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2006年6月23日 (金)

「単位を下さい」という言葉

大学の教員をしていると、時々、「単位を下さい」と言われることがある。あるいはまた、試験結果が公表された後に、「単位をありがとうございます」と言われることもある(つい最近にも、こういう声がある1枚の聴講券の裏面に書かれていた)。

学生諸君から時々発せられるこうした言葉は、決して悪意から出たものではなく、きわめて素朴かつ率直な気持ちから来るものであろう。

しかし、その表現は、実は非常に的外れな言葉づかいである。というのも、教員が行なっていることは、決して単位を“あげる”ことではないからである。

たしかにわれわれ教員も、時々、言葉の綾で「このままでは、君には単位をあげられないよ」などといった表現をしてしまうこともある。しかしながら、厳密に言うならば、これは誤った表現である。

というのも、教員が行なうこと、また行なうべきことは、単位を“あげる”ことではなく、“認定する”こと、すなわち、ある客観的な採点基準を事前に設けておいた上で、その基準に学生諸君の答案が達しているかどうかを、主観を交えず、あくまでも客観的に判定することだからである。

人情としては、ついつい「単位を下さい」と言ってしまいたくなる気持ちは、分からないではない。しかし、もしもある学生の答案がしかるべきレベルに達していないにもかかわらず、それを大目に見て単位を“あげる”とするならば、それは公平な客観的評価ではなく、単なるエコヒイキなのである。

これを学生諸君の立場から言い換えるならば、諸君にとって、単位は教員から“もらう”ものではない。そうではなく、諸君の実力によって“かちとる”ものなのである。

たとえば、もしもスポーツの世界で、自分の実力が不足しているにもかかわらず、試合相手に対して「勝たせて下さい」などと懇願することは、非常に情けないことだろう。ましてや、仮に試合に勝った場合に、「勝たせてくれてありがとうございます」などと口走ってしまったならば、その試合相手は「何という屈辱…!」と怒り出すにちがいない。もしもそう言われてその試合相手が怒り出すのではなく、逆にニヤッと笑ったとするならば、それはとりもなおさず八百長試合、すなわちインチキだったということになるのである。

従って、学生諸君が行なうべきことは、単位を下さいと懇願することではない。そうではなく、むしろ必要なレベルに達するよう、努力・精進することのみである。また、その努力の結果、単位が認定された場合に諸君の発するべきは、教員に対する「単位をありがとうございます」という言葉ではなく、むしろ自分自身に対する「よくやった!」という自己賛嘆の言葉なのである。それは自分の実力によってかちとったものに他ならないからである。

そのようなわけで、学生諸君には、「単位を下さい」「単位をありがとうございます」などという言葉づかいは、一切やめていただきたい。そうではなく、ただひたすら、自分の実力の向上のために、自分の潜在能力を徹底的に信じて努力・精進し、単位が認定された暁には、そのことに大いに自信と誇りを持ってもらいたいと、教員の一人として心から念願する次第である。

それとともに、私自身、教員としては、決して「単位をあげる」などという言葉づかいをしてはならないと、改めて決意するものである。

山中 優

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