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2006年8月 6日 (日)

あともう一息

例の最終点検作業がおかげで今日も順調に進み、あともう一息というところにまで漕ぎ着けた。具体的に言うと、論文草稿は序章+四章+終章の計六章と、2つの補論とからなっているのだが、最後の終章と2つの補論を残すのみとなったのである。

今日判明して大変うれしかったことは、いつのまにか分量が原稿用紙400枚に達していたことだ。本欄1月9日の記事で書いたように、その時点では「ほぼ350枚」だった。ところが、今回の最終作業の過程で自然と気づいて書き足していくうちに、(7月末に書けた2つの補論も含めて)いつの間にか念願の400枚に達していたのである。以前に補論で苦しんでいるときにはなかなかそこまで到達できなかった。今思えば「400枚」という数字に執着しすぎていたのかもしれない。ところが今回はそのことを気にせずに自然体で書き足していくうちに、いつの間にか400枚に到達していたのだから、不思議なものである(ちなみに1月9日の記事のタイトルを「博士論文草稿完成」としていたが、今考えると、まだそのときはまだ完成していなかったのである)。

今回の作業のヤマは、論文の箇所で言うと第2章と第3章、日付で言うと昨日と今日だったように思う。実際、今日第3章を終えた後、第4章は大変スムーズに進んだ。おそらく最大のヤマは越えたと思う。

それにしても、昨日今日の二日間で嬉しかったことは、ヤマを越えられたという結果もさることながら、その過程で粘り強さを大いに発揮できたことだ。たしかになかなかキツかったのだが、それと同時に、「自分はこんな風に粘り強く、こんなにも根気よさを発揮できる力があったんだ」と思うと、それが非常に嬉しかったのである。

私の愛読書の一つに『光明の生活法』(谷口雅春著、新版平成8年発行、日本教文社)という本があるが、その本のなかに次のような一節がある:

生命の本来の面目は自由自在なところにある。しかし自由が自由とわかるのは自由がただ障礙(しょうがい)を破ったときにおいてのみである。剣の名手は敵者があらわれてはじめて自分の自由を現実にすることが出来るのだ。水は平地にたたえられている時はまだその自由は潜んでいるに過ぎないのである。それが逆境の上に置かれるとき何物をも押し流す自由を得るのだ。(212~213頁)

また同書の巻頭言にはこんな一節もある:

兄弟よ、海の波が巌(いわお)にたわむれるように、困難にたわむれよう。猿が木の幹を攀(よ)じのぼるのをたのしむように困難を楽しんで攀じのぼろう。もし軽業師(かるわざし)が綱の上を渡らないで、平坦な大道を歩くだけならば誰も喝采(かっさい)する者はないであろう。梅の花は烈々たる寒風の中で開くので喜ばれるのだ。〔中略〕盤根錯節(ばんこんさくせつ)は『生命』がたわむれるための一つの運動具である。諸君はスキーを多難だと云うか。登山を不幸だと云うか。ゴルフを艱難(かんなん)だと云うか。競泳を悲惨だと云うか。如何なる苦しみも戯(たわむ)れに化するとき人生は光明化し、そこから剛健なる無限の生命力が湧いて来る。

思えばこの博士論文の執筆作業は、まさに困難そのものだった。まだ感慨にふけるのは早いが、それにしてもここまでの歩みを振り返ってみるとき、上記の引用文にもあるように、まさに“困難にたわむれる”ことの喜びをしみじみと味わうことができたのである。

結果もさることながら、それを目指す努力の過程で発揮されていくさまざまな美徳(粘り強さ、根気よさ、忍耐力、明るさ、愛深さ等々)の開発、すなわち自分に宿っているはずの多様な潜在能力の開発を楽しみにして、これからも日々努力を重ねていきたいと思う。

ともあれ、論文完成まで、あともう一息だ。明日も頑張ろう!

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