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2005年9月22日 (木)

議員になる動機とは?

昨日、自民党の新人議員83人が初登院したようだが、本日付の産経新聞の産経抄に、その自民党新人議員の一人--無派閥の小泉チルドレンと呼ばれる議員たちの一人--の様子が書かれていた。それによると、その新人議員は南関東ブロックの比例名簿35位で当選し、大喜びだという。彼は、「タナボタとは私のためにある」「早く料亭に行きたい」と屈託がなく、当選につい興奮して、議員歳費が2500万円、議員宿舎3LDK、グリーン車乗り放題の議員特権を暴露して幹事長から怒られた、というのである。

この記事を読んで私が思い出したのは、プラトンの議論である。プラトンは対話篇『国家』において、支配者の地位について、「支配とは強者の利益のためである」というトラシュマコスの説に対して、ソクラテスをして次のように反論させている:

すぐれた人たちが支配者の地位につくことを承知するのは、金のためでも名誉のためでもないのだ。なぜなら、支配者の仕事のために報酬をあからさまに要求することによって、金で雇われた者と呼ばれることも、役職を利用してひそかにみずからの手を汚すことによって盗人となることも、ともに彼らの欲するところではないからね。さりとてまた、名誉のためでもない。彼らは、名誉を愛し求めるような人間ではないのだから。〔中略〕もしすぐれた人物たちだけからなるような国家ができたとしたら、おそらくは、ちょうど現在、支配者の地位につくことが競争の的になっているのと同じ仕方で、支配の任務から免れることが競争の的になることだろう。そして、そのときこそ、真の支配者とはまさしく、自分の利益ではなく被支配者の利益を考えるものであるということが、はっきりとわかるだろう。(プラトン『国家』(上)岩波文庫、75-76頁。下線は山中が加えた)

「支配の任務から免れることが競争の的になる」というプラトンの言葉は、身近な例で言うと、たとえば学校で学級委員長や生徒会長を選ぶときのことを考えれば、よく分かるだろう。その場合、もちろん、自らすすんで立候補する生徒が皆無と言うわけではない。むしろ、積極的に立候補する生徒がいてくれる方が望ましいだろう。しかし、その場合の立候補の動機は、けっしてその役職に伴う「特権」ではなく、むしろ学校のために尽くしたいという公徳心からであるはずである。

したがって、国会議員への立候補においても、むしろ学級委員長に立候補するときのような、一種の謙遜とためらいを覚えた上で、なおかつそれでも公のために立たざるをえなくなったのだ-という動機が要求されるはずである。

上記のプラトンの言葉は、非民主主義者・哲人王政治論者プラトンだからこそだと考えられるかもしれない。それでは今度はハイエクの例を出そう。このたびの「小泉チルドレン」たちは、構造改革に賛成の立場で立候補し当選したのだから、市場自由主義のチャンピオン・ハイエクの次の言葉に少しは耳を傾けておいた方がよいだろう:

国民は、自分たちの特定利益に実際もっとも奉仕しそうな人々を選ぶ場合と、不偏に正義を維持すると期待できる人々を選ぶ場合とでは、おそらくまったく異なる人々を選ぶだろう。第一の任務〔特定利益に奉仕する任務〕に役立つには、第二の任務〔不偏の正義を維持する任務〕において最重要性をもつ誠実、思慮分別、および判断力とはまったく異なる特性が要求される。(『ハイエク全集第十巻 自由人の政治的秩序-法と立法と自由Ⅲ-』春秋社、158頁。下線は山中が加えた)

そして、ハイエクが市場秩序を保持する役割を期待していたのは、前者の「特定利益に奉仕する任務」につく人々にではなく、むしろ後者の「不偏の正義を維持する任務」につく人々だったのである。(詳しくはハイエク前掲書を読まれたい)

だとするならば、構造改革を推進するという動機で国会議員になったのであれば、少なくとも、このハイエク的精神を少しは見習う姿勢が要求されるだろう。

たしかに、現在の衆議院の制度は、ハイエクの提唱した議会制改革論とはあまりにも異なっている。というのも、ハイエクは公徳心あふれる人々が、党派にとらわれることなく、純粋に公正中立の立場で、市場秩序と法の支配を維持する任務に就けるよう、45歳から60歳までという、最大15年間の任期を保障し、いわば裁判官にも似た地位保障を立法議会の議員たちに付与することを提案しているからである。

それに対して、4年という短い任期の場合、しかも民衆を代表するエリートとしてというよりは、むしろ民衆の利害を代弁することが期待されている衆議院の場合には、国会議員という立場が、公への奉仕のためというよりは、まさに「報酬を得るための仕事」と化すことも、ある程度はやむを得ないのかもしれない。

それにしても、構造改革の推進という政治課題が、社会全体の利益あるいは国益のため(さらには真の意味での公正な自由貿易体制の維持という国際的な利益のため)というよりは、職業としての国会議員の地位を得るための単なる口実として利用されたのだとするならば、本末転倒も甚だしいであろう。そのような動機で構造改革を唱え、国会議員としての地位を得たのだとするならば、かつてのトラシュマコスのように、「構造改革とは“強者の利益”の別名なり」という抗議の声が湧き起こってくるに違いない。

構造改革の成否を占う試金石は、それが単に公務員の特権をうらやむが故の破壊のみに終わるか(したがって単なる金儲け主義の蔓延という結果に終わるか)、それともいかなる特権からも無縁な公正なシステムとして市場秩序を形成・維持できるか、このどちらの結果に至るかということであろう。

その意味で、国会議員の先生方の任務は大変重いはずである。

当選を喜ぶ気持ちは、まぁ多少は無理もないのかもしれないが、もうそろそろ、そのような浮かれた気持ちから一刻も早く目を醒まして、重大な覚悟で任務に臨んでもらいたいものである。

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