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2006年7月16日 (日)

補論構想を再び模索中:全体主義の終末論的側面に関連して

本欄の「研究プロセス」のカテゴリーの記事で再三言及してきた博士論文の原稿について、去る4月24日の本欄で「補論を断念」と書いたのだが、実を言うとここ数日の間で、その補論の構想がまた別の形で浮かびつつある。

それは、ハイエクの全体主義批判に関連する論点であり、すでに原稿の脚注で触れているものである。すなわち、マルクス主義にしてもファシズムにしても、≪善と悪との闘争によるユートピアの到来≫という一種の終末論的な教義を内包していたのだが、ハイエクは全体主義のそのような宗教的(あるいは擬似宗教的)な側面を真剣に取り上げることをしていなかった、という点についてである。

全体主義のこのような擬似宗教的な側面が私にとって非常に気になって仕方がないのは何故かというと、現代イスラム原理主義のテロリズムが念頭にあるからである。

とはいえ、いわゆる「市場原理主義」がイスラム原理主義をもたらした直接の原因そのものと言い切れるかどうかは、今の私にはまだ分からない。というのも、そこにはむしろ、イスラエル寄りのアメリカの中東政策に対する反発や、イスラム諸国の権威主義的政権の不公正さに対する怒りなどが、直接的には大いに作用しているだろうからである。

私が気にしているのは、そういった直接の原因結果の関係というよりも、もっと大きな思想的文脈である。つまり、自由市場経済は決して、かつての全体主義における“政治による救済”を斥ける代わりに、いわば“経済による救済”を保証するものではない、ということである。

マルクス主義による救済の夢が幻滅に終わったとはいえ、ハイエクに代表される自由市場主義はそれに代わる救済のメッセージを与えるものではない。全員が物質的豊かさを例外なく享受できることを約束するものでは決してないのである。むしろそれは、市場競争では必ずしも努力が報われるとは限らないが、そのような“不条理”は、あたかも自然災害のごとく、誰のせいにもできない複雑現象のもたらす没人格的な社会過程の結果なのだから、その不運な境遇を甘受せよ、というきわめて冷たいメッセージをわれわれに突きつけてくるものなのである。

現代のイスラム原理主義は、池内恵『現代アラブの社会思想:終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年)によると、いまや終末論的色彩を濃厚に帯びている。そのような終末論的色彩を濃厚にしている現代アラブ社会において、かつて社会主義とセットになって唱えられてきたアラブ・ナショナリズムが衰退したからといって(かつてこの“アラブ民族社会主義”を唱導していたのがエジプトのナセルであった)、また社会主義圏が1990年代初頭に至るまでに崩壊したからといって、それに代わるものとして、きわめて散文的な自由市場経済が冷戦終了後にアラブ世界に急激に導入されたとしても(※)、それは終末論の夢からアラブの民衆を醒まさせるだけの思想的な力を持つことはできなかっただろう。そのような思想的限界が、実はハイエクの全体主義批判における上述の欠点の中に、すなわちマルクス主義が実は持っていた終末論的側面を真剣に取り上げることをしなかったという欠点のうちに潜んでいたのではないか、という気がしてならないのである。

(※)IMFの主導による市場経済のアラブ世界への急激な導入とそれがもたらした結果については、宮田律(2001年)『現代イスラムの潮流』集英社新書、pp. 78-85を参照。

それにしても、このようなことを補論の題材として、なぜ改めて考え直し始めたのかというと、上述のテーマについて触れた脚注の文章が、脚注にしては非常に長い、ということである。読者にとっての読みやすさという観点からすれば、もしかすると長い脚注は敬遠されるかもしれない。

ところがこの文章は脚注にしては長いのだが、本文中に組み入れるにはやや物足りない分量である。要するにこのトピックの扱い方が、どうも中途半端に終わっているような気がしてきたのである。春学期の授業が一段落して、改めて読み直し始めてみると、そのような気がしてくるのだった。それならば、いっそのこと補論として独立させ、分量をそれなりに整え直した方がよいのではないか、と思えてきたのである。

編集者の方との本格的な出版に向けての打ち合わせは、先方とこちらの双方の都合から、8月に入ってからということになっているから、その前に補論を書き始めてみたいと思っている。うまくいくかどうかはやってみないと分からないが、とにかくトライしてみようと思う。きわめてchallengingなテーマであることは間違いないのだから…。

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