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2005年10月28日 (金)

社会福祉基礎演習のみなさんへ

この授業では、テキスト『よくわかる社会福祉〔第2版〕』(ミネルヴァ書房、2004年)に基づいて、毎回小テストを作成し、諸君に解いてもらっているが、その小テストに取り組んでいる諸君のけなげな様子を見て、私はいつも微笑ましく思っている。それとともに、教える喜びを味わわせてくれる諸君の存在に、感謝している。

実を言うと、社会福祉そのものは、私の元々の専門分野ではない。私の専門分野は政治学、とくに政治思想である。だから、必ずしも自分の専門分野に直接的な意味で関わるものとして、この授業を担当しているわけではない。

しかしながら、当然のこととして、授業を担当する以上こちらもシッカリと勉強しておかなければならない。したがって、私はこの授業を進めていくに当たって、新たに一から勉強を始めたのである。

最初のうちは慣れないこともあったが、もうこの授業を担当するようになって4年目に入っており、最近ではかなり慣れてきた。おかげで、社会福祉に関する基礎知識を身につけていくことができているので、その意味でも感謝している。

とはいえ、小テストを毎回用意するのは、労力のいる作業である。小テスト方式は昨年度からとっているものであり、テキストも同じものを使用しているのだが、小テスト問題は、今年度は今年度として、また新たな気持ちで作成している。だから、授業の準備には毎回、一定の手間がかかるというわけである。

しかも、作業は小テストを実施してそれで終わりではない。当然のこととして、最終的には単位認定のための評価をしなければならないが、この授業では毎回の小テストの成績を総合評価することにしているから、小テストを終えた後に、毎回の成績をつける作業もあるのである。Excelに正答率を入力することにしているが、いまのところ、その作業が毎回確実にできているわけではないので、その遅れを取り戻すために、また新たに時間をさく必要もあるわけだ。

そんなわけで、この授業一つとっても、必要な作業が多くあるのだが、それによって、諸君が社会福祉の基礎知識を身につけていくための手助けができるのだと思えば、それは喜びである。

諸君には毎回の小テストに備えた準備を要求しているわけで、なかなか大変だという思いもあるかもしれないが(いかがですか?)、一回一回の努力が積み重なっていけば、それは大きなものとなるから、どうか一回一回の小テストを、これからも大事にしてほしいと思う。

授業中だけではなかなかとりきれないコミュニケーションを、このブログを通じて諸君と交わすことができればと考えているので、どうぞ気軽に、遠慮なくコメントを下さい。お待ちしています。

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2005年10月27日 (木)

英語を学習しよう!:私も日々努力中です!

英書講読の学生諸君へ

諸君は、英語が得意だろうか?

「得意です」「苦手な方ではありません」という人もいるだろうが、そうではない人も少なくないだろう。

教えている私の方はどうだろうか?

もちろん、英語は好きであり、自分ではまぁまぁ得意な方だと思っている。だからこそ、教えているわけだ。少なくとも、英語を「読む」ことに関してはそうだし、また英語で論文を一本書いたこともあるから、英語を「書く」ことも、少なくとも苦手ではないと言えるだろう。

それなら諸君は、私の英語力が、もうこれ以上の努力を要しないほど、完璧だと思うだろうか?--とんでもない話である。特に「聞く・話す」となると、私のレベルは、せいぜい中の上(upper-intermediate level)というところなのである。

「それで十分じゃないですか」と諸君は言うだろうか?

たしかに現状で満足するならば、その通りかもしれない。しかし、それでは私自身が満足できないのである。

なぜ満足できないのか?--それは、自分自身の能力向上ということもあるが、それだけではない。

それに加えて、教える能力も向上させたいからである。自分自身の能力が向上すれば、教える能力もさらに向上するに違いないからなのである。

諸君にぜひとも分かってほしいことは、「教員になったのだから、教える立場になっているのだから、もう新しいことを学ぶ努力は必要ないんでしょう?」ということでは決してない、ということである。私自身、諸君への教育能力の向上のために、コツコツとではあるが、日々努力中なのである。

私も日々努力しているのである。だから諸君も、ぜひとも自分の可能性を信じて、日々努力し、向上してほしい。それが私の喜びであり、そして諸君自身の喜びになるのだから。

期待しています。頑張ってください。

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2005年10月26日 (水)

アフルエンザ:基礎演習10月26日の授業を終えて

一年生を主な対象とした「基礎演習」の私の担当クラスでは、ジョン・デ・グラーフほか著『消費伝染病「アフルエンザ」:なぜそんなに「物」を買うのか』(上原ゆうこ訳、日本教文社、平成16年刊)をテキストにして授業をしているが、今日は、その第9章 「意味」を求める痛み の要約ノートを作成する作業を学生諸君にしてもらった。

この要約ノート作成作業は、前々回の授業から学生諸君に取り組んでもらっているものだ。前々回は第8章について作業をしてもらい、前回はその解説と個別指導をおこなった。今回はそれを受けての2回目の要約ノート作成作業だったというわけである。

学生諸君が作成に取り組んでいる様子を見て回っていて、うれしかったことが二つあった。

一つは、前回の私の解説と個別指導のおかげだと思うのだが、要約ノートの作成に進歩が見られたことだった。私のアドバイスに従って、章全体の話の展開をなんとかノートに表そうと努力している様子がよく分かった。提出された答案を詳しくみるのはこれからであるが、授業中に見て回ったところでは、学生諸君に一定の進歩が見られるようであったことが、うれしかった。

もう一つは、本日出席の学生諸君全員が、ちゃんとテキストを持参していたということである。当たり前といえば当たり前のことなのだが、それでも全員がそろってテキストを持参して、まじめに取り組もうとしていた様子が、うれしかったのである。

教育の醍醐味は、何といっても、学生諸君が進歩していく様子を見られることである。進歩できるように導くのが教員の役目だ。これからもその醍醐味をさらに味わえるよう、喜んで授業を進めていきたいと思う。

ところで、このテキストの第9章を読んで、学生諸君は大いに考えさせられたのではなかろうか? というのも、ここに書いてあるのは、アメリカの人々が人生の意味・喜びをこぞって「物」に求めているものの、それによってかえってむなしさを感じる一方であり、人生の本当の意味を求めて苦しんでいる様子が、鮮やかに描き出されていたからである。

そしてこのような現象はもちろん、アメリカ的生活様式を追求してきたわが国にとっても、他人事ではないのである。

学生諸君には、この章を読んで、人生の本当の意義とは一体どこから、どんな活動からこそ得られるものなのか、ジックリと考えてほしいと思う。諸君はまさにこれから人生を生きていく有望な若者だからである。

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朝の時間を順調に活用でき始めました

本欄10月17日の記事に、「コマ切れの時間として朝の時間を生かすことを目指す」と書いたが、嬉しいことに、先週末ぐらいから、それが本当にできるようになってきた。不思議と朝5時頃に自然と目が覚めるのである(今朝などは目覚めが4時50分であった!)。

面白いのは、それに伴って、晩に眠たくなる時間も自然と早まってきた、ということである。昨晩などは、夜9時ごろにはもうフトンに入ってしまった。おそらく夜9時半頃までには眠ってしまったことだろうと思う。気づいたら、翌朝(つまり今朝)の4時50分であった。

無理に起きたのではない。自然に目が覚めたのである。目覚まし時計を5時に合わせていたが、それが鳴る前に目が覚めてしまった。“爽やかな目覚め”とはまさにこのことを言うのだろうと思う。

おかげで、今日も朝の時間を使って、博士論文の脚注作成作業を進めることができた。嬉しいかぎりである。これで今日も心置きなく、今日の授業に専念できるというものだ。

この生活パターンは私の理想としてきたものである。続けるべし!!

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2005年10月25日 (火)

ブログの名称変更:教育を加えます

このブログの名前を、『研究日記』から『教育・研究日記』に改めることにした。学生との交流をもっと活発にしたいからである。

これまで、授業に関する内容は学内サイトに掲載してきたが、どうもアクセス状況が思わしくなかった。そこである学生に聞いてみたところ、「自宅からアクセスできないので…」という答えが返ってきた。大学にいるときには、授業の合間を縫って学内の情報処理室にわざわざ足を運ぶことは、案外少ないということだった。

そこで、思い切って、従来から@nifty上にもっていた私のサイトに授業ページも加えることにしたのである。従来の学内サイトは、トップページにそのリンクを貼るだけにした。

これで、私の授業を受ける学生たちも、私のウェッブサイトにアクセスしやすくなったことと思う。

これまで、このブログには、プロフィール欄にも書いてあるように、教育・授業になかなか多用な中で、どのように時間をさいて研究に取り組もうとしているか、という内容を書き綴ってきた。つまり『研究日記』だったのである。

もちろんこれからも、このブログは『研究日記』でありつづけるが、それに加えて、これからは『教育・研究日記』として、教育・授業に取り組む中での私の思いも、ここに書き綴っていこうと思う。

これからも、この『山中優の教育・研究日記』をよろしくお願いします。

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2005年10月17日 (月)

多用な中での時間の活用法:コマ切れの時間を生かすということ

現在博士論文の脚注の作成作業中であることは本欄でも何度も書いているが、10月から授業が始まったので、博士論文の作業を、夏休み中のようにはまとまった時間を使って集中的に行うことができなくなり、滞りがちになっていた。

授業の準備を怠るわけにはいかないし、私の性格はやりだすと中途半端で投げ出したくないタチであるから、授業の仕事のため論文の作業に戻れず、多少なりとも焦る気持ちになることもしばしばであった。

しかし昨日あたりから、そのイライラを解消できるようになってきた。「コマ切れの時間」を利用し、それをこまめに積み重ねていこう-と気持ちを切り替えることができたからである。

多用な中で研究のための時間をうまく取るために、「早めに起きて早朝の時間を利用する」という方法をとろうと努めていることは以前にも本欄に書いた。だが、これまではともすると、その早朝の時間を、やはり「一度にまとまった形で」取れるよう、すごく早く起きようと無理をし、それが長続きしない--ということを、これまで何度も経験してきたのである。「コマ切れの時間を使う」ということは頭では分かっているつもりだったが、まだまだ一気に進めてしまおうという傾向に執着していた自分に気がついたのだった。

しかし、考えてみると、そんなに一度にいっぺんに事を済まそうとする必要はなかったのである。コツコツと積み重ねていけばよいのだ。もちろん、まとまった時間が取れるに越した事はない。しかし、状況がそれを許さない以上、それに適応して時間の取り方を工夫する、というのが賢明な対処の仕方というものだろう。それに、考えようによっては、短時間のコマ切れの時間の方が、かえって集中力を持続させやすいというものだ。取り掛かるときに、変に大仰に構えることなく、いい意味で気軽に取り掛かることもできる。

そんなわけで、これからは、朝少しだけ早く起きてコマ切れの時間を作り、それを毎日積み重ねていく事によって、論文の作業を進捗させていこうと思う。「塵も積もれば山となる」。着実に積み重ねていくべし!

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2005年10月16日 (日)

ハイエクの全体主義批判をめぐって(3):M・ポラニーとの比較

前回から少し日があいてしまったが、今回は、ハイエクの盟友の一人だったマイケル・ポラニーの全体主義批判をとりあげてみよう:

ハイエクの盟友の一人であり、二十世紀ハンガリーの科学哲学者・社会理論家であったマイケル・ポラニー(Michael Polanyi)の展開した全体主義批判は、ハイエクと同じく自由主義の立場からのものでありながら、ハイエクとは全く違った角度からのものとなっていた。ポラニーによると、二十世紀の全体主義者たちは単なる無頼の徒ではなく、むしろ、この世の闘争によって生じる幾多の悲惨や不正に義憤を覚えたきわめて道徳的な人間であったが、彼らはニヒリズムに侵されていたがゆえに、彼らにはおよそ道徳的な「正義」や「価値」を口にする道が閉ざされていた。というのも、ニヒリズムの立場からするならば、「正義」や「価値」といったものはすべて、醜い権力意志や利害・欲求の粉飾された姿に他ならなかったからである。このように真正面から正義を唱えることを自らのニヒリズムによって禁じられた彼らの道徳的志向は、しかしながら、その噴出のためのはけ口を見出さずにはいなかった。そのようなはけ口こそ、至福千年の理想郷を到来させる終末論的な歴史法則あるいは自然法則に対する信奉だったのである。ポラニーは、これを〝道徳的反転〟(moral inversion)と呼んでいる。以上の点については、マイケル・ポラニー『自由の論理』(長尾史郎訳、ハーベスト社、一九八八年[原著一九五一年])第7章「首尾不一致の危険」、および同『個人的知識』(長尾史郎訳、ハーベスト社、一九八五年[原著一九五八年])213-223頁を参照。

実際、彼らは公敵の殲滅を唱え、そのためにはどんな手段にでも訴えるという、きわめて非道徳的で冷酷な行動を大々的に実践に移したものであったが、それは、いわば善悪の彼岸に存在するとされた終末論的な歴史法則あるいは自然法則が厳然と働いていると説く全体主義的教説の為せる業であった。この教説によると、この世の厳然たる事実とは、まさしく階級間あるいは人種間の闘争に他ならず、この世の悲惨や矛盾の根源たる悪の化身――「独占資本主義」あるいは「ユダヤ人種」――は、その闘争において滅ぼされるべき運命にあるが、このような終末論的教説は、道徳的な善悪の問題とは無関係な「法則」として説かれていた。諸悪の根源たる悪の化身は、道徳的な善悪の問題とは全く無関係に、事実として滅ぼされる宿命にあり、ニヒリストの革命家が行うことは、あくまでもその法則の実現に手を貸して、至福千年の理想郷の実現のためのいわば助産婦的な役割を果たすべく、善悪の彼岸に位置して、情け容赦なく冷徹に暴力を公敵に対してふるうことだったのである。これらの点については、猪木正道『独裁の政治思想』創文社、三訂版二〇〇二年[初版一九六一年]四九頁参照。

ポラニーに言わせれば、このような終末論的な歴史法則あるいは自然法則を説く全体主義的イデオロギーこそが、「正義」や「価値」を真正面から唱えることなく、しかもひそかに燃え上がっている道徳的義憤を満足させる役割を十二分に果たしてくれるものであった。すなわち、自らの懐疑主義的なニヒリズムによって道徳的義憤の素直な表現を禁じられた彼らは、道徳的に反転し、その道徳的情熱を噴出させるためのはけ口を、科学的法則の装いを身にまとった全体主義的イデオロギーに見出したのである。もちろん、このようなポラニーの議論が全体主義のすべてを説明できているわけではないだろうが、ハイエクと比べた場合、筆者には、経済統制に全体主義の根因を見出そうとするハイエクの議論よりも、全体主義者たちのひそかに燃え上がっていた義憤のニヒリズム的な〝道徳的反転〟に全体主義のダイナミズムを求めようとするポラニーの議論の方が、経済に還元し切れない全体主義固有の論理を説明するものとしては、すぐれていたように思われる。

マイケル・ポラニーは、全体主義の問題性をニヒリズムに求めており、したがって自由主義再建に必要な課題を自由の形而上学的価値の復権に求めていた。市場における経済的自由に自由の土台を認めようとするハイエクとは異なって、ポラニーは自由の礎石をむしろ学問の自由に見出しつつ、そのエッセンスを真理・正義等の実在性への信念およびその実在的価値への献身に求めていたのである(ポラニー『自由の論理』第三章「学問の自由の基礎」参照)。それに対してハイエクは、反形而上学的立場を大前提としており、自由論を展開するに当たっても、価値それ自体をめぐる形而上学的な議論を警戒する懐疑主義的な姿勢を――時折揺らぎをみせつつも――ついに崩すことはなかった。ここでこれ以上ハイエクとポラニーとを比較して本格的に論ずる用意は今の筆者にはないが、「自生的秩序」や「暗黙知」(tacit knowledge)といったハイエクの思想体系における根本概念がマイケル・ポラニーからの影響によるものであることをハイエク自身が明確に認めていたにもかかわらず、その自由論の内容が実は互いにかなり異質であったということに、われわれは注意しておくべきだと思われるのである。

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2005年10月10日 (月)

ハイエクの全体主義批判をめぐって(2):M・フリードマンとの類似性

今回は、現在執筆中の博士論文に付した脚注より、ハイエクの全体主義批判と類似したM・フリードマン(シカゴ学派の領袖)の議論を書いた部分を掲載する:

このような〔経済統制に全体主義の根因を求めようとするハイエクの議論に見られる〕経済決定論による全体主義批判は、シカゴ学派の領袖M・フリードマンにも言えることであった。フリードマンは、シカゴ大学出版部から出された『隷従への道』五十周年記念版に寄せた序文の中で、「この本は真の古典となった。最広義においての政治であれ、少なくとも党派的な意味での政治であれ、およそ政治に真摯な関心を抱く者であれば全ての者にとって必須の読み物である。その中心的なメッセージは時代を超越しており、多岐にわたる具体的諸状況に適用可能なのである」と述べていたし(RS [Fiftieth Anniversary Edition with a new introduction by Milton Friedman], p. ix)、またその主著のひとつ『選択の自由』(一九八〇年)のプロローグにおいても、当時のアメリカ政府の肥大化現象を指摘した後で次のように述べていた。「フリードリッヒ・ハイエクが、その深遠で影響力が大きい著書のタイトルにしたように、われわれは『隷従への道』を速度を速めながらころげ落ちていくことになるのか。それともいまこそ政府に対して厳しい制限を設け、われわれがそれぞれもっている目的を達成するため、自由な個人相互間における自発的な協力にいっそう大きく依存をしていくようにするのか。このどちらかの道を選ぶという「選択の自由」を、依然として持っているのだ」(西山千明訳、日経ビジネス人文庫、二〇〇二年〔原著一九八〇年〕、四六-四七頁)。それに加えて、政府による市場介入の行き着く先を「全体主義」と呼んでいる点においても、フリードマンはハイエクとまったく同じだったのである(同、四八頁)。

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2005年10月 9日 (日)

ハイエクの全体主義批判をめぐって(1)

授業(とその準備)の合間を縫って、博士論文の脚注作成作業をつづけているが、その脚注では単に本文の論述の出典を示すのみならず、いくつかの脚注では補足的に少しまとまった形で補論を展開させてもいる。その脚注での補論は、主に『隷従への道』におけるハイエクの全体主義批判(の一面性)をめぐってのものである。

そこで、この『研究日記』にもそれらの議論を掲載してみたいと思う。

今回はまず、本文で論じている、ハイエクの全体主義批判の一面性を指摘した箇所を掲載することにしよう(ただし、論文では脚注を付している箇所は、ここでは( )内に挿入してあるが、補論的な脚注はここでは省いてある):

全体主義の出現に関するハイエクの議論は、しかしながら、S・トーメイによれば、実際のヒトラーの「第三帝国」やレーニン・スターリンのソ連、さらには戦後の福祉国家の現実を説明するものとしては、いささか正確性を欠いている(Simon Tormey, Making sense of tyranny: Interpretations of totalitarianism (Manchester UP, 1995))。ヒトラーの第三帝国における経済の計画化の度合いは、ハイエクの議論がわれわれに与える印象とは異なって、かなり限定的かつ断片的なものであり、軍事力の構築に関わる分野を除けば、決して徹底したものではなかった(ibid., pp. 17-24.)。またソ連にしても、その独裁支配が中央計画経済に由来するとは言えないだろう。ソ連では計画経済が確立されるよりもはるか以前に、すでに確固たる全体主義的イデオロギーを基盤とした一党独裁制が敷かれていたからである(ibid., pp. 26-31,35.)。さらに、戦後の福祉国家の現実に目を移してみても、それは決して思想の自由を許さない全体主義支配などではなく、たとえ政府権力は肥大化していったとしても、依然として寛容な自由民主主義体制でありつづけた(ibid., pp. 33-35.)。トーメイに言わせれば、要するにハイエクの議論の難点は、経済統制が全体主義的なイデオロギー支配のもとでのみ作用しうると想定していたことにあったのである(ibid., p. 31.)。

たしかに、いったん成立した全体主義権力が、その結果として経済全体をその統制下におこうとするとき、ハイエクが正しくも描写したような、おぞましい隷従の状態が出現するであろう。彼は、かの有名なトロツキーの言葉――「昔の命題である『働かざる者は食うべからず』は、いまや新しい命題である『服従せざる者は食うべからず』によって、取って代られてしまった」――を肯定的に引用し、唯一の雇用主が国家のみである場合には、国家に反対することはとりもなおさず死を意味することになるということを説得的に論じている(The Road to Serfdom〔以下RSと略記〕, Ch. 9. “Security and Freedom”. 西山千明訳『隷属への道』第九章「保障と自由」)。「競争経済の最後の手段は差し押さえだが、計画経済の最後の制裁は絞首台だ」(W・レプケ)というわけである(W. Roepke, Die Gesellshaftskrisis der Gegenwart (Zurich, 1942), p. 172. Cited in RS, p. 139, n. 4. 西山訳一六二頁)。

しかしながら、具体的な史実に照らし合わせてみるとき、全体主義体制の原因をもっぱら経済の計画化に求めようとするハイエクの議論が、必ずしも現実の歴史を説明するものではないことが分かるだろう。たとえば、「第三帝国」における全体主義的独裁党の政治支配は、利潤動機を大幅に取り込んだナチの経済体制と両立していた(勝田吉太郎『勝田吉太郎著作集第三巻 知識人と社会主義』ミネルヴァ書房、一九九二年、一六四頁)。また、ソ連において、ボルシェヴィキの党独占、一枚岩化、全体主義化が始動することになった一九二一年は、レーニンがネップ(新経済政策)への後退を決定し、国民経済の計画化が最小限にせばめられた年でもあった。さらに、スターリン時代における一九三六-三八年の大粛清は、最初の五カ年計画がすでに終了し、強制的な農業集団化も断行されたあとになって、はじめて発生していたのである(同、一四六一四七頁)。以上の例から明らかなように、全体主義的なイデオロギー支配やその結果としての悲惨な虐殺事件は、全面的な計画経済化とは独立に発生していた。また、戦後の福祉国家における経済への広範な政府介入が全体主義的イデオロギーを必要としなかったことはいまさら言うまでもあるまい。だとすれば、全体主義体制が出現する原因をもっぱら統制経済のうちに求めようとしたハイエクの議論が一面的なものであることは否定できないだろう。

たしかに、だからといって、ハイエクの議論を単なる杞憂とみなして一蹴してしまうことはできないかもしれない。彼が戦後の自由主義諸国について憂慮していたのは、漸進的な政府権力の肥大化現象が、自主独立の精神の慢性的な風化と手を携えて進行していくことであった。ハイエクが懸念していたのは、かつてトクヴィルが、肉体を鞭打つかつての暴政と異なる〝新たな隷従〟と呼んだ事態、すなわち肉体は可愛がるが、物質的恩恵の供与によってかえって魂を骨抜きにし、人々から自主独立の精神を奪う新たな専制支配の到来だったのである。「もちろん六年間におよぶイギリスの社会主義政府は、全体主義国家に類似するようなものを何もつくり出さなかった。しかしこれをもって『隷従への道』の命題の反証であると主張する人々は、その主要な点の一つを実は見落としてしまったことになる。広範な政府支配が生み出した最も重要な変化は、心理的な変化であり、国民の性格の変化である。〔中略〕単に労働党政府のもとばかりでなく、家父長主義的な福祉国家の恩恵を享受してきたきわめて長い期間に、イギリスの国民性が変化を経たのはほとんど間違いのないことである」と、アメリカ・ペーパーバック版(一九五六年)の序言においてハイエクは述べている(RS, p. xxxix. 一谷訳xviii-xix頁。ちなみに、ハイエクはこの一九五六年版の序言で、『隷従への道』という書名が、「新たな隷従」という言葉にトクヴィルがしばしば言及していたことに示唆されたものであったと述べている。RS, p. xli. 一谷訳xxi頁)。わが国も含めた現代先進諸国の膨大な財政赤字とその背景にある政府権力の肥大化現象のありさまをつぶさに眺めるとき、かつてトクヴィルやハイエクが懸念したような事態が到来しないと速断することは、やはり慎むべきだと思われるのである。

にもかかわらず、現代政治思想の世界における全体主義論の成果を踏まえるならば、このような家父長制的な専制支配を「全体主義」と呼び表わすことは、やはりできないだろう。というのも、それらの諸成果によれば、表立って政治的に反抗しさえしなければ、ある程度の自由な生活(とくに経済的に自由な生活)を国民に許容する権威主義体制とは異なって、全体主義体制は、文字通り、心身ともに人々の心をトータルに呑み込み、その体制への献身的な自己一体化を国民に要求する、きわめて苛酷な政治支配だからである。ハイエクは、全体主義体制に見られる荒唐無稽な神話的イデオロギーを、ある一つの分配基準を社会全体に強要するために編み出されたものと看做していたが、物質的な分配のあり方をめぐる政治的な争いが、全体主義的なイデオロギー支配を前提としなくとも妥協的な解決が可能であることは、戦後の福祉国家の歴史が雄弁に物語っているだろう。要するに、全体主義支配とは、従来から存在していた単なる専制支配とはまったく異質の、二十世紀特有の新たな支配体制と看做すべきであり、経済的な要因には還元できない固有の論理を内在させたものだったのである(全体主義が二十世紀特有のすぐれて新しい支配体制である点については、木村雅昭『ユートピア以後の政治』(有斐閣、一九九三年)七九-八四頁参照)。このように考えてみると、ハイエクの「全体主義」という用語法は、全体主義支配の本質をめぐる政治思想史家の諸業績に照らし合わせるとき、正確性を欠いたものであり、専制批判としてならともかく、少なくとも全体主義批判としては、決して成功していると言うことはできないだろう。したがって、われわれは『隷従への道』の現代的意義をその全体主義批判それ自体に求めることはできないと思われる。

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