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2006年7月19日 (水)

補講をやはり断念:脱稿へ邁進すべし

前回の記事で「補論構想を再び模索中」と書いた。今朝早く起きて、それを試みてみたのだが、まったく恥ずかしいことに、結局、やはり断念することにした。分量を増やすために書き足そうとしても、どうしてもうまく行かなかったからである…。

長い脚注をどうするかの問題は、編集者の方との打ち合わせで決めることにして、もうあれこれと内容に関して原稿に手を加えようとすることは、今度こそキッパリとやめることにした。

この失敗は私にとって大変苦々しいものであったが、しかしながら、貴重な教訓を得ることも出来た。それは、

いったん書き上げたものは、それが念には念を入れて今の自分に書ける全てを出し切ったものであるならば、すみやかに脱稿すべし

--ということである。というのも、あまりに手元で温めすぎると、いくらでも手を加えたくなってしまうからである。

あまり手元で温めすぎると、どうも原稿が不完全に見えてきて、つい改善の手を入れたくなってしまう。しかし、そうしようとすると、新たに勉強しなければならないことが見えてくる。そうすると、中途半端なことは出来ないから、そこからまた時間がかかってしまう……こんなことをしていると、いつまでたっても出版に踏み切ることは出来なくなるのである。

そんなわけで、今朝、気持ちを完全に入れ替えた。これからは、脱稿へ向けて、推敲から校正へと、読み直す姿勢を完全に切り替えることにしたのである。

「出版に向けて体裁を整える」という観点から必要な作業は、注における参考文献の挙げ方である。原稿執筆の段階では、旧来の方式に従って、各注でいちいち著者名、書名、刊行年等を挙げていたが、最近では、巻末に一括して参考文献リストを掲げておいて、本文中の注では、たとえば [Hayek, 1960, pp. 50-51] というように、簡単な記述にとどめておくやり方も増えてきた。この方が注の記述を簡略化できるし、また一括して参考文献リストが挙げられている方が、読者としても好都合だろう。この後者の方式にするための修正作業がまだ大きな宿題として残されている。

ともあれ、いずれにせよ、「推敲モード」から「校正モード」へと切り替え、脱稿へ向けて邁進すべし!--と心に決めたのであった。補講執筆をめぐる顛末は苦々しいものであったが、どんな経験も何らかの教訓を含んでいるものであろう。この経験を今後に生かしたいと思う次第である。

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