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2005年8月29日 (月)

ハイエク研究の世界における私の位置(3・完)

(c)本稿の立場

本稿は、従来のハイエクの政治・社会思想研究において取り上げられてきた上記の二つの主要テーマ、すなわち①自由主義擁護論としての哲学的妥当性、②自生的秩序論と議会制改革論との関係という二つのテーマのうち、前者については先行研究の結論に従っているが、後者については、従来の研究とはやや異なって、「ハイエクにおいて、自生的秩序論と議会制改革論とは、必ずしも互いに矛盾しない」と解釈するものである。


そもそも、秩序の自生的出現、すなわち「放っておいても自ずから秩序が出現してくる(従って政府権力は不要である)」という議論を行なうためには、人間本性の市場秩序への適合性にかんして、次の二つのうちのいずれかの立場に立たなければならないだろう。

(一)強い適合説――人間は本来、市場秩序に適合的であるから、政府権力によって妨げられさえしなかったならば、自ずから市場はすみやかに形成されてくるはずだという考え方


(二)弱い適合説――人間は元来、市場秩序に不適合であるから、一朝一夕に市場秩
序が形成されることはできないが、社会過程のなかで市場に適合的な人間類型へと自ずから徐々に矯正されることは可能なため、いずれは市場が自生的に出現してくることになるという考え方

この二つのうち、ハイエクの立場は(二)の考え方であって、人間本性がもともと市場に適合的だと考えていたわけでは決してなかった。彼はロック、ヒューム、スミスといったイギリスの哲学者たちの人間観について、「すこし誇張になるかもしれないが、イギリスの哲学者たちによれば、人は生来、怠惰で、また無精で、先見の明にくらく、しかも、浪費的で、環境の力におされてのみ経済的に行動できるようになり、あるいは手段をおのれの目的に適合させることを注意深く学ぶのである」(ハイエク全集五、九〇-九一頁)と述べ、自らもその「イギリス的伝統」の潮流に棹さすものであると主張していたのである。したがって、ハイエク自身も強調していたように、彼の議論はいわゆる「経済人」(はじめから市場に適合的な合理的存在としての人間)という想定に依拠するものでは決してない。


しかしながら、それと同時にハイエクは、「人間の比較的原始的で残忍な本能が、人間の設計にも統制にも服さない制度によって手なずけられ、おさえられた」(ハイエク全集五、八九頁)と述べ、その人間本性が徐々に市場に適合的なものへと手なずけられるのだということも力説していた。すなわち、ハイエクによれば、「自由は自然の状態ではなく、文明の作品(
artifact)ではあるけれども、それは設計から生まれたのではなかった」(ハイエク全集五、八一頁。ただし訳は若干改めた)というわけである。


従来のハイエク研究では、「元来は市場に不適合な人間ではあるが、それが社会過程のなかで適合的な人間類型へと自ずから矯正される」という点について、ハイエクは終始楽観的であったと解釈されることが多かったように思われる。だからこそ、自生的秩序論を唱える一方で、政府権力による人為的な市場維持政策たる議会制改革論を唱えたことが、ハイエクにおける理論的矛盾と解釈されてきたのである。たしかに『自由の条件』までの壮年期のハイエクならば、われわれはそのように解釈することができるだろう。


しかしながら、筆者の見るところ、人間本性に対するハイエクの見解は、『自由の条件』以降になると、もっと悲観的・懐疑的なものへと変化していったように思われる。たしかに彼は「市場に適合的な人間類型が自ずから出現してくることは全く不可能だ」とまでは考えていなかっただろう。しかし、ハイエクの議論をつぶさに検討するとき、少なくとも晩年のハイエクに見られたのは、「市場秩序はいずれ必ず自生的に出現してくるだろう」という主張だったわけでは決してない。むしろそこでの〝自生的〟という言葉の意味は、後述するように、市場秩序は人間本来の自然感情からはあまりにもかけ離れたものであるがゆえに、それは望まれて出現することはできず、むしろ「意図せざる結果として、一種の歴史の偶然として、現れる
ほかなかった」というものだったのである。出現することは全く不可能ではないにせよ、それは幸運な偶然に恵まれることによって初めて可能だったというわけである。

しかもハイエクは、市場秩序の出現後においてすら、「人間は依然として市場に対して反発しがちだ」という人間観を持っていた。だとするならば、幸運にも偶然に出現できたものの、依然として人々の自然感情からの反発に晒されつづける市場秩序を守り抜くためには、意識的・人為的に対策を講じる必要が当然出てこざるを得ないだろう。その意味で、ハイエクの議会制改革論は、彼の自生的秩序論と矛盾していたわけでは決してなかったのである。


ここで、上記の(一)(二)につづけて、人間本性の市場への適合性に関して、さらに次の二つの立場を想定してみよう。

(三)弱い不適合説――人間本性は市場秩序に対してかなり不適合であり、何らかの歴史的偶然によって市場秩序が幸いにも自生的に出現することは不可能ではないにせよ、依然として人間本性は不適合であり続けるため、市場秩序維持のためには政府権力の働きが必要不可欠である。


(四)強い不適合説――人間本性はそもそも市場秩序に対して全く不適合であり、
また徐々にそれが自然に矯正されることも不可能であって、権力的に抑えられなければ無秩序状態が生じるだけであるから、社会秩序の形成・維持のためには強い政府権力が絶対に不可欠である。

このような二つの不適合説を想定してみるならば、確かにハイエクは(四)のような、いわばホッブズ的な立場を採るに至ったわけでは決してない。自生的秩序論を終生保持しようとしたハイエクが、そのような「強い不適合説」を採ることはありえなかったと言うべきだろう。


しかしながら、筆者の見るところ、ハイエクは晩年になるに従って、(三)の「弱い不適合説」に傾斜していき、それに伴って、その自生的秩序論における〝自生的〟という言葉の意味が、いつのまにか変化していったと言うことはできるだろう。だとするならば、晩年の彼が議会制改革論をも唱えることになったということは、少なくとも彼自身の論理と心理においては、その自生的秩序論と決して矛盾するものではなかった、と我々は考えることができると思われるのである。


本稿は、ハイエクの政治・社会思想研究の主要テーマの一つたる「自生的秩序論と議会制改革論との関係」について、人間本性の市場秩序への適合性をめぐるハイエクの見解、すなわち、いわば〝反市場的な自然感情〟についてのハイエクの見解に重要な手がかりを求めつつ、ハイエクの議論における「自生的秩序論と議会制改革論との関係」を、従来の研究とは異なって、むしろ統一的に解釈しようとする試みである。

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ハイエク研究の世界における私の位置(2)

(b)近年のハイエク研究の潮流②――自生的秩序論と議会制改革論の関係について


また、自由主義の哲学的正当性をめぐる規範的な議論のみならず、現実を説明する記述的・価値中立的な社会理論としてハイエクが提示した〝自生的秩序〟の概念それ自体についても、これまで多くの批判的な研究がなされてきた。彼はその自生的秩序論において、市場秩序が政府権力に頼らずとも自生的に形成・維持され、また社会進化の過程で他の社会にも自生的に広まっていくことを主張しているにもかかわらず、それと同時に、他方でハイエクは市場秩序を維持するために政府権力が必要不可欠であることも認めているが、それは明らかに矛盾しているではないかというわけである。


もっとも、ここから導き出される結論は、論者の政治的立場が自由主義か否かによって異なるものとなっている。一方で、自由主義擁護の立場からのハイエク批判は、自由主義社会の維持のためには、自生的秩序論と自由主義論とを互いに切り離して、すなわち自生的秩序論への過度のこだわりを捨てて、たとえ全面的な社会改革を目指すものではないとしても、社会の動きを大まかに条件づけるものとしては政府権力が必要なことを真正面から認めるべきだと結論する。というのも、放っておけば、自由主義社会は却って非自由主義社会へと変質してしまう恐れがあるからである。このようなハイエク批判を行うのは主に公共選択学派に属する論者であり、代表的な例としては、現代アメリカの公共選択学派の一人である
V・ヴァンバーグの名前を挙げることができるだろう。


他方で、自由主義批判の立場からのハイエク批判は、自生的秩序の概念それ自体の社会理論上の有効性は認めつつも、それを自由主義擁護のためにのみ限定することをやめるべきだと主張する。このような議論を展開したのは、サッチャリズムの批判的分析で有名な現代イギリスの政治学者
A・ギャンブルである。ハイエクが自生的秩序の存在を明らかにするという画期的な業績を挙げたにもかかわらず、それを自由主義社会にのみ適用しようとする無理を彼が犯したのは、ギャンブルに言わせれば、ハイエクの目が自由主義のイデオロギーによって曇らされていたからである。ギャンブルによれば、分権的な自生的秩序の概念は、自由主義論とは切り離して、むしろ中央集権的な手段に頼ることをもはや許されない社会主義の再生のためにこそ活用されるべきなのである。ギャンブルにとって、そこにこそ社会主義者がハイエクから学び取るべき教訓があるのであった。


このように、論者が自由主義者か否かによって結論に違いが生じるとはいえ、そのハイエク批判の立脚点は共通している。すなわち、自生的秩序論を説くと同時に政府権力による市場秩序維持の必要性をも認めているのは明らかに矛盾しており、自生的秩序論と自由主義論とは互いに切り離して考えるべきであるという認識自体は、自生的秩序論についてのハイエク批判に共通していたのである

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ハイエク研究の世界における私の位置(1)

タイトルの変更や章構成の整理に加えて、「はじめに」の内容として、本欄4月29日の記事掲載文に加えて、「ハイエク研究の世界における本稿の位置」という内容の文も書けたので、ここに掲載することにしたい(4月29日掲載文にも若干の変更を加えているが、主旨に大きな変更はないので、それについては新たに掲載することはここでは控えたい):

ハイエク研究の世界における本稿の位置

(a)近年のハイエク研究の潮流①――自由主義擁護の思想体系として

ハイエクが二十世紀最後の四半世紀になって俄かに注目を集めるようになるにつれて、アカデミズムの世界においても、ハイエク研究の機運が大いに高まったものである。しかしながら、自由主義擁護の思想体系として、ハイエクが好意的な評価を受け続けてきたわけではない。むしろ、ハイエクの経済学についてのみならず、その政治・社会思想にかんしても研究が進められていくなかで、いくつかの重大なハイエク批判が登場してきた。それらの批判的な諸研究によると、ハイエクの自由主義擁護の試みは、その壮大な政治・社会思想体系にもかかわらず、結局のところ失敗に終わったというのである。


たとえば、単なる紹介の域を超えた一九八〇年代以降における本格的なハイエク研究の草分け的存在であり、かつてその思想体系におけるカント主義の認識論的基礎をその著『ハイエクの自由論』(第一版一九八四年)で慧眼にも指摘した
J・グレイは、「古典的自由主義の現代的な再生を目指した偉大な試み」という、大変好意的だった当初のハイエク評価を一転させた。すでにその兆しは同書第二版(一九八六年)に現れていたが、第三版(一九九八年)になると、グレイはハイエクを真正面から批判するに至っている。すなわち、第三版に付された追記「ハイエクと古典的自由主義の解体」において、彼はハイエクの諸業績の意義を社会主義的中央計画経済を論破した点にのみ認め、その自由主義擁護の試み自体は惨めな失敗に終わっているとして、ハイエクを完全に見捨てることになったのである。


もっとも、このような
J・グレイのあまりにも急激な豹変ぶりは、ハイエク研究の世界では大変評判が悪い。たとえば『ハイエクの挑戦――FA・ハイエクの知的伝記』と題された大著を最近出版したB・コルドウェルは、その書物のなかで、一九九〇年代以降のグレイの議論を「ハイエクを戯画化したものにすぎない」として一蹴している。実際、ハイエクについての一九九〇年代以降のグレイの言説は、一九八〇年代における緻密なハイエク研究とは打って変わって、かなり粗雑な外在的批判となってしまっていることは否定できないだろう。おそらくその原因は、ハイエクのみならず、およそ自由主義一般の普遍的な政治哲学としての可能性それ自体を、啓蒙主義の「西洋中心主義」の末裔として否定するという思想的立場をグレイ自身が採るに至ったために、もはやハイエクの思想体系を内在的に検討する動機を失ったためだと思われる。したがって、(そのグレイ自身の思想的立場の妥当性如何の問題はさておき)そのハイエクに関する最近の批判的言説については、その草分け的存在としてのかつての名声に幻惑されて、それを鵜呑みにすることは避けるべきだろう。


しかしながら、このようなグレイの例はあまりにも極端であるとはいえ、ハイエク研究の世界におけるハイエク評価の変遷ぶりを少なくとも反映しているとは言えるかもしれない。というのも、その他のもっと内在的な諸研究においても、ハイエクが脚光を浴び始めた当初における肯定的な評価とはもはや一線を画し、ハイエクの思想体系において提示された自由主義擁護の哲学的根拠には重大な矛盾が孕まれていることを指摘する批判的な論調が登場してきたからである。そのような重要なハイエク批判を政治・社会思想の分野で行なったのは、主としてオックスフォードに集まってきた研究者たちであったが、彼らは、グレイのようにハイエクのみならずおよそ自由主義の政治哲学一般を完全に見捨てるとまではいかないにしても、ヒューム的な経験主義とカント的な合理主義という異質の二つの要素の間での哲学的矛盾をハイエクは解決できていないがゆえに、ハイエクだけでは自由主義を擁護していくには不充分だという結論を下している。そして、彼らの次なる問題関心は、ハイエクに代わる自由主義論を新たに模索することに向けられていったのである。

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博士論文執筆状況(8月末現在)

お盆休みをはさんで、かなりの日数がたってしまったが、その間に論文執筆を進めることができた。その「進めることができた」というのは、量的にというよりは、むしろ質的にである。

まず博士論文のタイトルであるが、次のようなものに変更することにした:

F・A・ハイエクの政治思想--自生的秩序に潜む〝反市場的な自然感情〟

次に章構成であるが、当初は全部で五つの章にするつもりだったが、思い切って整理して、四つの章にすることにした。具体的には次のとおりであるが、第四章についてはまだ仮題である:

はじめに--本稿の目的

第一章 全体主義批判--〝市場さもなくば隷従〟

第二章 自由主義論--その二元的構造

第三章 文化的進化論と議会制改革論--市場秩序を脅かす反市場的な自然感情

第四章 ハイエクの現代的意味--グローバリズムはハイエクからの帰結か?

当初は議会制改革論について、ハイエクの分配的正義批判とセットにして(つまり『法・立法・自由』の第二巻と第三巻の議論をセットにして)、独立の章を設けて、第四章として論じるつもりだったが、いろいろと試行錯誤した末に、思い切って整理し、第三章のなかの一つの節に組み入れたのが、大きな変更点である。

そんなわけで、第三章までをおおよそ書き上げることができた。あとは、私のハイエク解釈を現代の世界情勢分析にどのように応用するか、である。それが第四章になる。

いよいよ佳境に入ってきた感があるが、ここまできたら、もうあとはゴールに向かって突き進むのみである。頑張るべし!!

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2005年8月 8日 (月)

ハイエクと村上泰亮(2):その共通点について

前回述べたように、ナショナリズムに裏付けられた熾烈な国際経済競争が展開されている場合、後進国にとっても先進国にとっても、開発主義が現実的な選択肢とならざるを得ないであろう。その点において、ハイエクと村上とは見解を異にしていた。というのも、ハイエクには、ナショナリズムを容認する姿勢はなかったからである。

しかしながら、先進国の場合は、開発主義ばかりに頼っているわけにもいかないだろう。というのも、開発主義のそもそもの大前提は「技術革新が応用型に変わり予測可能性が大きくなる」ということであるが、技術革新が一段落した段階において先進国がさらに成長していくためには、まさに創造型の技術革新を達成する必要があるのであり、言うまでもなくそれは予測不可能性、あるいは少なくとも不確実性を多分に伴うことになるからである。

ここにおいて求められるのは、政府による重点指定を受けた有望産業がかなり高い確実性で成長することが見込まれる開発主義システムではなく、万人に自由を認めるとともに、無数の試行錯誤の末に生じるであろう少数の成功の陰に多くの失敗が伴うことを覚悟したハイエク型の政治経済システムに他ならない。「進歩は、その性質上、計画することのできないものである。特定の問題を解くことをめざし、すでにその解答の手がかりをえているような特殊な分野では、進歩を計画するといってもおそらくさしつかえないであろう。しかし、もしわれわれが今目に見えている目標に努力を限定し、かつそのあいだに新しい問題が生じないとすれば、まもなく努力は不用になるだろう。われわれをより賢明な人間にするものは、これまで知らなかったことを知ることである」とハイエクは述べている(『ハイエク全集5 自由の条件』春秋社、64頁)。先進国に求められるのは、このようなハイエク的精神により創造型の技術革新を行なうことなのである。

「先進国には開発主義からの脱却が要請される」ということは、実は他ならぬ村上自身の力説するところでもあった。というのも、先進国と後進国との間で巨大な経済格差が存在することは歴然とした事実であるが、その原因はかつて従属論の説いたような、先進国による国際的階級支配などではなく、むしろ端的に技術の格差に他ならないがゆえに、国際的な南北格差が縮小する見込みを途上国に与えて世界システムを安定化させるためには、先進国がその既知の技術を途上国に対して伝播させるとともに、みずからは新しい技術革新の創造に邁進しなければならないからである。

村上に言わせれば、そのために要請されるのは、既知の技術についての特許権の緩和に他ならない。技術格差に起因する巨大な南北格差が解消・縮小されるという見込みを後進国に与えることに失敗すれば、今後の国際政治経済システムは極度に不安定化することになるだろう。それを防ぐためには、後進国には開発主義を公認し、既存の技術の応用による経済成長を気前よく認めるとともに(そこには環境保全と両立した生産技術の提供も含まれる)、先進国みずからは開発主義的志向から脱却し、創造型の技術革新を目指すべく、不確実性をみずから引き受けるという姿勢が、先進国に要求されることになるのである。このことは、自然環境を顧慮しない途上国の産業化による地球の破滅を防ぐために環境保全と両立した技術供与を行なうという観点からも、必要不可欠となるだろう。


こうして、
21世紀の国際政治経済システムの形成において、先進国には以上のような非常に重大な課題が課せられることになるのである。このことを、村上は次のような「多相的な経済自由主義のルールの私案」を提案することによって、力説している:

Ⅰ、産業先進国は、経済的自由主義を採用し、開発主義を捨てるべきである。

Ⅱ、後発国には開発主義を公認し、特に技術の移転を円滑に進めなければならない。その際の鍵は特許権の緩和である。

Ⅲ、各国の市場制度にはある程度の個性を認めなければならない。

(『反古典の政治経済学』下巻、309頁)

このような「多相的な経済自由主義のルールの私案」によって、村上が実現を期待していたのは、「先進国の経済自由主義と後発国の開発主義がバランスしながら発展していく」という“雁行形態”が国際的に展開されることであった。村上によると、20世紀末に独自の特徴は「新技術を消化しうる国が著しく増えたことである。技術の普及速度の速いために、技術的突破を達成しうる国、あるいは直ちにそれに適応して吸収できる国が〔百年前に比べて〕数の上ではるかに大きくなっている。一国だけ(18世紀末のイギリス)、あるいは少数国(19世紀末のイギリス・ドイツ・アメリカなど)だけが技術的に突出するのではなく、多数国が『雁行的』(赤松要)に発展するという形が現れている」(同書下巻、345頁)。

ただし、「先頭にある国々の技術が停滞すれば、編隊は昔ながらの横一線の競争の形に押しつぶされてしまって、先頭国は競争の脅威を感じて保護主義に走るだろう」。世界経済が“雁行形態”の発展を可能にするためには、「編隊の先頭国が、既に提案した『新しい多相的な経済自由主義のルール』にしたがって技術を譲り渡し、更に新しい技術を創造していくという役割」を果たすことが必要不可欠となるのである(同346頁)。

このような“雁行形態”による世界経済の発展の重要性、そしてそのために先頭を走る国が創造性を発揮することの重要性は、実はハイエクも全く同様に力説していた。「西欧の人々がほかの諸国より富裕さにおいてはるかに進んでいるという事実は、一つには、より大きな資本蓄積の結果であるとはいえ、主としてそれは知識のより効率的な利用の結果である。疑うまでもなく、より貧しい、低開発諸国が、西欧の現在の水準に到達する見通しは、これほどまで西欧が前進していなかった時よりはるかによい。…西欧諸国が豊かであるのは、非常にすぐれた技術的知識をもっているからだけでなく、豊かであるためにすぐれた技術的知識をもっているからでもある。そして、先導諸国にとって、獲得するのに多くの費用を要した知識を無償で贈与することは、後続諸国が非常に少ない費用で同じ水準に達することを可能にする」とハイエクは述べていたのである(『ハイエク全集5 自由の条件』72頁)。

そうだとすると、ハイエクと村上の議論は、互いに共通する部分が意外にも大きいと言えるのではないだろうか? たしかにハイエクは、村上の開発主義の議論において認められていたような、産業政策と分配平等化政策といった政府の積極的役割を認める議論を村上のように真正面から展開することはなかった。しかしハイエクの議論は、主に自由主義陣営の先進諸国に向けられていたことに我々は注意すべきであろう。ハイエクの議論の主旨は、世界経済が雁行的形態によって進歩・発展していくために、先頭を走る国が創造性を発揮し続けることの重要性を強調することにこそあったのである。その場合、ハイエクは、その後に続く後発国がたとえ彼の言う“自由の条件”を欠いており、むしろ村上の言う開発主義を採用したとしても、それを積極的に提唱するとまではもちろんいかなかったとしても、少なくともそれを容認するだけの懐の深さを持っていたのではなかろうか? というのも、ハイエクは、次のようにも述べていたからである:

たしかに、ある国が先に立っているかぎり、ほかのすべての諸国はあとを追うことができるたとえその場合自生的進歩の条件が後続諸国に欠けていることがあるとしても。自由を持たない国、あるいは集団でさえ、自由の果実から多くの利益を得ることができることは、自由の重要性がよく理解されない一つの理由である。世界のほとんどの地域にとって、文明の前進は昔から伝来してきた事柄であり、また革新のほとんどはよそのどこかで生まれるとしても、現代の通信手段をもってすれば、どの国も極端におくれなくてすむのである。ソ連あるいは日本は、アメリカの技術の模倣を試みながら、なんとひさしく生きてきたことであろう。だれかほかの人が新知識の大部分を提供し、また実験の大部分を提供するかぎり、このすべての知識を計画的に応用して、一定集団の大部分の成員に同時にまたは同程度に恩恵を与えることさえできるかもしれない。(『ハイエク全集5 自由の条件』72-73頁。下線は山中)

筆者が特に着目したいのは、ハイエクがここで日本に言及していることである。『自由の条件』は1960年に出版された本だから、ハイエクがここで言及していたのは、第二次大戦後、1950年代の日本のことだと思われるが、その戦後日本は、まさに村上の言う開発主義の典型例だった。だとするならば、ハイエクが村上流の開発主義を後発国については少なくとも容認してはいたとみなしても、あながち不当ではないと思われるのである。


村上によると、開発主義と経済自由主義の共存による、国際経済の雁行形態的な発展のための鍵を握るのは、この他ならぬ日本の対応である。というのも、日本こそが、今や先進国として、開発主義の典型とみなされてきたその様態から、経済的自由主義に姿勢を切り替えねばならず、しかもそれと同時に、後発国に対する態度としては開発主義を容認しなければならないからである(『反古典』下巻310頁)。

だとするならば、21世紀の日本は、村上とハイエクの議論の相違点とともに、その共通点にも大いに着目し、みずからはハイエク型の自由主義経済へと脱皮しつつも、性急かつ強引な国際統合の圧力から後発国を守り、技術援助による後発国の開発主義的経済発展を助けるという、きわめて枢要な位置におかれていると言うべきではなかろうか?

いまわが国の国政は郵政民営化の是非をめぐって混乱のさなかにあり、今日の参院本会議で法案が可決されるかどうかの瀬戸際にあるようだが、ハイエクと村上の議論に謙虚に耳を傾けるとき、わが国の向かうべき道は火を見るより明らかだろう。わが国はもっとみずからの果たすべき国際的な責任に目を開くべきときだと思われてならないのである。

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2005年8月 7日 (日)

ハイエクと村上泰亮(1):その相違について

わたくしの当面の課題となっていた「ハイエクと村上泰亮との比較」をこのほど一段落させることができたので、試論的にここで掲載することにしよう。


村上の開発主義とハイエクのちがいを一言で表現するとすれば、それは、技術革新が創造型から応用型に変わり、予測可能性が大きくなった段階において、政府の果たすべき積極的な役割を認めるか否か、という点にあると言えるだろう。

『反古典の政治経済学』(中央公論社、1992年)の下巻において展開されている村上の開発主義の重要な柱は、重点産業の指定などを内容とする産業政策であるが、ハイエクには、技術革新が創造型であろうと応用型であろうと、政府に村上流の重点産業の指定等の役割を積極的に認める議論は存在しない。ハイエクの何よりの関心は、社会に分散してしか存在しない知識を有効利用し、常に新たな知識が出現してくる可能性を開いておくために、万人に自由を認めようとすることだからである。ハイエク的観点からするならば、政府による重点産業の指定は、将来の新たな可能性の扉を閉ざす恐れを伴うものなのである。ハイエクはその著『自由の条件』の序言において、その著作の意図は「将来の発展の扉が閉ざされること――それは国家がある発展を単独でコントロールするときには決まって起こるのであるが――を防ぐことである」と述べている(『ハイエク全集5 自由の条件』春秋社、5頁。ただし訳は改めた)。

ところが、村上に言わせれば、技術革新が創造型から応用型に変わったがゆえに需要拡大についての予測可能性が大きくなり、しかもそれが成長期の産業に特有な費用逓減状況(すなわち収穫逓増状況)にある場合、産業政策は過当競争を防ぎ、適度な競争を維持するために必要不可欠なものとなる。

というのも、予測可能性が大きくなるとともに費用逓減状況にある場合、生産すればするほど利益が増大することが確実になるため、政府による介入がない場合、当該産業に属する各企業の生産拡大行動には歯止めが効かなくなり、熾烈なシェア拡大競争が展開されることになるからである。その場合、各企業は他社を締め出そうとして価格ダンピングを相互に応酬させることになるだろう。その結果は、価格引き下げ競争による共倒れか、熾烈な競争を耐え抜いた企業による寡占あるいは独占である。そこに発生する企業破産と失業の発生は深刻な社会問題を生み出すだろう。そのような寡占あるいは独占が出来上がってしまうと、新規企業の参入も、既存の寡占・独占企業によるダンピングによって妨げられてしまうことになるのである。

村上に言わせれば、このような事態を防ぐためには、政府がある種の介入・指導を行なって、独占や寡占の発生を予防し、いわば「多占」の状況を維持しなければならない。そういう意味で、村上の言う産業政策は、短期的には統制政策に見えるかもしれないが、長期的にはむしろ競争維持政策なのである。

その産業政策のエッセンスは、重点産業の指定、産業別の指示的計画、技術進歩の促進、そしてダンピングによる破滅的な競争を防ぐための価格カルテルの公認である。この価格カルテルを守りさえするならば、外国企業の参入を排除する必要はない。外国産業を締め出す保護主義政策は、外国企業が価格カルテルを守らない場合の次善の策にすぎない。村上によれば、「戦後日本では、目標指定された産業への新規参入の規制が行政的指導の形でかなりの程度行なわれた(とくに外国企業の参入は法的に厳しく規制された)。この規制は閉鎖的グループを作り出す。政策当局が企業を説得し指導する上では便利だろうが、理論的には意味がない」のである(『反古典の政治経済学』下巻96頁)。

いずれにせよ、村上の開発主義のエッセンスは、このような産業政策によって有望産業の順調な成長を国を挙げて実行することである。ところが、「理性の限界」「人間の無知」を強調するハイエク的観点からするならば、政府による有望産業の予測・指定が必ずしも適切なものとなる保証はないであろう。実際、有望産業の予測の難しさについては、村上も開発主義に伴う困難の一つとして挙げている。しかしながら、村上に言わせれば、第二次世界大戦後の世界では、有望産業の予測は比較的容易だった。そのような場合、政府による重点産業の指定は、競争を破滅的・自殺的なものとしないためにも必要不可欠だったのである。

しかしながら、村上も認めているように、産業政策の真の難しさは、むしろ重点産業指定の解除にある。技術革新が一段落し、製品への需要拡大が減速すれば、費用逓減状況が終了する。そうなったとき、産業政策には存在理由がなくなる。ところが、いったん成立した産業と政府の関係は、それを成り立たせた前提条件が消滅した後にも、いわば腐れ縁となって存続し、産業政策がたんなる保護政策へと成り下がってしまう危険性が存在するのである。

ところが、このような惰性的産官関係は、ハイエク的な自由主義の統治スタイルからは発生の余地がない。村上によれば、開発主義のアキレス腱は、重点産業の指定を時宜を得た形でいわば「日没」させることができるかどうかにあるが、ハイエク的な政治経済システムは、重点産業の指定といった産官関係の形成をそもそも認めないのであるから、そのような心配とは全く無縁なのである。

このような簡明さを誇るハイエク的な政治経済システムが実施可能となるためには、しかしながら、ナショナリズムからの脱却という条件が必要となるだろう。というのも、国際的に考えた場合、実際には各国のナショナリズムが依然として強く、国力の基礎としての経済力増強を目指した激しい経済競争が繰り広げられているという現状を考えると、開発主義は、後進国にとっても先進国にとっても、必要不可欠なものとなるからである。国際的な経済競争が熾烈に行なわれている場合、他国の後塵を拝することなく、有望産業における経済成長の可能性を無駄なく追求するためには、開発主義的な産業政策によって、国を挙げて産業化を意識的に目指す努力がどうしても必要となるのである。

また、とくに後進国が「追いつき」型の近代化・産業化を急速に行なおうとする場合、その急激な社会変動に伴う経済的・社会的な摩擦も看過できないから、それを緩和するための分配平等化政策(とくに農民に対する平等化政策)も不可欠になるだろう。すなわち、重点産業と非重点産業との間で必然的に発生する格差が社会的不満を生まないよう、政府が分配平等化政策を行なうことが必要となるのである。というのも、そもそも産業政策は重点産業と非重点産業との間の格差を公認し、結果としてそれを拡大するシステムであり、いわば近代部門と伝統部門という二重経済を生み出すものであるがゆえに、それが放置されれば、政治的統合に重大な亀裂が生じる恐れがあるからである。

村上によれば、その場合の分配平等化政策としては、新古典派的な、生産と切り離した形での再分配政策というよりは、価格や生産量に関連づけて行なわれる再分配の方が、むしろ好ましい。というのも、生産と切り離した形での所得追加は、賃金の維持・増加とは異なって、労働意欲を却って阻害することが大いに考えられるからである。それに対して、旧産業で働く人々の賃金を価格支持などの手段で維持する場合には、資源配分の面で非効率性が生じることは避けられないが、他方で、旧産業で働く人々の労働意欲は保存されることになるだろう。このように生産と関連づけて行なわれる分配平等化政策は、いつ「日没」させるかという点で大きな困難を抱えることにはなるが、急激な社会変動についていけない旧産業の人々の労働意欲の低下・生き甲斐の喪失という問題を回避し、産業化の達成に不可欠な政治的統合の維持のためには、どうしても必要とされるのである。このような分配平等化政策は、ハイエク的観点からは出てこないであろう。

また、第二次大戦後の大量生産・大量消費型の経済にとって、このような分配平等化政策は、高度大衆消費のための需要構造の創出という面においても、好ましい効果を発揮したのである。もしも社会が一部の大富豪と大多数の貧民とに分かれていたら、たとえば自動車需要はほんの一部の金持ちだけを対象とした高級車だけに限られていたことだろう。広範な分配平等化政策によって一般大衆にも購買力が生じたからこそ、一般大衆を対象とした大量生産・大量消費の産業が可能となったのである。

以上のような理由から、後進国にとっては、産業化のためにも、またそれに伴う急激な社会変動から生じる経済的・社会的摩擦の緩和のためにも、さらには高度大衆消費の需要構造の創出のためにも、政府の介入を認めない自由主義ではなく、産業政策と分配平等化政策とを柱とした政府の積極的介入を認める開発主義こそが、唯一可能な現実的選択肢とならざるを得ないと思われる。同様のことは、先進国にもある程度当てはまることだろう。というのも、先進国と言えども、他の先進国との熾烈な経済競争や、後進国からの激しい追い上げからの圧力を受けているからである。


ハイエクと村上の議論には、以上のような看過し得ない相違点があったが、筆者の見るところ、両者は意外にも重要な点で互いに共通してもいた。そこで、次回は両者の共通点について論じることにしよう。

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主体的に読むこと

昨日8月6日付の本欄で、「ノートをとること」について書いたが、実をいうと、村上の議論を一からノートに整理する作業は中断した。なぜなら、昨日までの私が村上の議論にあまりにも巻き込まれそうになっていることに気付いたからである。

昨日の本欄に書いた「要約ノートの重要性」はもちろん変わらないが、昨日までの私は、自分が何故村上の議論を読む必要を感じていたかを忘れて、非常に内容豊かな村上の議論に圧倒されそうになっていたように思う。しかし、研究していく上で非常に大切なのは、主体性を失わないということなのだ。

もちろんそれは、独善的になるということではない。そうなってしまえば、それこそ研究者としては終わりである。他者の議論には謙虚に耳を傾けなければならない。本を読む場合には、その本において著者が何を言わんとしているか、客観的につかむ努力を怠ってはならないのである。その際に要約ノートを作ることは非常に有用である。

しかし、昨日は幸いなことに、自分の主体性・視点を取り戻してからは、ノートを改めて作らなくとも、線を引きながら読んでいく過程の中で、村上の議論の主旨を、自分にとって必要なかぎりでではあるが、すでに客観的につかんでいることに気がついたのだ。したがって、改めてノートを作成する必要はなかったというわけである。

私が村上の議論を非常に気にしていたのは、とどのつまりは、「21世紀を生きる日本人として、ハイエクのメッセージをどのように受け止めるべきか」ということを考えるためであった。というのも、村上の開発主義の議論は、他ならぬわが国の経験を踏まえて打ち出されたものだからである。それは、今日のグローバリゼーションの中で後進国の置かれている立場を考える場合にも必須の議論だと思われる。

しかも村上の議論の非常に重要な点は、もはや後進国の段階を脱したわが国に対して、開発主義からの脱却を説いている点である。私はその村上の慧眼に脱帽せざるを得ない。

そのようなわけで、村上の議論に敬服しつつも、私なりの視点から、「21世紀を生きる日本人として、ハイエクのメッセージをどのように受け止めるべきか」という問題について、下書きの文章を現在まとめつつあるので、それがまとまり次第、この『研究日記』に掲載しようと思う。

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2005年8月 6日 (土)

ノートをとること

村上泰亮『反古典の政治経済学』(全二巻、中央公論社)を読み終えた。やはり非常に内容の濃い良書であった。

途中、試験の採点の仕事もあったので少し苦労したが、村上を読むこと自体は楽しいことであった。

さて当面の私の課題は、「社会主義なき21世紀にわれわれはハイエクをどう受け止めるべきか」という問題を考えるための一環として、村上の開発主義の議論を咀嚼することである。

しかし、非常に内容豊かであったため、頭の中がまだよく整理されていないようだ。

本欄5月10日「自然体で書くこと」で、私はつぎのように書いた:

書き始める前から、書こうとする内容について、あれこれと細部にわたって完璧に構想が立ってから書くのではない。もちろん、アウトラインとしては構想を立てているが、いざ書き始めるときには、書こうとする内容が、“漠然と”思い浮かんでいるだけだ。

ところが、書き進めていくうちに、不思議や不思議、書きたいことが芋づる式に、スルスル、ズルズルと出てくるのである。

そうしてひととおり書いてしまった後で読み直してみると、もちろん修正・加筆を要する箇所も出てくる。しかし全体としては、意外にも、結構ちゃんと書けているのである…!

ところが、今回はまだ、アウトラインとしても、構想がまだ浮かんでこないのである。何かこう、まだ頭の中がモヤモヤしている。

読んでいる最中にいろいろ思い浮かんではいたし、もちろん、本に線は引いている(ちなみに、私は昨年より、齋藤孝氏の“三色ボールペン方式”で線を引いている)のだが、今朝になっていざ文章を書いてみようと思っても、まだ構想が思い浮かんでこないのである。これはたぶん、まだ頭の中がよく整理されていないからだ。

そこで、初心に帰って、ノートを作成することにした。つまり、要約ノートである。たぶん、これを作成していくうちに、頭の中が整理されてくるだろう。とにかく行動あるのみである。

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