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2006年9月11日 (月)

9/11の5周年の日に考える(1)

2001年9月11日の米同時多発テロから今日でちょうど5年が経った。あの日以来、ブッシュ政権の推し進めてきた“対テロ戦争”は現在も継続中だが、そのような中でブッシュ大統領は、9月5日、米国軍将校協会の会合で演説し、アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンをレーニンやヒトラーになぞらえたという(このことはいろいろなところで報道されているだろうが、私が直接確認したのは、こちらのgooニュースの記事によってである)。

つまり、ブッシュ大統領は、かつて二十世紀にアメリカ主導の自由主義文明に対抗したファシズムや共産主義に言及しつつ、現在の対テロ戦争を二十世紀的なイデオロギー対立と同等のものと見なすことによって、米国民に対テロ戦争の正当性を訴えようとしている、というわけである。ブッシュ大統領にとって、オサマ・ビン・ラディンは、ファシストであり、全体主義者だというわけである。

私には、このブッシュ大統領の演説が、本気でそう信じた上でなされたものなのか、それとも対テロ戦争に大義名分を持たせるための単なる修辞として用いられたものなのか、ということについては分からない。この点について正確に判断するための材料を現在の私は持たないので、これについての安易な断定は慎まねばなるまい。

また、はたして本当にオサマ・ビン・ラディンが、政治思想上の正確な意味で「ファシスト」であり「全体主義者」と呼べるかどうかについても、ここで問うことはしないでおこう。

だが、いずれにせよ、ひとつだけ確かだと私に思われ、また非常に気になることがある。それは、このブッシュ大統領の演説に見られる論調は、かつて父ブッシュ元大統領が冷戦終結時に声高らかに「新世界秩序」を唱えたときの自信に満ちあふれたそれとは、明らかに異質のものだということである。

たしかに「アメリカ流の自由民主主義を世界に広めるべし」というメッセージは、1918年1月に当時の米ウィルソン大統領によって発せられたいわゆる「十四ヶ条」以来、歴代のアメリカ大統領によって繰り返し掲げられてきたものであり、父ブッシュ元大統領も現在のブッシュ大統領もこの点で変わりはないことは、間違いないだろう。

しかしながら、私にとって気になるのは、かつての父ブッシュと異なって、現在のブッシュ大統領の場合、危機意識がはるかに強くなっている分だけ、そのメッセージがきわめて攻撃的なものとなっているということである。

それがきわめて攻撃的で、あまりにも強引なものと映るがゆえに、多かれ少なかれ非欧米諸国からの反発を招いていることは、いまさら述べるまでもないだろうが、私が懸念しているのは、たとえその攻撃的な姿勢が曲がりなりにも功を奏して、これからも引き続き米国流の自由民主主義が米国の主導によって非欧米諸国に押し広められていくとしても、それが果たして本当に非欧米諸国の人々が心底から受け入れるものとなりうるか?--ということである。

特に私が気にしているのは、アングロ=サクソン流の自由市場経済が強引に押し広められようとした場合のことである。

私自身の研究関心に引きつけて思考をめぐらせることを許していただけるとすれば、ここで私が念頭に置いているのは、やはりハイエクである。とくにその1960年の著書『自由の条件』のことが私の頭に浮かんでくる。というのも、この書の冒頭には「アメリカに成長しつつある未知の文明のために」という言葉がつけられているからである(『ハイエク全集 第5巻 自由の条件Ⅰ 自由の価値』春秋社、1986年、3頁)。

現在アメリカが推し進めようとしている自由民主主義が必ずしもハイエクの思想を忠実に体現したものとは限らないだろうが、思想の面から考えて、ハイエクの自由論の中身について確認しておくことは、今後のアメリカにとって、またアメリカを最重要の同盟国としている我が国にとっても、意味のあることだろうと思う。というのも、ハイエクは冷戦期に「自由市場経済とは何か」ということをトコトン考え抜いた、二十世紀を代表する思想家の一人と言ってよいからである。

そのようなわけで、次回は、このハイエクの自由論について、できるだけ簡潔に、私なりに再確認してみることにしたい。

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コメント

こんにちわ。
もうあれから5年が経つんですね。あの頃は私は中学2年で、社会の時間に大々的に取り上げられた事件だったのでよく覚えています。
あの頃はただの宗教戦争に人々が巻き込まれただけと教えられましたが、政治的、また様々な面が関わっているのだと考えると1つの考えだけではこのテロの数々や戦争はなくならないですね。
少しでも減らしていけるように何か少しでもできれば嬉しいのですが…。

投稿: N.ゆかり | 2006年9月12日 (火) 16時37分

N.ゆかりさん、

> あの頃はただの宗教戦争に人々が巻き込まれただけと教えられましたが、

私の見解では、あれは“宗教戦争”ではありません。むしろ、第一義的には政治的・経済的な争いであって、そのために宗教的・終末論的情熱が誤って利用されているだけです。

宗教・宗派が違えば戦争になる、というのは偏見だと思います。大多数のイスラム教徒は、むしろあのようなテロ行為には反対しているのですから…。

> 少しでも減らしていけるように何か少しでもできれば嬉しいのですが…。

私たちに何か少しでもできるとすれば、それは「あの人たちは敵だ!」という目で見ないことだと思います。日本にも移民は増えてきていますので、その人たちを余計者扱いしないことです。

投稿: 山中 | 2006年9月12日 (火) 17時09分

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