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2006年6月13日 (火)

環境税を考える(6)

前回の記事から少し間があいてしまった。もっと早く、この連載「環境税を考える」の結論部分を仕上げるつもりだったのだが、いざ書き進めようとしてみると、まだまだ私には詰めなければならない点が多々残されていることに気がついたため、作業が滞ってしまっていたのである。

私の研究対象であるハイエクの議論をこの問題にどう応用すべきかについて、私の頭の中にラフ・プランは徐々に浮かびつつあるが、まだそれはちゃんとした形にはなっていない。そのためには、まだまだやるべきことがたくさんありそうである。そしてまた、構想が固まっていざ書き進めていけば、それはかなりの分量になりそうなのである。

したがって、今回ここに書くことは、当初私が思っていたよりも不充分な点がまだまだ多く残された暫定的なものとなるが、ハイエクの現代的応用の一例としてこの記事をさらに書き進めていくことはひとまず断念し、環境税をめぐる問題一般について、今の私の念頭にある大まかな考えを述べておくことで、とりあえずのひと区切りとしたい。

前回の記事で、化石燃料の価格弾力性の低さを理由とした、環境税・炭素税への経済団体の反対論について言及した。石油をはじめとした化石燃料は必要度があまりにも高いために、炭素税が代替エネルギーへの転換という効果を発揮するためには、税率をかなり高く設定しなければならないが、そうすればそれは日本経済に大きな打撃を与えるおそれがある、というのである。

私は一方で、たとえ実際に税率を相当高く設定しなければ炭素税はその効果を発揮しないとしても、われわれとしてはその高税率を真摯に受け止め、代替エネルギー、それも風力、太陽光などのクリーンな自然エネルギーへの転換を強力に推し進めていくべきだと思う。というのも、現在の経済システムでは、開発に伴って自然環境に加えられる負荷が正しく価格に換算されていないが、本来ならば、その負荷も価格に組み入れられるべきだと思うからである。もしも炭素税によって価格が高くなるとしても、それは本来ならもともと組み入れられるべきコストが正しく反映されていないのを、是正する措置に過ぎないのである。

しかしながら、他方で、豊かな生活を実現しそれを維持していくためには、自然環境に負荷を与え、地球規模での気候変動を招く恐れのある化石燃料型の経済システムしかないという観念を前提とするならば、上記の経済団体の反対論が出てくるのも無理はないとも思う。地球温暖化=気候変動の恐れが大いに懸念されるとはいえ、またその兆候と思われる現象はすでに現れ始めているとはいえ、本格的な気候変動が起こるのはまだまだ先のこととするならば、やはり目先の豊かさをできる限り追い求めたいと考えたくなるだろう。

しかし、それは長期的な観点からするならば、生活の基盤中の基盤たる地球環境そのものに取り返しのつかない打撃を与えるものとなるおそれがあるがゆえに、結局は豊かな生活どころではなくなってしまう。そのことは、環境税の導入に反対する経済団体も重々承知していることだろう。さもなければ、自主的取組の重要性すら強調していなかったはずだからである。

したがって、まさに喫緊の課題となっているのは、自然環境を犠牲にしなければ経済はうまく立ち行かない、という観念を改め、自然環境保護と生活の豊かさとが両立するような新たな経済システムをいかにして実現していくか、ということなのである。

筆者がその大きな可能性を感じるものとして入手してあるのは、ポール・ホーケンほか著『自然資本の経済:「成長の限界」を突破する新産業革命』(日本経済新聞社、2001年)である。まだこの書物を精読していないので、今の私にはまだこの点について本格的に論ずる用意ができていないのであるが、筆者の考えでは、この本で説かれているような、自然と経済の両立の道が確立されていかない限り、いくら炭素税が導入され、化石燃料の使用を抑制しようとしても、その代わりとなるエネルギー使用の道が開かれていない限り、結局はこれまでどおりの化石燃料型の経済に立ち戻ってしまうだろうと思うのである。

最後に、もともとこの環境税についてここで書き始めたキッカケに立ち戻るならば、政治学概論(名張)のテキスト『新版 はじめて出会う政治学』(有斐閣)第3章「大企業と政治」に書かれていたように、政治の世界で必ずしも大企業や経済団体だけが影響力を及ぼしているわけではない。かつて公害規制や製造物責任法が導入されたことからも分かるように、経済団体に不利な政策が実現されることもあるのである。したがって、一般消費者の環境保全意識が向上し、環境税の実施を本気で求めていくならば、たとえ豊富な政治資金を持っていなくとも、実現は可能であろう。

しかしながら他方で、同テキストの第1章「組織された集団」で説かれていたように、業界・政治家(族議員)・官僚で構成される“鉄の三角同盟”が一般消費者よりも旺盛に政治活動を展開しており、その意気込みにおいて一般消費者は劣りがちであることも事実である。数においては圧倒的に勝っているにもかかわらず、今の自分自身に関わる切実な問題とは実感しにくいがゆえに、また自分が立ち上がらなくても他人が自分の代わりにやってくれれば、自分もその恩恵を受けることができると考えがちであるがゆえに(フリー・ライダー)、一般消費者はたんなる傍観者、政治的無関心に陥りやすいのである。活発に環境保全活動を展開しているNGO、NPOの団体に属している人々も少なくはないだろうが、それが一般消費者すべてに及んでいるわけでもないだろう。

したがって、一般消費者よりも政治的に活発な業界あるいは財界の声の方がやはり、絶対的にとは言わないまでも非常に大きな影響力を持つ現状にあっては、しかも公害問題のようにその被害が今すぐ明らかにならない地球温暖化=気候変動の問題にあっては、さらには公害問題のように加害者が企業のみにとどまるのではなく、CO2の排出という点からすれば一般消費者もまさに同時に加害者でもあるのであってみれば、豊かな生活のためには化石燃料に頼るしかない、という観念が根本的に変革されない限り、すなわち環境税によって化石燃料の使用が抑制されることが経済にとって不利であるという観念が根本的に改められない限り、環境税の導入も、その導入を契機とした地球温暖化問題の解決もおぼつかないだろう。まさに、化石燃料から脱却した新たな経済システムを可能とする思想のパラダイム転換が必要不可欠なのである。

山中 優

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