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2006年5月18日 (木)

道路公団民営化をめぐって(5)

私は、この事例のうちに、「官の論理」の「民の論理」への侵食を看取せざるを得ない。

とはいえ、私は決して、官の論理の必要性それ自体を否定するものではない。むしろ民の論理だけですべてがうまくいくとは限らないというべきだろう。しかし、NHKスペシャルで伝えられた内容から、私は「民営化の名の下に、政治の論理がかえって陰湿な形で働いている」という気がしてならないのである。私はこのことを、舞鶴若狭道と中部横断道の事例のうちに強く感じざるを得なかった。

○舞鶴若狭道の場合
たしかに、舞鶴若狭道(福井県)の場合、「原子力発電所がある」というのは、採算性とはまた別の重要な特殊事情であろう。もっとも原発に関しては、石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料に代わるエネルギー源として、太陽光や風力などの自然エネルギーではなく、原子力を大々的に活用することが果たして正しいのかどうか、というまた別の根本問題があるが、ここではその点についてはひとまず措くことにしよう。

いまここで私が問題としたいのは、たとえ原発という特殊事情によって採算性を度外視してでも高速道路を建設すべきだとしても、それでは一体なぜ、舞鶴若狭道の建設が、新直轄方式ではなく、民営化された新会社の手によって、なされなければならないのだろうか?--ということである。原発の活用というのは国策として推進されているものであり、まさに官の論理によるものなのであるから、それに伴う高速道路の建設も、官の手によって、すなわちこの場合は新直轄方式によって、建設されるべきなのではなかっただろうか?

にもかかわらず、原発という特殊事情を考慮しての採算性を度外視した舞鶴若狭道の建設が、官の手によってではなく、民の手で行なわれるべしとされたのは、「官の論理の濫用による民の論理の歪曲」、あるいは「官による民への侵食」だと思われてならない。

民にできることはあくまでも採算性に基づいた経済活動なのであって、それを越えて、原発という特殊事情によって高速道路の建設がなされるべきなのだとすれば、それはあくまでも官の論理に基づくのだから、その実施も官が引き受けなければならなかったはずなのである。それを民営化された新会社に押し付けたというのは、財政赤字を理由とした「官の責任放棄、民への責任転嫁」としか私には思えない。

実際、福井県知事は、新会社の手による建設という福井県としての希望を、新会社自体に行って近藤会長に直接伝えたのみならず、総勢23人もの陳情団を引き連れて国土交通省の副大臣室を訪ね、舞鶴若狭道の(新直轄ではなく)“新会社による”建設の実現を、(新会社にではなく)“国土交通省副大臣に”お願いしに行く様子を、NHKスペシャルは伝えていたのである。

○中部横断道の場合
また、中部横断道(山梨県)の場合、採算性を度外視した建設について新直轄方式を併用するという結論自体は正しかったとはいえ、少しでも山梨県側の費用負担が少なくなるように、新会社の負担を大きくしようとした山梨県の行動にも、私は官の側の一種の責任放棄、民への責任転嫁を感じざるを得ない。

というのも、この場合、新会社の採算性に基づいた自主的な経営判断をまずは尊重し、その結果新会社によっては建設できない路線を引き受けるものとして補助的な役割を担うはずの“新直轄方式”が、いつの間にか、県の苦しい財政事情を原因とした、建設費用負担の民への押し付けのための道具として使われてしまったからである。

○結論
私は、高速道路の建設という一種の公益事業の場合、官と民とがともにそれぞれの役割を果たす必要があること自体は、現実問題としては仕方ないのかもしれないと思わないことはない。

しかしながら、その場合、採算性に基づいた建設という民の論理を越えて、採算性以外の要素をも考慮した建設もやむなしという結論を出したとするならば(この結論自体、異論の余地はあるだろうが)、その場合はあくまでも官の手によって、官がどこまでも責任を持って建設すべきだったと思うのである。

道路公団民営化に際して、民営化の論理の貫徹を抑えてまで、新直轄方式という官の論理の余地を政治的判断として残しておいた以上、採算性の低い路線の建設は、県の財政事情という要因をねじ込んで民に押し付けるのではなく、あくまでも赤字覚悟の上で官の財政負担によって行なうべきであっただろう。そして、そこまでして地元に高速道路を建設すべきかについて、それぞれの地方議会で議論して決めればよい問題のはずだったのである。

山中 優

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