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2005年8月 8日 (月)

ハイエクと村上泰亮(2):その共通点について

前回述べたように、ナショナリズムに裏付けられた熾烈な国際経済競争が展開されている場合、後進国にとっても先進国にとっても、開発主義が現実的な選択肢とならざるを得ないであろう。その点において、ハイエクと村上とは見解を異にしていた。というのも、ハイエクには、ナショナリズムを容認する姿勢はなかったからである。

しかしながら、先進国の場合は、開発主義ばかりに頼っているわけにもいかないだろう。というのも、開発主義のそもそもの大前提は「技術革新が応用型に変わり予測可能性が大きくなる」ということであるが、技術革新が一段落した段階において先進国がさらに成長していくためには、まさに創造型の技術革新を達成する必要があるのであり、言うまでもなくそれは予測不可能性、あるいは少なくとも不確実性を多分に伴うことになるからである。

ここにおいて求められるのは、政府による重点指定を受けた有望産業がかなり高い確実性で成長することが見込まれる開発主義システムではなく、万人に自由を認めるとともに、無数の試行錯誤の末に生じるであろう少数の成功の陰に多くの失敗が伴うことを覚悟したハイエク型の政治経済システムに他ならない。「進歩は、その性質上、計画することのできないものである。特定の問題を解くことをめざし、すでにその解答の手がかりをえているような特殊な分野では、進歩を計画するといってもおそらくさしつかえないであろう。しかし、もしわれわれが今目に見えている目標に努力を限定し、かつそのあいだに新しい問題が生じないとすれば、まもなく努力は不用になるだろう。われわれをより賢明な人間にするものは、これまで知らなかったことを知ることである」とハイエクは述べている(『ハイエク全集5 自由の条件』春秋社、64頁)。先進国に求められるのは、このようなハイエク的精神により創造型の技術革新を行なうことなのである。

「先進国には開発主義からの脱却が要請される」ということは、実は他ならぬ村上自身の力説するところでもあった。というのも、先進国と後進国との間で巨大な経済格差が存在することは歴然とした事実であるが、その原因はかつて従属論の説いたような、先進国による国際的階級支配などではなく、むしろ端的に技術の格差に他ならないがゆえに、国際的な南北格差が縮小する見込みを途上国に与えて世界システムを安定化させるためには、先進国がその既知の技術を途上国に対して伝播させるとともに、みずからは新しい技術革新の創造に邁進しなければならないからである。

村上に言わせれば、そのために要請されるのは、既知の技術についての特許権の緩和に他ならない。技術格差に起因する巨大な南北格差が解消・縮小されるという見込みを後進国に与えることに失敗すれば、今後の国際政治経済システムは極度に不安定化することになるだろう。それを防ぐためには、後進国には開発主義を公認し、既存の技術の応用による経済成長を気前よく認めるとともに(そこには環境保全と両立した生産技術の提供も含まれる)、先進国みずからは開発主義的志向から脱却し、創造型の技術革新を目指すべく、不確実性をみずから引き受けるという姿勢が、先進国に要求されることになるのである。このことは、自然環境を顧慮しない途上国の産業化による地球の破滅を防ぐために環境保全と両立した技術供与を行なうという観点からも、必要不可欠となるだろう。


こうして、
21世紀の国際政治経済システムの形成において、先進国には以上のような非常に重大な課題が課せられることになるのである。このことを、村上は次のような「多相的な経済自由主義のルールの私案」を提案することによって、力説している:

Ⅰ、産業先進国は、経済的自由主義を採用し、開発主義を捨てるべきである。

Ⅱ、後発国には開発主義を公認し、特に技術の移転を円滑に進めなければならない。その際の鍵は特許権の緩和である。

Ⅲ、各国の市場制度にはある程度の個性を認めなければならない。

(『反古典の政治経済学』下巻、309頁)

このような「多相的な経済自由主義のルールの私案」によって、村上が実現を期待していたのは、「先進国の経済自由主義と後発国の開発主義がバランスしながら発展していく」という“雁行形態”が国際的に展開されることであった。村上によると、20世紀末に独自の特徴は「新技術を消化しうる国が著しく増えたことである。技術の普及速度の速いために、技術的突破を達成しうる国、あるいは直ちにそれに適応して吸収できる国が〔百年前に比べて〕数の上ではるかに大きくなっている。一国だけ(18世紀末のイギリス)、あるいは少数国(19世紀末のイギリス・ドイツ・アメリカなど)だけが技術的に突出するのではなく、多数国が『雁行的』(赤松要)に発展するという形が現れている」(同書下巻、345頁)。

ただし、「先頭にある国々の技術が停滞すれば、編隊は昔ながらの横一線の競争の形に押しつぶされてしまって、先頭国は競争の脅威を感じて保護主義に走るだろう」。世界経済が“雁行形態”の発展を可能にするためには、「編隊の先頭国が、既に提案した『新しい多相的な経済自由主義のルール』にしたがって技術を譲り渡し、更に新しい技術を創造していくという役割」を果たすことが必要不可欠となるのである(同346頁)。

このような“雁行形態”による世界経済の発展の重要性、そしてそのために先頭を走る国が創造性を発揮することの重要性は、実はハイエクも全く同様に力説していた。「西欧の人々がほかの諸国より富裕さにおいてはるかに進んでいるという事実は、一つには、より大きな資本蓄積の結果であるとはいえ、主としてそれは知識のより効率的な利用の結果である。疑うまでもなく、より貧しい、低開発諸国が、西欧の現在の水準に到達する見通しは、これほどまで西欧が前進していなかった時よりはるかによい。…西欧諸国が豊かであるのは、非常にすぐれた技術的知識をもっているからだけでなく、豊かであるためにすぐれた技術的知識をもっているからでもある。そして、先導諸国にとって、獲得するのに多くの費用を要した知識を無償で贈与することは、後続諸国が非常に少ない費用で同じ水準に達することを可能にする」とハイエクは述べていたのである(『ハイエク全集5 自由の条件』72頁)。

そうだとすると、ハイエクと村上の議論は、互いに共通する部分が意外にも大きいと言えるのではないだろうか? たしかにハイエクは、村上の開発主義の議論において認められていたような、産業政策と分配平等化政策といった政府の積極的役割を認める議論を村上のように真正面から展開することはなかった。しかしハイエクの議論は、主に自由主義陣営の先進諸国に向けられていたことに我々は注意すべきであろう。ハイエクの議論の主旨は、世界経済が雁行的形態によって進歩・発展していくために、先頭を走る国が創造性を発揮し続けることの重要性を強調することにこそあったのである。その場合、ハイエクは、その後に続く後発国がたとえ彼の言う“自由の条件”を欠いており、むしろ村上の言う開発主義を採用したとしても、それを積極的に提唱するとまではもちろんいかなかったとしても、少なくともそれを容認するだけの懐の深さを持っていたのではなかろうか? というのも、ハイエクは、次のようにも述べていたからである:

たしかに、ある国が先に立っているかぎり、ほかのすべての諸国はあとを追うことができるたとえその場合自生的進歩の条件が後続諸国に欠けていることがあるとしても。自由を持たない国、あるいは集団でさえ、自由の果実から多くの利益を得ることができることは、自由の重要性がよく理解されない一つの理由である。世界のほとんどの地域にとって、文明の前進は昔から伝来してきた事柄であり、また革新のほとんどはよそのどこかで生まれるとしても、現代の通信手段をもってすれば、どの国も極端におくれなくてすむのである。ソ連あるいは日本は、アメリカの技術の模倣を試みながら、なんとひさしく生きてきたことであろう。だれかほかの人が新知識の大部分を提供し、また実験の大部分を提供するかぎり、このすべての知識を計画的に応用して、一定集団の大部分の成員に同時にまたは同程度に恩恵を与えることさえできるかもしれない。(『ハイエク全集5 自由の条件』72-73頁。下線は山中)

筆者が特に着目したいのは、ハイエクがここで日本に言及していることである。『自由の条件』は1960年に出版された本だから、ハイエクがここで言及していたのは、第二次大戦後、1950年代の日本のことだと思われるが、その戦後日本は、まさに村上の言う開発主義の典型例だった。だとするならば、ハイエクが村上流の開発主義を後発国については少なくとも容認してはいたとみなしても、あながち不当ではないと思われるのである。


村上によると、開発主義と経済自由主義の共存による、国際経済の雁行形態的な発展のための鍵を握るのは、この他ならぬ日本の対応である。というのも、日本こそが、今や先進国として、開発主義の典型とみなされてきたその様態から、経済的自由主義に姿勢を切り替えねばならず、しかもそれと同時に、後発国に対する態度としては開発主義を容認しなければならないからである(『反古典』下巻310頁)。

だとするならば、21世紀の日本は、村上とハイエクの議論の相違点とともに、その共通点にも大いに着目し、みずからはハイエク型の自由主義経済へと脱皮しつつも、性急かつ強引な国際統合の圧力から後発国を守り、技術援助による後発国の開発主義的経済発展を助けるという、きわめて枢要な位置におかれていると言うべきではなかろうか?

いまわが国の国政は郵政民営化の是非をめぐって混乱のさなかにあり、今日の参院本会議で法案が可決されるかどうかの瀬戸際にあるようだが、ハイエクと村上の議論に謙虚に耳を傾けるとき、わが国の向かうべき道は火を見るより明らかだろう。わが国はもっとみずからの果たすべき国際的な責任に目を開くべきときだと思われてならないのである。

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コメント

久しぶりです。ここで記された自由主義と開発主義の議論とよく似たもので、自由主義覇権国家の英米に対する後発国の日独のフリー・ライディングというものをよく耳にしました。ところで、ここで挙げた開発主義は、重商主義あるいは新重商主義とはどのように異なるのでしょうか?また、村上泰亮の他に内外で開発主義を唱えている論客はいるのですか?

投稿: 舎 亜歴 | 2005年8月 9日 (火) 23時40分

舎さん、コメントありがとうございました。

>ここで記された自由主義と開発主義の議論とよく似たもので、自由主義覇権国家の英米に対する後発国の日独のフリー・ライディングというものをよく耳にしました。

なるほど。たしかに“フリー・ライディング”と言えますね、技術の模倣ですから…。

>ここで挙げた開発主義は、重商主義あるいは新重商主義とはどのように異なるのでしょうか?

重商主義あるいは新重商主義については、『反古典』に次のような記述があります:

重商主義は単に貿易黒字をため込む愚かしい政策ではない。フリードリヒ・リストは「誤って重商主義と呼ばれている重工主義Industrialismus」といったことがあるが、重商主義はその理論構成に多くの未熟さを抱えていたとはいえ、一国の工業育成を目指す(ある条件下では)有効な政策であり、貿易収支黒字の追求はそのための最も分かりやすい(しかし実は限界のある)指標であり、手段だったのである。現代の文脈を頭においてこのことを鋭く指摘したのは、たとえばあのJ・M・ケインズであった。かつての重商主義と、しばしば「新重商主義」と呼ばれる現在のNIESの輸出指向型政策との類似性は今更指摘するまでもあるまい(『反古典』下巻244頁)。

したがって、開発主義と、重商主義あるいは新重商主義とは、一国の工業化・産業化を目指す政策という点で類似性を持っていると同時に、相違点としては、村上の言う開発主義の方がより洗練されたものであるということになるのだろうと思います。

その場合、どういう点で洗練されているのかが問題ですが、より詳しい議論は『反古典』上巻第6章「イギリスという古典例の再解剖」でなされているのですが、この章については、実はその結論のみを押さえただけであとは飛ばしてしまったので、まだ詳しくは読んでいないのですが、ただ、そこには次のように書かれていました:

重商主義はアダム・スミス以来経済学者には概して評判がわるい。批判の焦点は、重商主義が(国内生産力の増大という真の目標を忘れて)貿易黒字の拡大という二次的な目標にこだわりすぎたというところに普通おかれている。しかし改めて重商主義者の主張を検討してみると、単なる貿易黒字主義、単に特権商人を利するためだけの政策とみなすのは単純すぎる(上巻335頁)。

ですので、要するに貿易黒字主義にこだわりすぎたのが重商主義だったが、村上の言う開発主義はそうではない、ということになるのだろうと思います。

>村上泰亮の他に内外で開発主義を唱えている論客はいるのですか?

綿密に調べたわけではありませんが、少なくとも、わが国の開発経済学では大いに重要視されてきていると思います。想像するに、東アジア諸国でも大変注目されてきたのではないでしょうか?

わが国の例で言うと、たとえば、大野健一著『市場移行戦略:新経済体制の創造と日本の知的支援』(有斐閣、1996年)の第10章「ハードな国家と開発ナショナリズム」のなかの「3 後発国に必要な『開発主義』」(272-275頁)においても、村上の開発主義が肯定的に取り上げられています。

ちなみに、この著の「はじめに」には、次のような記述がありました:

私がIMFエコノミストの職を辞し、帰国して教鞭をとるようになったのは1991年のことである。アメリカのキャンパスや国際機関で暮らしてきた私にとって、わが国の開発経済学にはじめて本格的に触れることは新鮮で強烈な知的体験であった(『市場移行戦略』5頁)。

この記述から類推できることは、少なくともアメリカでは開発主義を唱えている論客はまずいないだろうということです。ただし、国際機関については、少なくとも世界銀行は開発主義にも注目していると言えるだろうと思います(大野健一『途上国のグローバリゼーション』東洋経済新報社、2000年、169-170頁では、世界銀行の『世界開発報告』1997年版における議論は、少なくとも一般論のレベルでは、わが国の開発援助界との見解の相違はほとんどなくなっている、と論じられています)。


投稿: 山中 | 2005年8月10日 (水) 11時06分

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