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2005年7月27日 (水)

開発主義の視点を導入する試みを始めます

昨日7月26日付の記事「宗教テロとグローバリゼーションをめぐって(2)」で、私は次のように書いた:

米国をはじめとした先進国が、工業製品の輸入を途上国に迫る一方で、一次産品を途上国から輸入することには難色を示すとすれば、バグワティ氏の言うようにたとえ途上国自身も先進国からの輸入品に高い保護関税をかけているとしても、途上国が先進国に対して不公平感を抱き、また世銀やIMFWTOによって進められるグローバリゼーションに「新たな植民地システム」のにおいを嗅ぎ取ったとしても、無理はないと思われるのである。繰り返しになるが、たとえその結果、彼らの採用するテロという手段が絶対に許されないものだとしても。

この文章のポイントは、先進国が途上国に対して保護関税を敷いていることを批判している点にあるが、それと同時に、途上国も先進国に対して保護関税を敷いているという事実も私は認めている。

だとすれば、ここでもしも自由貿易原則を単純・一律に適用するとすれば、先進国が保護関税を撤廃するとともに、途上国もそうすべし、ということになるだろう。

しかしながら、実を言うと、先進国の場合と途上国の場合、あるいは先発国の場合と後発国の場合とでは、分けて議論すべきだろうと私は思っている。

その場合に決定的に重要になるのは、“開発主義”の視点である。

言うまでもなく、この“開発主義”という概念は、わが国の経験を踏まえつつ故・村上泰亮氏が『反古典の政治経済学』(上下全二巻、中央公論社、1992年)において理論化したものであり、昨今の性急かつ強引な国際統合・グローバリゼーションを考える上でも必読の文献だと思われる。

筆者にとって非常に重大な問題は、ハイエクの政治経済学を研究対象としている筆者が、村上の開発主義の政治経済学による問題提起をどのように受け止めるべきか、ということである(以下では、故人については敬称をつけないという慣例にならって、たんに村上と呼ぶことにする)。

このことはずいぶん以前から気になっていたことなので、ハマスのリーダーの一人シャナブという人物から出たグローバリゼーション批判の二つの側面-(1)政治・経済的側面と(2)文化・倫理的側面-のうち、昨日7月26日より始めた連載「宗教テロとグローバリゼーション」において(2)文化・倫理的側面についての議論に入る前に、(1)政治・経済的側面との関連で、しばらくはこの開発主義の問題を考えていきたいと思う。

ここでいくつかの点について、予備的な覚書として、注意すべき点をいくつかあげておこう:

①まず注意すべきは、“開発主義”は、私有財産制に基づく市場競争を原則とするものであり、断じて計画経済ではないということである。政府介入そのものには企業の成長動機を強める力はなく、むしろ開発主義における政府の役割は、過当競争の抑制、あるいは適度な競争の維持にこそあるということを、村上は明言している。

②また、この開発主義の根幹となる産業政策において、補助金、輸入制限、関税などの保護主義的措置は、その中核部分ではなく、時と処によっては有効となる二次的手段に過ぎない。

③さらに、開発主義は、当該国が明らかにその後発性を脱した段階に達したときには、政府による重点産業分野の指定を解除し、惰性的な産官共生関係を断ち切ることが要請されている。

(以上の点については、『反古典の政治経済学』下巻87-102頁を参照)

以上のような点において、開発主義は案外、ハイエク的な自由市場原理とそんなには違わないと言えるのである。

とはいえ、後発国が産業化を目指して離陸しようとする段階において、政府がいかなる役割を果たすべきか、またその段階で必要な再分配政策とは何か-という点において、ハイエクと村上とでは決定的に主張を異にしていることも確かである。

そこで、この機会に村上の開発主義の議論を改めて読み直し、ハイエクとの比較をこの『研究日記』で試みてみたいと思う。

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コメント

私が村上の開発主義の議論を看過できない理由をもうひとつ付け加えておくべきかもしれない。

それは、村上の『反古典の政治経済学』において、ハイエクへの言及が実は少なくないことである。否、むしろ、その言及は多いといってもいいかもしれない。

それもあって、村上の議論は以前から大変気になっていたので、これを機会に、腰を据えて、村上の議論をジックリと消化していき、その成果をこの『研究日記』にも表現してみたいと思う次第である。

山中 優

投稿: 山中 | 2005年7月27日 (水) 17時16分

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