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2006年2月24日 (金)

ターボ資本主義・希望格差社会・アフルエンザ(1)

今回からしばらくは、現代日本社会を読み解くキーワードを標題に掲げた三つの言葉に求めつつ、わが国が市場原理にどう向き合っていくべきかについて、筆者なりの考察を書き綴ってみようと思う。今回は一つ目のキーワード、“ターボ資本主義”についてである。

“ターボ資本主義”とは、米ワシントンの戦略国際問題研究センター上級研究員のエドワード・ルトワク氏が次の書物で用いている言葉である:

エドワード・ルトワク、山岡洋一訳『ターボ資本主義――市場経済の光と闇』(TBSブリタニカ、一九九九年 [原著一九九八年] )

この“ターボ資本主義”について私の見解を述べるのは後に回して、今回はこの言葉を用いたルトワク氏の議論の要約のみにとどめたいと思う。

この書の中でルトワク氏は、構造変化のペースを加速化させた資本主義のことを「ターボ・チャージされた資本主義」(turbo-charged capitalism)あるいはもっと端的に「ターボ資本主義」と呼び、それがもたらす生産性の向上と、その代償としてもたらされる社会の混乱とを詳しく描写している。

ルトワク氏によると、(1)生産性の高さ、(2)創造的破壊、(3)急激な構造変化による混乱、この三つの点で資本主義は昔も今も変わっていないが、現代の資本主義の新しさは、その構造変化のペースが加速した点だけである。しかし、若干のペース加速だけで、状況が一変したといえる状態になったという。(同書、78-79頁)。

氏は、このペース加速をもたらした要因として、第一に世界各国での政府の市場からの撤退、第二にグローバル化、第三に伝統から契約へ(すなわち昔からの慣習に基づく取引関係が崩れ、取引ごとに交渉され、純粋に需要と供給に基づく商業ベースの契約関係にとって代わられたこと)、第四にコンピュータの導入による生産性の飛躍的向上、この四つの要因を挙げている(79-93頁)。

このような諸要因による構造変化のペースの加速化によって、世界各地の進取の気性に富む人たちには機会が与えられると同時に、それについていけない人たちは挫折の憂き目にあっているのである(93-99頁)。本書の原題は、Turbo-Capitalism: Winners and Losers in the Global Economy,すなわちその副題は「グローバル経済における勝者と敗者」であるが、まさにこのターボ資本主義の下で、勝者と敗者とがはっきりと分かれていく傾向が生じているわけである。

言うまでもなくこのターボ資本主義はアメリカ発のものであるが、ここで興味深いのは、ルトワク氏が、現在世界各国でターボ資本主義によって引き起こされている混乱がアメリカ型の資本主義の導入自体によるものだとはしていないことである。むしろ、氏はその混乱の原因をアメリカ型資本主義の導入の“中途半端さ”に求めているのである。氏は次のように述べている:

皮肉なことに、ターボ資本主義に対するもっとも強い反発は、アメリカの流儀を無批判に受け入れたからではなく、アメリカの流儀のとり入れ方が不十分なことの危険性から生じているのだろう。世界各国はターボ資本主義を輸入しているが、アメリカでその圧倒的な力を抑える要因と、ターボ資本主義の厳しさと極端な不平等をほとんどのアメリカ人が受け入れる理由になっている要因は輸入していない(30頁)。

氏によると、アメリカでは一方で人々を勝者と敗者とに容赦なく両極分解させる市場競争の論理を徹底させているとともに、他方ではその両極分解という結果を人々に納得させ、勝者を過度に傲慢にさせないと同時に敗者を従順にさせるための要因が二つあるという。それは次の二つである:

①ごく普通の庶民が、極端に貧乏であっても、「損害賠償請求」という建前のもと、裁判で自分の利益を追求することができること。

②カルヴァン主義の価値観が根強い影響を与えていること。

①について、氏は「傲慢で貪欲な弁護士にも良い面がある」と述べ、アメリカの法律制度あるいは法文化について詳しく論じている(30-45頁)。

私にとってより興味深い点は、②のカルヴァン主義の影響力である。ルトワク氏によると、アメリカでのカルヴァン主義は次の三つの規則をもっている:

1.高所得者向け:勤労によって得た富は神によって救いを予定されていることを示す。金持ちになりたいという欲求は非難されるべきものではない。富の蓄積はその努力と禁欲の結果として賞賛に値するものである。ただし、その蓄積した富は浪費されてはならず、社会的に意義ある活動のために寄付すべきものである。それは子孫に遺してはならない。

2.大多数の勤労者向け:敗者になったのは、運が悪かったからでも不公正のためでもなく、神の恩寵を受けられなかったからである。したがって、敗者は社会制度を責めるのではなく、むしろ神の恩寵を受けるに値しない罪人である自分を責めるべきである。

3.敗者の中でもカルヴァン主義を信じない人たち向け:第二の規則を受け入れず、罪の意識にも苛まれないが、教育水準が低くて合法的な方法で恨みを表明できない人たちは、刑務所に隔離されるべきである。

この三つの規則からなるカルヴァン主義がアメリカでは大きな影響力を発揮しているため、勝者は自分の富を正当化されていると同時にそれを浪費せず、大多数の敗者はその敗者としての境遇を従順に受け入れており、従順ではない敗者は刑務所に送り込まれる。このような氏のいわゆる“カルヴァン主義体制”が根付いているため、アメリカではターボ資本主義が反社会的な勢力を生み出すことなく浸透しているのである(46-60頁)。

ところが氏によると、

ターボ資本主義に移行しようとしている国の多くでは、勝者は富をあまりにもあからさまに楽しんでおり、子孫に富を残そうとしており、教会以外にはほとんど寄付しようとしていない。敗者の側は、罪の意識にさいなまれず、勝者への恨みつらみをつのらせている。そして、勝者も敗者も、法を破る敗者をきびしく処罰すべきだとする確固とした倫理感をもっていない(60頁)。

したがって、氏に言わせれば、中途半端な真似は危険である。われわれのとるべき道は「活力を求めるのか、安定を望むのか」の二者択一である。すなわち「経済」と「社会」のいずれを優先させるのかをはっきりとさせなければならないのである(同書第13章)。

以上のようなルトワク氏の議論からするならば、わが国もアメリカ型資本主義の「中途半端な真似」の部類に入ることになるだろう。実際、氏は「日本語版への序文」で、同様の二者択一を日本の読者に対して迫っているのである(同書4頁)。

そして、本書の原題の副題にあったように、わが国でもまさに「勝者」と「敗者」、すなわち最近の言葉で言えば“勝ち組”と“負け組”との間での二極分解が起こっている。そこに生じつつあるのが、家族社会学・感情社会学を専門とする山田昌弘氏の言う“希望格差社会”なのである。これについては次回論じることにしたい。。

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