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2005年7月21日 (木)

博士論文の執筆再開

今朝は久しぶりに、博士論文の執筆を再開した。5月30日以来だから、実に1ヶ月半ぶりのことである。

しばらく執筆の手を休めざるを得なかったのは、ひとつは授業に忙しかったためだが、それだけではない。第3章までの本文を書き終えたところで、どうしても手を休めざるを得なかった。いよいよ山場に入ってくるので、それまでのように授業をしつつ、その合間の時間をこまめに利用するというやり方ではなく、夏休みに入ってから、じっくりと取り組みたかったからである。

ちなみに博士論文の章構成の構想は、次のとおりである〔( )内は本文の字数〕:

はじめに 21世紀にハイエクを論ずる理由(7,032)

第1章 全体主義批判-“市場さもなくば隷従”(13,035)

第2章 自由論-その二元的構造(35,532)

第3章 文化的進化論-市場秩序の“意図せざる出現”とその意味転換(22,702)

第4章 分配的正義批判と議会制改革論-ハイエク的エリートの統治術

第5章 ハイエクの現代的意味-現代のグローバリゼーションはハイエク的理念の実現か?

ついでながら、論文のタイトルを(より正確に言うとサブタイトルを)4月29日に書いたのとは少し変えて、「F・A・ハイエクの政治思想-自生的市場秩序論における政治権力の問題」とするかもしれない。まだ確定的ではないが…。

上記の各章タイトルも、まだ仮のものである。

それはともあれ、第3章までの本文の字数を合計すると、78,301字=およそ195枚(400字詰め原稿用紙)である。これに残りの二つの章の本文と、全章の注を合わせると…400枚ぐらいにはなるだろうか?(なってくれるだろうか?)

少し心配しているのは、論文の字数がそれ相応のものになってくれるかどうか、字数が足りなくならないか、ということだ。しかし、そんなことはとにかく書いてみなければ分からないので、余計な取り越し苦労というものかもしれない。

この『研究日記』で最近、現代の世界情勢について試しに論じてみたのは、上記の第5章を意識してのことだった。

第4章では、いよいよハイエクにおける政治権力の問題を真正面から取り上げることになる。おそらくこの博士論文における最も重要な章になるだろう。

そう考えると、「はたしてうまく書けるだろうか?まだ勉強が足りないのではないか?」といった不安が頭をよぎる。

たしかに一方では、まだ文献を集める必要はある。そのために昨年度中に申請した、勤務大学内での学術振興基金の利用が、幸いにも今年度は認められているので、その基金はぜひとも活用し、文献を読まなければならない。

しかしながら、それと同時に、基本的なアイディアがすでに頭の中である程度出来上がっているのも事実である。したがって、少なくともその基本的アイディアの部分に関しては、これ以上あれこれ取り越し苦労して躊躇するよりも、思い切って書き始めてみるべきなのだ。

まだ夏休み前の大学の仕事が完全に一段落したわけではない。実はまだ今日も2コマの補講が残っているし(結局、学期中に風邪を引いて、5月下旬のことだったが、休講してしまった…)、その後には試験の実施・採点が控えている。これがなかなか労力の要る作業だ。神経を使う作業でもある。

とはいえ、もう週に8コマの授業を毎週毎週こなさなければならない、ということはなくなった。夏休みは目前である。

そんなわけで、今日からまた博士論文の執筆を再開することにした。書いてみなければ分からないが、とにかく前に進んで行こうと思う。

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