。それのみが昨今の国際テロの原因とはいえないにせよ(というのも、たとえば中東諸国の腐敗した不公正な国内統治体制も、自国民を絶望に追いやりテロに走らせるにあたって、大いに責任があるからである)、少なくともそれは国際テロを誘発する一つの大きな原因と言えるのではなかろうか?

〔続く〕

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コメント

 アメリカ以外の国は、アメリカよりも自由なんだろうか?グローバルスタンダードに忠実なんだろうか?アメリカの不実をなじるだけで、アメリカ以外の国の短所に目をつむる主張には、説得力がかけていないか。
 とりわけ、アメリカと腐敗した統治体制のアラブ諸国だけを非難して、テロの犯行グループに寛大な主張には、とても納得できない。
 あらためていうまでもないが、テロは犯罪だ。政策の矯正を犯罪でおぎなう行為は、容認できない。金子なにがしにしろ、あなたにしろ、発言の動機は現状への不満ではないのか?不満のはけ口として、自民党政権やアメリカに反感をいだいているだけのはなしだろう。

投稿: 罵愚 | 2005年7月14日 (木) 15時08分

罵愚さま、コメントをありがとうございました。

私の説明不足で誤解を招いているようなので、ここで補足させていただきます。

テロという手段が決して許されるものではないことは言うまでもありません。それはあまりにも当然のことだと考えていましたので、書きませんでしたが、やはりその旨は書き添えておくべきでしたね。ご指摘に感謝いたします。

アメリカを初めとした先進諸国のテロに対する断固たる姿勢も当然だと思います。

私の議論の主旨は、それは当然の前提としつつも、他方でテロリズム対策として強硬一辺倒の姿勢だけでは、それのみでは、かえってテロリストたちの憎しみをさらにかきたて、いわば火に油を注ぐ結果になることを危惧する-ということです。

私はむしろ、アメリカのリーダーシップに期待しているのです。ギルピンの覇権理論を引き合いに出したのは、国際公共財の提供にアメリカが果たしてきた役割を評価する立場からでありました。

私の議論が「アメリカの不実をなじるだけ」と受け取られてしまったのは、国際政治におけるアメリカのリーダーシップに期待するあまりに、アメリカに対して厳しい論調になってしまったからだと思います。

「発言の動機は現状への不満ではないのか?不満のはけ口として、自民党政権やアメリカに反感をいだいているだけのはなしだろう」とのことですが、私は別に現在の自民党政権にもアメリカにも「反感」は全く抱いておりません。

「現状への不満」が私の現在の生活上の境遇のことを指しているとしたら、むしろ私は現在の生活に満足していますし、収入のレベルとしても幸いなことに生活に困るようなことはありませんので、「不満のはけ口」として論じたわけではありません。

いずれにしても、私の立場がテロを「容認」するものでは決してないことは申し添えさせていただきます。コメントをありがとうございました。

投稿: 山中 | 2005年7月15日 (金) 07時09分

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