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2006年7月31日 (月)

脚注修正作業が一段落

たったいま、脚注修正作業を一通り終えた。もちろん、もう一度綿密に見直して、誤りがないかどうかを丁寧にチェックする必要はあるが、ともあれ一段落ついたので、ホッとしたところである。結局、この作業にはおよそ10日間を費やしたことになる。

これと同時並行で参考文献リストを作成していったが、脚注にいちいち書いていたのをこのように一度にリストアップしてみると、英語文献でA4用紙で5ページ、日本語文献で3ページの分量になった。このリストアップ作業の前には、「自分が一体どれほどの文献を読みこなしてきたのだろう? 十分な量だったと言えるのだろうか…?」という心配もあったのだが、こうしてリストアップしてみると、結構な量になっているのが分かり、この点でも少しホッとした。これが自分のこれまでの研究の積み重ねぶりを物語っているのだと思うと、感慨深い。やはり、日々コツコツと歩いていれば、自然と結構な量になっていくのである。「塵も積もれば山となる」「継続は力なり」とはよく言ったものだと思う。

とはいえ、まだ脱稿できるわけではない。最後の最後まで油断してはなるまい。中途半端なまま脱稿して、校正段階で苦労するよりも、念には念を入れて、万全を期して出版社に提出すべきだからである。残りの作業にも全力を尽くしたい。

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2006年7月29日 (土)

実りを楽しみに待つということ

「結果を焦らずにプロセスを味わう」ということを心がけるようになったせいか、最近の私は、何を見てもそのことに引きつけて理解しようとする傾向にあるようだ。今日は、農業の様子を伝えている番組を見ているときにその傾向が現れた。

その番組というのは、今日の夜7時からテレビ朝日で放映していたもので、所ジョージが若手芸能人を呼び集め、沖縄に所有する別荘の荒地に「所ファーム」を作ろう、という内容だった。現代の若者に農業や漁業の素晴らしさを伝えようというねらいがあったらしい。この番組を妻が見ているのを、私も夕食をとりながら一緒に見ていたのである。

この番組では、沖縄の別荘という特殊なシチュエーションだけではなく、東京でも野菜を育てられますよ、というメッセージを伝えるためであろうか、東京六本木のテレビ朝日の屋上で--このシチュエーションもちょっと特殊ではあるが--お笑い芸人コンビが夏野菜(なすび、トマト、トウモロコシ)を60日間かけて育てる、というプロジェクトの様子も伝えていた。

私がこの番組を見ていて印象的だったのは、畑を荒地から作ったり、夏野菜を苗から育てたり、という過程を経ることで、現代の若者である芸人たちが、とてもイキイキしていたことである。もちろん、仕事上の演出も多々あっただろうが、それでもやはり、彼らのあの喜びようは、単なる番組の演出以上のものがあったように思う。とくに夏野菜を東京六本木という都会のド真ん中のビルの屋上で育てた芸人たちがその野菜でカレーを作って食べているときの、「おいしいーっ!!」という笑顔は、本当に嬉しそうだった。

都会に住んで消費者として暮らしていると、買い物に行けば何でもすぐに手に入るから、米や野菜を育てた農家の方々の手間暇のことをあまり考えずに、ただ当たり前のように食べるだけになりがちだ。しかし、もしも自分たちで苦労しながら育てたものなら、本当においしく感謝して食べられるだろう。そのプロセスを実際に経た後だからである。そこには苦労も多いだろうが、だからこそ、収穫の喜びも増すのである。

この農業における「実りを楽しみに待つ」ということは、およそ物事すべての成就にもあてはまる大切なことを教えてくれているように思う。それはやはり、「プロセスを経るからこそ、結果の喜びがある」ということだ。都会暮らしをしていると、そういう自然のリズムからはるかに遠ざかってしまいがちであるが、作物を育てるときの時間の流れこそが、まさに自然に合ったリズムなのではないだろうか。

私の研究においても、結果をいたずらに焦るのではなく、実りを楽しみに待つという姿勢を保ちながら、日々の積み重ねをコツコツと行なっていきたいものだと思う。もしかすると、ちょっとした家庭菜園を、手軽にできるところから始めてみるのもいいかもしれない。

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2006年7月28日 (金)

クラシック音楽奏者の集中力

7月23日の日曜日朝9時からのテレビ番組「題名のない音楽会」で、ラヴェルのボレロが取り上げられていた。その日はオープンキャンパスで日曜出勤だったので、それを録画しておいたのだが、最近はそのビデオを毎日見ている。

ご存知の方も多いと思うが、ボレロはフランスの作曲家ラヴェルによる非常に有名な作品である。演奏時間はおよそ15分、曲全体が一つの大きなクレシェンドになっており、メロディはたった2種類のみ、しかも最初から最後まで全く同じリズムである。それなのに、この曲が聞く者を飽きさせない面白さをもっているのは、管弦楽の魔術師と言われていたラヴェルがその中にさまざまな仕掛けを組み込んでいたからであるという。そのさまざまな仕掛けについて、この番組では、音楽の素人の私にもよく分かるように、やさしく解説してくれていたので、大変面白かった。名曲だけあって、何度聞いても味わい深さが増すばかりである。

ところで、この番組のビデオを見ていて、改めて感心させられたのは、演奏しているオーケストラの方々の集中力のすごさである。クラシック音楽の演奏の様子を見ていていつも魅力を感じていたのは、音楽の素晴らしさはもちろんなのだが、それに加えて、演奏者の方々が演奏中に見せてくれる、研ぎ澄まされた知的な集中力である。

すばらしい音楽を美しく表現するために、プロの演奏者の方々は、日々大変な努力をしておられるに違いない。私は音楽をキチンと習ってこなかったため、楽器は何も出来ないから、その難しさは想像するしかないのだが、とにかく楽器は全く出来ないので、ただただ驚嘆するばかりである。その努力は並大抵ではないはずなのだが、プロのクラシック演奏者の演奏の様子を見ていると、そこから伝わってくるのは、やはり“表現の喜び”である。実際、私も、ラヴェルのボレロの演奏をビデオで見ていて、感動の涙がジワッとこみ上げてくるのを抑えることが出来なかったのである。

私には音楽のことについて専門的に語る資格は全くないが、あのクラシック演奏者の方々が見せてくれる、あの知的で凛とした集中力は、私も是非見習っていきたいと強く心に思ったのであった。というのも、分野の違いこそあれ、論文を書くということも同じく“表現活動”であり、学術的なものである場合、そこにはクラシック音楽奏者の方々が見せてくれるのと同じような、知的な集中力が必要だからである。

あのキリッと引きしまった凛とした集中力を、私も自分の研究活動において、少しでも発揮していきたいと思う。

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2006年7月26日 (水)

脚注修正作業で忍耐力を発揮中

今日の午前中は自宅で仕事をしている。午後からは大学に行き、試験の採点と、会議の予定である。

自宅では、例の脚注修正作業を行なっている。文献名をいちいち挙げていたのを、参考文献リストを作っておいて、脚注では[Hayek, 1960]のように出典を書き換える作業である。

これはまことに地道な作業だ。本文を書くときとはまた違った忍耐や持続力、また緻密性が要求される。しかし、地道ながらも大変重要な作業である。というのも、注は本文中の議論を裏付ける根拠となる出典を示す場所だからである。もしも注に挙げた文献やその頁数の情報に誤りがあると、本文の論述の土台が一挙に崩れてしまう。したがって、創造性はなく一見退屈だが、非常に重要な作業である。

もしもこれを、完成を性急に追い求める心境で行なっていたら、誠にイライラする作業となっていたことだろう。華やかさのない、非常にこまごまとした仕事の連続だからだ。

しかし、その過程を楽しむ心境で取り組んでいると、また別の味わいがしてくるから不思議である。つまり、忍耐力や緻密さといった美徳を発揮できるすばらしい機会だと思えるようになるのである。そうすると、作業に取り組んでいるプロセス自体を楽しめるようになってくる。

私は基本的に冷房は使わず、扇風機を回しているだけだから、汗もいっぱいかくが、慣れるとかえってこれぐらいの方が体に力がほどよく入ってよい。冷房がついていると、生気を吸い取られていく感じがして、脱力感に襲われてしまうのである。

そんなわけで、今日の午前中には、この脚注修正作業で、忍耐を発揮することが出来たことを嬉しく思う。午後からは、採点作業で--これまたなかなか神経を使う地道な作業であるが--同じように忍耐を発揮していこうと思う。

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2006年7月24日 (月)

過程を楽しむということ

おかげさまで、体調がずいぶん戻ってきた。自然治癒力のありがたさを痛感している。

ところで、今回体調を崩した心の原因を反省してみて、今日新たに気づいたのは、「焦りすぎていた」ということである。博士論文の脱稿へ向けての最終作業の完成を、精神的に急ぎすぎていたのである。

しかし、物事の実現にはプロセスがつきものだ。段階を踏んで、ある一定の時間をかけていかないことには、物事は実現していかないのである。そのプロセスを少しでも早めよう、縮めようと、いつの間にか焦りすぎてしまっていたことが、今回のカゼひきの精神的原因だったように思う。

私の愛読書の一つに、ジョージ・レナード著(中田康憲訳)『達人のサイエンス』(日本教文社)という本がある。平成6年に発行された本だが、今でも時々ひもといて読んでみることがあるぐらい、私にとって精神的支えになっている本の一つである。

この本に書いてあることは、要するに「人生における成功や理想の実現になにか王道があるとするなら、それは終わることのない長期のマスタリーのプロセスにある」(4頁)ということだ。このマスタリー(Mastery)というのは、「初めに困難であったことが、練習や実践を重ねるにしたがい、しだいに簡単で楽しいものに変わっていく不思議なプロセス」のことである(2頁)。

要するに最近の私は、博士論文の脱稿へ向けた最終作業において、このプロセス自体を楽しむ、という心の余裕が欠けていたのである。

こう気づいてみると、心がスゥーッと軽くなった。ともするとこのプロセスが苦しみであるように思ってしまうこともあったが、これからはもっともっと、この「過程を楽しむ」ということを心がけていきたいと思う。

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2006年7月23日 (日)

体調経過報告

今日は勤務先の大学のオープンキャンパスだった。受験を考えている高校生の皆さんをお迎えするイベントであり、学生募集のために大変重要な行事である。私はそのオープンキャンパスでAO入試対策特別講座という時間を午前中に担当した。

その時間自体はほんの15分足らずだったのだが、我ながら振り返ってみて、実はかなり強い義務感をもっていたことに気がついた。カゼを引きずりながらも何とか熱意を持って役目を果たしたつもりだが、どれほどの出来具合だったのかは、参加者の皆さんからのアンケート結果を見てみなければ分からない。

午後になっても、研究室開放のために残っていたが、実はその間、腰がかなり痛くなっており、体も少しだるかった。その状態が夕方に帰宅してからも続いており、結構キツかったのだが、大変不思議なことに、腰をカイロで温めながら横になっていると、とたんにラクになったのである。この分だと、明日はもっとよくなってくれていることと思う。

家族にも心配をかけてしまい、非常に反省している。これからは、前回の記事にも書いたように、もっと大らかに構えて仕事をこなしていきたい。

ともあれ、腰を温めたとたん、体調が急速に良くなったのには大変驚いた。もしも読者の皆さんもカゼで腰が痛くなったら、どうぞお試しになってみて下さい。本当にラクになりましたので…。

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病は気から:繊細すぎる性格を反省

7/21(金)の朝起きると、のどがはれていて、頭も痛かった。どうも風邪らしい。結局、翌日の7/22(土)つまり昨日まで、自宅で休むことになった。幸い、今朝起きたときにはかなりスッキリとしていたので、もうほぼ治ったと思う。

今回の風邪は軽く済んだ。熱が出て苦しかったというわけではなかったからである。少し体がだるかっただけだ。

しかし、今回はつくづく、自分の性格を反省することになった。“病は気から”というが、私が時々風邪を引いてしまうのは、繊細すぎる性格が災いしている、ということを自覚したのである。

振り返ってみると、私はともすると義務感が強すぎて、その結果心の余裕をなくしてしまうことがある。今回は、本欄7月19日の記事でも書いた作業、すなわち博士論文の参考文献リスト作成とそれに伴う脚注修正作業への義務感が強すぎて、自分で自分に勝手に大きなプレッシャーをかけていたその心労が、ちょっとしたカゼとなって出たのである。

しかし、今回は症状は軽かったとはいえ、その軽い症状さえ、つくづくイヤになった。軽かったとはいえ、やはりシンドイからである。そのため、土曜日に参加予定だった研究会にも結局参加できなかった。これは大変もったいないことだ。体調を崩してしまうと、普段の活動がストップしてしまう。それが人に迷惑をかけることにもなるし、家族にも多少なりとも心配をかけてしまう。やはりこれはよくないことだとつくづく反省したのである。

神経が細やかなのは私の仕事上必要なことだが、あまりそれが過ぎるのはよくない。もう少し神経を図太くしてもいいように思うのである。何かやらなければならないことがある場合、やり始める前から取り越し苦労するのではなく、もっといい意味であつかましく気楽に考えて、とにかくやり始めればよいのである。着手してそれに没頭してしまえば、なんてことなく順調に進めていくことができるものだからである。

そんなわけで、これからはもっといい意味で図太い神経を持ちたいと思った次第である。

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2006年7月20日 (木)

インドでもインターネット検閲

今日の英語レッスン(ECC難波校での時事英語クラス)では、中国でのインターネット検閲の話題が取り上げられていたが、今日の英字新聞『ヘラルド朝日』には、インドでもインターネット検閲が行なわれ始めたことが報じられていた。オンライン記事のURLは次の通りである:

http://www.iht.com/articles/2006/07/19/news/blogs.php

この記事によると、インド政府は、ブログを運営しているいくつかのウェブサイトへのアクセスを遮断するよう、インターネット・プロバイダに命じた。したがって、インド国内のインターネット利用者は、指定されたウェブサイトへのアクセスができなくなってしまったのである。

インド政府はまだその理由を明らかにしていないが、テロ対策のためではないかとの憶測が流れているという。つまり、ある一定のブログはテロリストたちが作戦を調整するのに利用されうるからだというのである。インドでは金融中心都市ムンバイでテロによる列車爆破事件があったばかりだから、このような憶測がなされているのだろう(このことは、上記の記事もその書き出し部分で暗示している)。

デリーに基盤を置くブログサイトを運営しているNilanjana Royという女性の次のようなコメントがこの記事で紹介されているが、それは次のようなものであった:

「これがもしも中国、イランあるいはサウジアラビアなら分かる。しかし、これが私の国となると本当にゾッとする」(山中訳)

ここで引き合いに出されている中国では、Google、Yahoo!、MSN(Microsoft)といった米国IT企業が中国のインターネット検閲の圧力に屈したことは、読者の皆さんもご存知のことと思う。これが米国で問題視され、議会で公聴会が開かれたぐらいである(今日の英語レッスンの題材はこれがテーマであった)。実際、MSNでブログを開いていたある中国青年がある地方紙を自身のブログ上で批判したために、ある日突然、そのブログが閉鎖されてしまうという出来事も起こっているのである。ブロガーの1人として、このときのショックは相当なものだったろうと想像する。

中国もインドも、現在、経済発展に邁進中である。かつては中央計画経済志向だったのが、いまや自由市場経済を取り入れて、経済的に活気にあふれ、いわば「熱く燃えている」という点でも、この両国は共通する。

その両国で、理由の違いはあれ、インターネット検閲にやっきになっている(あるいはなろうとしている)という事態は、私の研究関心からいっても無視できない問題だと思う。というのも、私の研究テーマはハイエクの市場秩序論であるが、市場秩序のあり方を考えていくうえで、その国の政治体制の安定の度合いは非常に重要な要因の一つだからである。

ハイエク自身は主に先進国を念頭に、民主主義の行き過ぎによる福祉国家の肥大化を批判していたが、民主主義自体を否定したわけではもちろんない。原理的には自由主義と民主主義とは別々のものだから、たとえば中国のように権威主義体制下であっても市場経済は可能である。しかしながら、産業化が進むにつれて人々の政治意識が向上し、それが民主化要求へとつながっていくということも言えるのである。したがって、中国が権威主義的政治体制のままで安定し続けていられるのか、あるいは民主化を余儀なくされるのか、また民主化せざるを得ないとしてもそのプロセスが平和的なものとなるか暴力的なものとなるか…といったことが、大変重要な問題となることだろう。隣国にそのような国を持つわれわれとしても、この中国の問題は看過し得ないはずである。

他方、インドはすでに民主化されてはいるが、もしも先のムンバイでのテロが豊かになりつつあるインド経済に打撃を与えることを狙ったものだとすると、インドでの市場経済路線も決して平坦だとは言えないだろう。

以上の中国やインドの問題が今後の私の研究テーマにどのような形で関係してくるかはまだ私自身にもよく分からないが、気になるままに、今ここに書きとめておく次第である。

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2006年7月19日 (水)

補講をやはり断念:脱稿へ邁進すべし

前回の記事で「補論構想を再び模索中」と書いた。今朝早く起きて、それを試みてみたのだが、まったく恥ずかしいことに、結局、やはり断念することにした。分量を増やすために書き足そうとしても、どうしてもうまく行かなかったからである…。

長い脚注をどうするかの問題は、編集者の方との打ち合わせで決めることにして、もうあれこれと内容に関して原稿に手を加えようとすることは、今度こそキッパリとやめることにした。

この失敗は私にとって大変苦々しいものであったが、しかしながら、貴重な教訓を得ることも出来た。それは、

いったん書き上げたものは、それが念には念を入れて今の自分に書ける全てを出し切ったものであるならば、すみやかに脱稿すべし

--ということである。というのも、あまりに手元で温めすぎると、いくらでも手を加えたくなってしまうからである。

あまり手元で温めすぎると、どうも原稿が不完全に見えてきて、つい改善の手を入れたくなってしまう。しかし、そうしようとすると、新たに勉強しなければならないことが見えてくる。そうすると、中途半端なことは出来ないから、そこからまた時間がかかってしまう……こんなことをしていると、いつまでたっても出版に踏み切ることは出来なくなるのである。

そんなわけで、今朝、気持ちを完全に入れ替えた。これからは、脱稿へ向けて、推敲から校正へと、読み直す姿勢を完全に切り替えることにしたのである。

「出版に向けて体裁を整える」という観点から必要な作業は、注における参考文献の挙げ方である。原稿執筆の段階では、旧来の方式に従って、各注でいちいち著者名、書名、刊行年等を挙げていたが、最近では、巻末に一括して参考文献リストを掲げておいて、本文中の注では、たとえば [Hayek, 1960, pp. 50-51] というように、簡単な記述にとどめておくやり方も増えてきた。この方が注の記述を簡略化できるし、また一括して参考文献リストが挙げられている方が、読者としても好都合だろう。この後者の方式にするための修正作業がまだ大きな宿題として残されている。

ともあれ、いずれにせよ、「推敲モード」から「校正モード」へと切り替え、脱稿へ向けて邁進すべし!--と心に決めたのであった。補講執筆をめぐる顛末は苦々しいものであったが、どんな経験も何らかの教訓を含んでいるものであろう。この経験を今後に生かしたいと思う次第である。

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2006年7月16日 (日)

補論構想を再び模索中:全体主義の終末論的側面に関連して

本欄の「研究プロセス」のカテゴリーの記事で再三言及してきた博士論文の原稿について、去る4月24日の本欄で「補論を断念」と書いたのだが、実を言うとここ数日の間で、その補論の構想がまた別の形で浮かびつつある。

それは、ハイエクの全体主義批判に関連する論点であり、すでに原稿の脚注で触れているものである。すなわち、マルクス主義にしてもファシズムにしても、≪善と悪との闘争によるユートピアの到来≫という一種の終末論的な教義を内包していたのだが、ハイエクは全体主義のそのような宗教的(あるいは擬似宗教的)な側面を真剣に取り上げることをしていなかった、という点についてである。

全体主義のこのような擬似宗教的な側面が私にとって非常に気になって仕方がないのは何故かというと、現代イスラム原理主義のテロリズムが念頭にあるからである。

とはいえ、いわゆる「市場原理主義」がイスラム原理主義をもたらした直接の原因そのものと言い切れるかどうかは、今の私にはまだ分からない。というのも、そこにはむしろ、イスラエル寄りのアメリカの中東政策に対する反発や、イスラム諸国の権威主義的政権の不公正さに対する怒りなどが、直接的には大いに作用しているだろうからである。

私が気にしているのは、そういった直接の原因結果の関係というよりも、もっと大きな思想的文脈である。つまり、自由市場経済は決して、かつての全体主義における“政治による救済”を斥ける代わりに、いわば“経済による救済”を保証するものではない、ということである。

マルクス主義による救済の夢が幻滅に終わったとはいえ、ハイエクに代表される自由市場主義はそれに代わる救済のメッセージを与えるものではない。全員が物質的豊かさを例外なく享受できることを約束するものでは決してないのである。むしろそれは、市場競争では必ずしも努力が報われるとは限らないが、そのような“不条理”は、あたかも自然災害のごとく、誰のせいにもできない複雑現象のもたらす没人格的な社会過程の結果なのだから、その不運な境遇を甘受せよ、というきわめて冷たいメッセージをわれわれに突きつけてくるものなのである。

現代のイスラム原理主義は、池内恵『現代アラブの社会思想:終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年)によると、いまや終末論的色彩を濃厚に帯びている。そのような終末論的色彩を濃厚にしている現代アラブ社会において、かつて社会主義とセットになって唱えられてきたアラブ・ナショナリズムが衰退したからといって(かつてこの“アラブ民族社会主義”を唱導していたのがエジプトのナセルであった)、また社会主義圏が1990年代初頭に至るまでに崩壊したからといって、それに代わるものとして、きわめて散文的な自由市場経済が冷戦終了後にアラブ世界に急激に導入されたとしても(※)、それは終末論の夢からアラブの民衆を醒まさせるだけの思想的な力を持つことはできなかっただろう。そのような思想的限界が、実はハイエクの全体主義批判における上述の欠点の中に、すなわちマルクス主義が実は持っていた終末論的側面を真剣に取り上げることをしなかったという欠点のうちに潜んでいたのではないか、という気がしてならないのである。

(※)IMFの主導による市場経済のアラブ世界への急激な導入とそれがもたらした結果については、宮田律(2001年)『現代イスラムの潮流』集英社新書、pp. 78-85を参照。

それにしても、このようなことを補論の題材として、なぜ改めて考え直し始めたのかというと、上述のテーマについて触れた脚注の文章が、脚注にしては非常に長い、ということである。読者にとっての読みやすさという観点からすれば、もしかすると長い脚注は敬遠されるかもしれない。

ところがこの文章は脚注にしては長いのだが、本文中に組み入れるにはやや物足りない分量である。要するにこのトピックの扱い方が、どうも中途半端に終わっているような気がしてきたのである。春学期の授業が一段落して、改めて読み直し始めてみると、そのような気がしてくるのだった。それならば、いっそのこと補論として独立させ、分量をそれなりに整え直した方がよいのではないか、と思えてきたのである。

編集者の方との本格的な出版に向けての打ち合わせは、先方とこちらの双方の都合から、8月に入ってからということになっているから、その前に補論を書き始めてみたいと思っている。うまくいくかどうかはやってみないと分からないが、とにかくトライしてみようと思う。きわめてchallengingなテーマであることは間違いないのだから…。

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2006年7月14日 (金)

今学期の授業を終えて

来週水曜日に組まれている補講1コマのみを残して、今日で春学期の授業を終えた。週7コマの授業が13サイクルだったから、7×13=101コマの授業を本来なら行なってきたことになる。

しかし、現実には98コマだった。というのも3コマ分、少し体調を崩して休講してしまったからである。そのうちの1コマは来週水曜日に補講をすることになるが、それを加えても99コマである。こうして計算してみると、どうせなら100コマにしておけばよかったと、ちょっと惜しい気がする。

それでも、平成10年4月から教え始めて以来、今学期が最も休講の少ないセメスターだったように思う。昨年度までは、いつも4コマぐらいは補講をしてきたからだ。しかし、こうして振り返ってみると、毎学期、少しずつではあれ必ず休講してきたことを、恥ずかしく思う。

プロ野球の世界で連続試合出場や連続イニング出場といった記録がある。そうした記録を残してきたのは、みな偉大な選手ばかりであった。だから私も授業シーズン中の準備や体調管理をもっと万全にして、連続授業記録を伸ばしていくことを励みに、来学期からはコンスタントに授業をしていきたいと思う。

さて授業内容自体については、受講者諸君からの授業評価アンケートに書かれていた自由記述欄には、おおむね好意的なことが書かれていたので、ほぼ満足していただけたのではないかと考えている。

しかし、まだまだ改善の余地はありそうだ。とくに英書講読は、正直、手探りの状態が続いている。中学・高校と英語を苦手としてきた受講者が多い中で、いかにして英語を読む面白さを伝えることが出来るかが、教育者としての私にとって、現在最も大きな課題である。

ともあれ、補講1コマを残して、今学期の授業を終えた。政治学概論の受講者諸君は筆記試験に向けての試験勉強に、基礎演習(教養)と総合演習(教職)の受講者諸君はレポートの作成に、そして英書講読の受講者諸君には夏休み中の英語の練習に、励んでもらいたいと切に願う次第である。

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2006年7月13日 (木)

ジダンの頭突き

ここのところ調子がおかしかったニフティのブログサービス(ココログ)がようやく復旧したようなので、本欄の更新を再開することにしよう。

先日のドイツワールドカップサッカー決勝戦(仏対伊)で、きわめてショッキングなことが起こったことは、読者の皆さんもご承知のことと思う。例の“ジダンの頭突き”である。1対1のまま延長戦に突入し、その延長戦後半もあと10分を残すのみとなったところで、この決勝戦を最後に現役を退くことを表明していたフランス代表のキャプテンが、イタリアのディフェンダー(マリオ・マテラッティ)の胸部に強烈な頭突きを見舞ったため、あろうことか、退場処分を受けてしまったのである。現代サッカーの最も偉大なプレイヤーの1人と称えられてきたミッドフィールダーがその現役生活の最後を締めくくるにはあまりにも悲しい出来事だったことは言うまでもない。

それ以来、この出来事の真相をめぐって色々な情報が報道されてきているから、読者の皆さんもよくご存知のことと思う。なかでも、人種差別的な発言が、アルジェリア生まれの移民の息子という出自を持つジダンに対して投げつけられたとの説があるが、もしもこれが本当だとしたら、ジダンの暴力行為自体はもちろん許されることではない(実際ジダン自身もそう語っていた)とはいえ、そのような挑発的な侮辱発言を行なった側にもしかるべき処分が下されるべきであろう。ともあれ事の真相についてはFIFAが調査に乗り出したということだから、われわれとしては、その調査結果を待つほかはあるまい。

それよりも私が今日ここで書いておきたいのは、その一連の報道で事実として伝えられているものの、その妥当性についてはこれまでのところ全く疑問視されていないと思われる、ある一つのことについてである。

この場面で二人の間で不穏な言葉のやり取りが行なわれ、結局あのような行為に帰結してしまった、その最初のキッカケは何だったか? それは「ユニフォームをつかむ」という行為だった。つまり、イタリアのゴール前で競り合いをしているときに、マテラッティがジダンのユニフォームをつかんだことから、この二人の間での険悪な言葉の応酬が始まってしまったのである。

私がこれを機会に世界のサッカー界全体で是非とも考え直してもらいたいことは、この「相手のユニフォームをつかむ」という行為に対して、もっと厳正に対処することである。というのも、この汚い行為が世界のトップレベルで堂々と行なわれてしまっているがゆえに、たとえば学生がサッカーをするときなどにも、「審判が見ていなければ、少々のことは、勝つためには行なってもよい、否、むしろ大いに行なうべきことである」というように当然視されているほど、この行為が蔓延してしまっているからである(このような考えを、サッカー部の顧問をしている私が、試合の際、ある一人の学生部員が言っているのを傍らで実際に聴いたのである…!)。

私が憂慮しているのは、「人が見ていないところだったら、少々悪いことでも、やって構わない、むしろ自分だけやらないのは損だ」という風潮が--すなわち「正直者がバカを見る」という事態の蔓延が--サッカーの世界のみならず、社会のさまざまな場面で見られることである。

私の担当科目の一つの政治学概論(名張)におけるトピックの一つだった「ただ乗り」問題も、結局は、「バレないのなら、自分だけ抜け駆けして、ズルイことしてしまえ…」という発想が原因である。信号無視しかり、スピード違反しかり、飲酒運転しかり、産廃物の不法投棄しかり、タバコやゴミのポイ捨てしかり…と挙げればキリがない。

この一つ一つの違反行為を取り上げてみれば、たしかにその一つ一つは些細なことにすぎない。しかし、怖いのはその積み重ねである。信号無視やスピード違反の常習化が交通死亡事故を招く。私の父は去年の4月、スピード違反の自動車に跳ね飛ばされて死亡したのである。また産廃物の不法投棄が深刻な環境破壊を招くことは今さら言うまでもあるまい。

政治学概論(名張)の受講者諸君に思い出してもらいたいことは、この「ただ乗り」問題が発生する“公共財”の場合、みんなが自分だけ抜け駆けしようとした結果、結局、みんなが必要とするはずのサービス(例えば夜道の街灯)が提供されなくなってしまうという、まことに愚かな結果に終わってしまうということである。ちょっとしたことの積み重ねが、大変な結果を招いてしまうのである。

サッカーに話を戻せば、現在のサッカーでは「ユニフォームをつかむ」という行為が、ともすると黙認されている傾向にある。たしかにそれ自体はささいな行為かも知れない。しかし、そのちょっとしたことがキッカケで、現代サッカー最高峰の選手の輝かしい経歴に拭いがたい汚点を残させてしまったことを思うと、「悪いことでも見られていなければやってもかまわない」という考え方は、むしろ些細なものにとどまっているうちから、その芽を摘んでおくことが必要なのではなかろうか? さもなければ、今後のサッカーにおいても、このちょっとしたことを契機とした実にさまざまな選手同士のトラブルが頻発する気がしてならない。また、「人がやっているのなら、自分もやらなきゃ損だ」という発想が、サッカーをしている子どもの生活にも悪影響を及ぼす恐れがあるように思えてならないのである。

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2006年7月 7日 (金)

私の“学びの故郷”京都

昨日、ある国際シンポジウムに参加するため、久しぶりに母校の京都大学を訪れた。別の用事が実はあったのだが、そのシンポジウムのことをつい最近に知って急いで予定を調整し直すなど、少しあわただしい参加となった。その国際シンポへの参加記事はまた日を改めて本欄に書くつもりであるが、今日ここに書いておきたいことは、今回の母校訪問で感じた大変懐かしい思いについてである。

私が京大に身を置いていたのは、ちょうどまる10年間であった。学部生時代4年間、大学院生時代5年間(修士課程2年+博士課程3年)、それに助手時代1年間である。一浪して入学したあと、19歳から29歳に至るまで、ほぼ20代のすべての年月を、京都で過ごしたことになる。

「久しぶりに」とは言っても、前回訪れたときから、月日それ自体は実はそれほど隔たっていなかった。というのも、つい4ヶ月ほど前にもここに来ていたからである。それに、これまでも年に幾度かは研究会に参加するために訪れているから、母校を訪れる頻度自体は、決して少なくはないはずだった。

ところが、今回の場合は、それまでとは不思議と趣が異なっていた。というのも、今回はそれ以前とは違って、私が学生時代にここで過ごした日々のことが、非常に懐かしく思い出されたからである。

「どうして今日はこんな気持ちになるのだろう…」と考えていると、ほどなくして、その理由が分かった。それは今回の訪問が土曜日ではなく、木曜日すなわち平日だったからである。

研究会というのはほぼ例外なく、土曜日(あるいは日曜日、要するに週末)に行なわれる。そうでなければ、参加者それぞれの勤務大学での授業のために、研究会に参加しにくいからだ。週末だから、キャンパス内は人がまばらで、平日のような活気は見られない。

ところが、今回参加した国際シンポジウムは、珍しく平日に開かれていた。そして幸いなことに、このシンポジウムがスタートした木曜日は、私の授業が組まれていない唯一の平日だったのである。この国際シンポは木・金の二日間にわたって行なわれるものだったが、私は授業のため、木曜日のみの、それも午後からはまた別の用事があったので、午前中だけの参加となった。それでも、平日の京大吉田キャンパスでひとときを過ごしたことは、私の心のうちに、非常に懐かしい思いをこみ上げさせたのである。

午前9時から受付開始だったため、少し早めの8時半に到着できるように会場へと向かったのであるが、ちょうどその時間は、学生たちがキャンパスに向かって登校している最中だった。京都市左京区の百万遍の交差点で信号待ちをしていると、自転車に乗った学生たちがたくさん私の周りに止まっていた。信号が青に変わると、その自転車の列が一斉にキャンパスに向かって走り出す。私も同じように自転車に乗って、かつてこのキャンパスに通ったものだ。

キャンパスに入ると、大学生協の中央食堂がすでに開いている。下宿生の朝ごはんのために朝8時からあいているのも以前の通りである。工学部8号館の地下にあるこの食堂に入ると、そのすぐ右横に喫茶コーナーがある。「ちょっとモーニングコーヒーでもいただくか」と立ち寄ってみる気になった。

ここに立ち寄るのは、本当に久しぶりだった。おそらく、私が8年前に京大を離れて以来のことである。すると、その喫茶コーナーで働いていた生協の女性パート職員の方が、あの時と同じように今も元気に働いておられたのである。幸いお互いに顔を覚えていて「いやぁ、久しぶり~!」と挨拶をし、ほんの少しの時間だったが、会話を交わせたことも、大変懐かしかった。

昼食後に立ち寄った京大西部生協「ルネ」1Fにある生協書籍部も、相変わらず充実した品揃えであった。陳列された冊数だけで言えば、他の大型書店(ジュンク堂、旭屋書店、丸善など)よりもはるかに少ないが、並べられている本の種類に、何ともいえない味があるのである。私が訪れたときには百万遍に京都支店を構えている有斐閣が「15%引きフェア」を開催中であったが、そこにズラリと並べられた学術書や教科書類は、他の大型書店ではなかなかみられない、京大の教員および学生を相手とした独特の品揃えだったことも、大いに見応えがあった。

吉田キャンパスをあとにする前に、学生時代よく通ったカレー&コーヒーショップ“HOME TOWN”のあったところに立ち寄ってみた。「まだやってるかな…」と実はちょっと不安な気持ちを抱きながらである。というのも、私がここを離れてからの8年間で、百万遍界隈の店並びが、ずいぶん様変わりしてしまっていたからである。百万遍にマクドナルドができたのを見たときにも驚いたが、今回来てみるとモスバーガーもできていた(ひょっとすると、すでに出来ていたのを見逃していただけかもしれないが)。私が学生時代に時々行っていたこの界隈の食堂も、そのうちのいくつかはすでに別の店に変わっている。だから、「あの“HOME TOWN”はどうかな…」と思っていたのである。

ところが嬉しかったことに、行ってみると、見覚えのある看板が立てられていた。今も元気に店を開いておられたのである。店に入ってから「マスター!」と声を掛けると、向こうもすぐに「おぉ~!久しぶり!!」と喜んでくれた。時間があまりなかったので、ホットコーヒーをいただいただけで立ち去ることになったが、学生時代にここでゆっくりと時間を過ごしたときの思い出がしみじみとこみ上げてきたのである。

ここ京都大学吉田キャンパスは、私が20代の10年間に過ごした“学びの故郷”である。特に大学院生時代の5年間は、私の人生の中で一番大きな挫折感を味わった時代だった。またそれは、その挫折から歯を食いしばって立ち上がり、石にかじりついてでも一人前になろうと、勉強に没頭した時代でもあった。自分に対する自信をほとんど失いかけた時代であり、またそれでもなお自分の可能性に最後の最後まで賭けてみようと必死の思いで頑張った時代だったのである。

その“学びの故郷”京都であの頃のことを思い出し、あまりにも懐かしい思いで熱いものが心の中にこみあげてくるのを覚えたのだった。今では多少の余裕を持って、がむしゃらにというよりは、いい意味で着実に、ゆとりをもって研究を積み重ねていくことができているが、あのときのことは忘れずに、また新たな気持ちで研究にいそしんでいこうと決意したのである。

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2006年7月 5日 (水)

今年の健康診断結果

今年の6月13日に受けた定期健診の結果が(1週間ほど前に)出た。幸い、胸部X線・尿検査・血圧などに異状はなかったので、昨年同様、大きな病気の心配はなさそうである。私はタバコは吸わないし、お酒も必要な機会以外はほとんど飲まないので(飲むときも、私の体の受け付けるアルコール量はせいぜいビールをコップに2~3杯程度に過ぎない…)、その点でも健康を維持できているのはありがたい限りである。

指示・指導コメントとして載せられていたのは、「やせぎみです。好き嫌いはありませんか。体重の変動に注意しましょう」というものだった。これも、昨年と全く同じコメントである。たしかにもう少し体重はあってもいいかもしれない。だが、「〔食べ物の〕好き嫌い」に関しては、もしもそれが「肉類も食べましょう」という意味だとしたら、肉食に戻る気は毛頭ない(私は25,6歳の頃から肉食をやめてしまったのである)。魚はまだ食べるが、一番好きなのは、野菜に穀類、それに果物である。ヨーグルトも毎日よく食べている。昨年同様、この食生活を変えるつもりはない。

しかし、一つだけ、昨年とは違う結果がでていたので「おやっ?」と思ったことがある。それは、「ブレスローの評価点」が、昨年の5点から、今年は4点に下がっていたことである。「あれっ? 去年は10点満点の5点だったのに、今年は4点に下がってしまった。これはいかん…!」と少し慌ててしまった。

本欄の昨年7月1日の記事(「健康診断結果に一喜一憂…」)で書いたとおり、私はこのブレスローの評価点を10点満点だとばかり思っていた。昨年はその10点満点で5点だと思っていた。そして、それを大学での定期試験で言うと、単位認定に最低限必要な6割に達していないから、次回は6点を目指すぞ!--と決意したのである。

しかし、昨年の7月1日に掲載したもう一つの記事で「運動不足解消宣言」をしておいたにもかかわらず、実を言うと、それ以来運動不足は解消できていなかった(せいぜい、昨年までと同様、相変わらずエレベータやエスカレータではなくて階段を使うようにしていたぐらいである)ので、「今年も5点のままかな…」と思っていたのである。それが「4点」と下がっていたので、慌ててしまったというわけである。

ところが、説明をよくよく読んでみると、実はこれは「7点満点」だった。昨年はこの7点満点中5点だったのである。今年はそこから1点下がってしまったが、7点満点中の4点なら、まぁ、自分としては許容範囲だな…と思い、少し安心した。

ちなみに、健康診断結果の通知書に書いてある説明によると、この「ブレスローの評価点」というのは、アメリカ・カリフォルニア大学のブレスロー教授が示した「7つの生活習慣」に基づいており、この7つの生活習慣のうち実施している数が多いほど、疾病の罹患が少なく寿命も長かったことが明らかにされたそうである。その「7つの生活習慣」として挙げられているのは、次の7項目であった:

①7~8時間の睡眠をとる。
②朝食は毎日とる。
③間食をしない。
④適正体重(標準体重比±10%以内)を維持する。
⑤定期的に運動する。
⑥煙草は吸わない。
⑦過度の飲酒はしない。

この7項目について、1項目を1点として計算し、満点が7点となるのだそうである。目指すべきは6点以上とされている。

そうすると、おそらく昨年足りなかった項目は④と⑤である。今年はそれに加えて①も足りなかったのかもしれない。というのも、だいたいの睡眠時間として、たしか「6~7時間」と今年は答えたからだ。

私自身は睡眠は「量より質」だと思ってるフシがあるので、「8時間は寝なければ…!」とは必ずしも思っていないのだが、いずれにせよ、適度な質のよい睡眠は必要だと思う。私の理想は「10時就寝、5時起床」なのだが、就寝時間がそれよりも遅くなってしまいがちだったので、これからは「10時就寝」を極力徹底したいと思う。

昨年来の課題は、しかしながら、やはり④の適正体重と⑤の定期的な運動である。④の「標準体重比±10%以内」に対して、私の場合は標準体重比-17%であった。しかし昨年は-20%だったから、少しは改善していることになる。ここ1,2年は、夏にも食欲は落ちなくなったから、これについては今後も少しずつ標準体重に近づいていくことだろう。

したがって、私の最大の課題は、何といってもやはり、⑤の“適度な運動”である。来年の定期健診に向けては、これを何としてもクリアーしたい。

今の私にとって、そのための最良の選択は、家から最寄の駅(近鉄大和八木駅)まで、歩いていくことだ。徒歩で25分かかる距離だから、健康を維持するための適度な有酸素運動としては、ちょうどいいだろう。普段は自転車で駅まで行っているのだが、これは昨年も実はいったんは決意したのだが、週二、三回は歩いていくようにしたい。そうして、足腰と心肺機能を今よりも向上させ、もっともっと元気よく、仕事に取り組んでいける体力をつけたいと思う次第である。

読者の皆さんも、規則正しい生活をして、どうぞ健康で元気に毎日をお過ごし下さい。

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2006年7月 4日 (火)

政党制の衰退・変容の一例:滋賀知事選で環境派の女性知事誕生

伊勢キャンパス政治学概論の受講者諸君へ

名張の政治学概論の学生諸君に向けての時事的・専門的な話題は一時中断しているが、これまで伊勢の学生諸君へのそうした話題提供は、少なくとも授業で取り上げたばかりの内容に関する話題をタイムリーにお伝えするという点においては、もしかすると必ずしも十分とは言えなかったかもしれないので、今回は、ちょうど昨日の授業で取り上げた話題に関連するニュースについて、少しコメントを加えておくことにしたい。

昨日の新聞各紙朝刊は、滋賀県の知事選挙で環境派の女性知事が新しく誕生したことを報じている。JR東海道新幹線の新しい駅やダム建設など、大型公共事業の推進で支持を訴えた現職を破っての当選である。当選した嘉田由紀子氏(京都精華大教授・環境社会学)は、この新幹線の新駅の建設や琵琶湖流域河川ダムの建設といった大型公共事業の凍結を公約に掲げていたという。

このことは、政治学概論(伊勢)のテキスト『新版 現代政治学』(有斐閣、2003年)のpp. 139-141に書かれている「政党制の衰退あるいは変容」の内容を示す一例だと言えるだろう。このテキストの139ページには、このように書かれている:

〔1970年代以降の〕投票行動が〔保守・左翼の対立軸に基づく〕安定的な政党支持態度にもとづくものというより、時々の争点や、それに対する政党の政策の影響によって変わりやすい争点投票(issue vote)の性質を強く帯び始めたのである。

また、同テキスト140ページには、このような現象が生じた背景の一つとして、次の点が挙げられている:

雇用・所得といった物質的価値の重視、組織中心の活動などを特徴としてきた産業社会型の政党政治が、環境・自己決定・参加などを争点とする脱産業社会の「新しい政治」の感覚とかみ合わなくなった。

今回の滋賀知事選で敗れた現職候補が自民・民主・公明3党の推薦を受けていたことを思うと、上記のテキストからの引用文で述べられていることが、まさに当てはまると言えるだろう。というのも、昨日の産経新聞朝刊によると、県財政が危機に直面する中、新人候補の嘉田氏はハコものなどハード面の支出を見直して教育や福祉などソフト面の充実を主張したという点で、新駅の経済効果やダムの必要性を訴えた現職知事と全く対照的であり、そうすることで県議会与党の自民・民主の支持層の一部も取り込んだからである。

同紙によると、現職知事の推進してきた大型公共事業に対しては、自民や民主などの推薦政党からも「県民への説明責任を果たしていない」と批判が出ていたというから、現職知事はこれまでよほど強引な手法で公共事業を進めてきたのだろう。財政規律もかなり緩んでいたにちがいない。現に今朝の産経新聞「産経抄」によると、県債残高は約9,000億円で、これは県民一人当たり60万円以上もの借金を抱える勘定になるという。昨日の産経新聞夕刊によると、新駅の建設費約240億円を地元自治体が負担することになっていたそうだが、このような税金の使い方を、嘉田氏は「もったいない」と訴えていた。そのような税金の無駄遣いのひどさに対する反発の声が、環境派の新人女性候補を押し上げたのである。

もっとも、こうした今回の滋賀知事選のような事態が全国に今すぐ急速に広がっていくとは、必ずしも言えないかもしれない。というのも、今回の滋賀県の場合は、現職知事がおそらくはかなり強引に大型公共事業を推し進め、あまりにも税金を無駄遣いしてきたために、それに対する疑問の声が推薦政党の内部ですら挙がっていたという特殊な事情が働いているからである。また、新知事のもとでどのような県政が進められていくか、どこまで利益誘導政治が是正されるかについても、今後の推移に注目しておかねばなるまい。

とはいえ、今回の滋賀知事選の結果は、今後の地方選挙に大なり小なりインパクトを与えたことは間違いないだろう。既存政党は、今後も引き続き、脱産業社会の新しい政治への適応を余儀なくされていくに違いない。

山中 優

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