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2006年5月 7日 (日)

排出権取引は地球環境を救えるか?(2)

今日は「排出権取引の意義と限界」について、再び考察を加えてみよう。ただし、ここでの考察は、ブログという場の性格上、私の成熟した考察結果を披露するというものではない。むしろブログがいい意味で気楽な場所であることを幸いとした、私の考察過程における中間報告にとどまることを、予め断っておきたい。

例のNHKスペシャル「煙と金と沈む島」のビデオを今朝もう一度見直してみた。最初に見たときには中国・重慶の炭鉱と日本の三井物産との排出権売買を巡るやりとりに目を奪われていたが、今朝もう一度見てみたときには、今度はアメリカの排出権取引会社(ナット・ソース社)のビジネス活動をどう評価すべきかについて、考察を巡らせることになった。

このナット・ソース社(以下、「ナ社」と略記する)は、このNHKスペシャルによると、排出権を売りたいという企業からそれを安く買い、排出権を求める企業に今度はそれを高く売ることで利益をあげる活動を世界規模で展開し、急成長を遂げているという。要するに排出権売買の仲介業務を営む会社だと言える。

私がこの番組でこのナ社のビジネス活動ぶりを見ていて「うーむ…」と考えさせられたのは、同社が大きなビジネスチャンスと見て色めき立った次の2つのケースである。

1つは、昨冬のヨーロッパでの大寒波である。この大寒波が排出権への需要を高め、価格が上昇するというのである。より詳しく言えば、次の通りである:

①ヨーロッパでの大寒波が暖房に使われる石炭への需要を高める(石炭は現在、石油よりも安価な資源である)。
②ところが石炭は温暖化を最も促進するといわれている資源だから、石炭を使うことは、京都議定書によって割り当てられた排出量削減目標達成の見込みを危うくする。
③そこで、石炭を使った企業は、自社に割り当てられた削減目標達成のために、排出権を買いたがるようになる。
④排出権を買いたがる企業が多くなればなるほど、ナ社が保有する排出権の値段が上がるから、ナ社としては大きなビジネスチャンスとなる。

要するに、何らかの理由で石炭への需要が増えると排出権の値段もあがる、という因果関係があるというわけである。

この「石炭の需要増→排出権の値段上昇」という因果関係が、気候の変化とは無関係の思わぬ理由から働くこともある。それが次に述べるもう1つのケースである。

そのもう1つのケースとは、サウジアラビアの石油施設が自爆テロの危険に晒されているという情報が排出権の値段を急上昇させた、というものであった。

つまり、サウジの石油施設が自爆テロに遭って深刻な打撃を受ければ、石油の供給に悪影響が及ぶため、石油の代わりに石炭への需要が上昇する結果、「石炭の需要増→排出権の値段上昇」という因果関係が働くことになるというわけである。

とはいえ、実際にはその自爆テロによる被害は最小限のものにとどまったため、ほどなく排出権の価格上昇への圧力は消滅し、さほど大きな利益をナ社はあげるには至らなかったが、その顛末を振り返った会話の中で、ナ社の社長と幹部社員とが、「もしも自爆テロによるサウジ石油施設への被害が甚大なものになっていたら、また違う展開になっていただろうな…」と語り合っていたのである(私には、彼らがそれを少々残念そうに語っていたように見えたのだが…?)。

要するにこの2つのケースはいずれも「石炭への需要増→排出権の価格上昇」という点で共通している。違うのは石炭への需要増をもたらした理由と、もたらされた結果の内容である。つまり、

第一のケース:
(理由)ヨーロッパの大寒波
→「石炭の需要増→排出権の値段上昇」
→(結果)実際に大きなビジネスチャンスへと至ることに

第二のケース:
(理由)サウジ石油施設への自爆テロの恐れ
→「石炭の需要増→排出権の値段上昇」の見込み
→(結果)しかし実際にはさほど大きなビジネスチャンスとはならず

--というわけである。

さて、この2つのケースを読者はどう思われるだろうか? 私の抱いた感想は、非常にアンビヴァレントなものであった。

一方で、まず最初に抱いてしまった素朴な感想は、「なんともまぁ…。不幸ごとをビジネスに利用するなんて、いかがわしい…」というものであった。大寒波にせよ、自爆テロにせよ、石炭への需要増をもたらした理由は、いずれも好ましくないもの、起こってほしくない出来事である。そのような不幸な出来事を大きなビジネスチャンスとして喜んで活動するのはいかがなものか…と感じたのである。

しかしながら、他方で、「チョット待てよ…」とすぐに冷静に考え直した。たとえ好ましくない出来事であったとしても、ナ社がそれを意図的に陰謀として惹き起こしたわけではない。大寒波にせよ、自爆テロにせよ、ナ社の責任とはならないところで、それらは現実に起こってしまった(あるいは起こるかもしれなかった)出来事なのだ。

現実に起こってしまったとしたならば、あるいは起こる恐れが高いとするならば、良心による崇高な動機からであろうと、利潤を求める動機からであろうと、いずれにせよ、そのような事態に対応するために排出権取引が行なわれることは、結果として非常に大切なことなのである。

もう少し説明しよう。説明の便宜上、つぎのようにな企業Y、企業Zを仮定する:

企業Y=排出量を増大させてしまった企業(すなわち排出権を買いたいという企業)
企業Z=他所での排出量増大を相殺するために自ら削減努力を引き受ける用意のある企業(すなわち排出権を売る用意のある企業)

その場合、企業Yに対して企業Zが現れて、この両者の間で排出権の売買取引が行なわれなければ、企業Yによる排出量の増大分は、どこにも吸収されることなくこの地球の大気中に残され、その結果、地球温暖化がさらに促進されてしまうのである。

だとするならば、その動機はどうであれ、何らかの理由から石炭への需要が増大してしまった場合、それに伴う温室効果ガスの排出量増大という好ましくない事態へと対処するために、排出権取引を円滑に進める仲介業務をナ社が営んでいることは、冷静に考えれば、やはり一定の評価に値する活動なのである。ナ社の社長は「地球環境を救えるのは資本主義経済だけなのです」とNHKの取材に対して答えていたが、この社長の言葉も、以上の文脈からすれば、たしかに一理あるというべきであろう。

しかし…とやはり考え込んでしまう。

ナ社の社長は「人間の良心だけでは問題は解決しません。利潤が伴わなければ、人間は動かないのです」とも言っていた。たしかに利潤は人間を動かす大きな動機だろう。現状としては、それこそが最も大きな動機なのだというべきなのかもしれない。

だが、利潤動機だけでもよいのだろうか? やはり良心も働かなければならないのではなかろうか? 良心に支えられない利潤動機だけで、はたして本当に大丈夫なのだろうか?

--こうして私は、「良心と利己心、道徳的行動の起源はどちらなのか?」というスコットランド啓蒙思想の根本問題へと導かれていくのである。

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