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2006年11月30日 (木)

もう一つの必読書:『ハイエク後の社会主義』

前回の本欄で、The Cambridge Companion to Hayek が私の必読書であることを述べたが、実は今年2006年に出たハイエクに関する本で、もう一つ、私にとっての必読書がある。それは、次の本である:

Theodore A. Burczak, Socialism after Hayek (The University of Michigan Press, 2006)

著者のBurczak(バーチャク?)は、現在アメリカのデンソン大学経済学部助教授で、デンソン大学ウェブサイト上での紹介によると、マサチューセッツ大学でPh.D.を取得し、デンソン大学ではマクロ経済学入門、中級マクロ経済学、Economic Justice(経済的正義と訳せばよいのだろうか?)、金融論、そして経済思想史を教えている。

本書は、ミシガン大学出版部から出されている“異端経済学の発展”(Advances in Heterodox Economics)シリーズ中の一冊として出版されているが、私の目を引いたのは、裏表紙に載せられている賛辞のなかに、ハイエク研究の世界で非常に有名な研究者の名前が見られることだ。すなわち、米ジョージ・メイソン大学のPeter J. Boettke(The Legacy of Friedrich von Hayek の編集者)や、英ハートフォードシャー大学のGeoffrey M. Hodgson(ハイエク進化論の批判的論者として、また進化経済学の権威として有名)による賛辞が掲載されているのである。

デンソン大学ウェブサイト上の著者Burczakの業績一覧を見て、初めて気付いたのだが、彼はすでに、重要なハイエク研究論文集に、論文を寄せていた。その重要な論文集とは、次の二つである(ここではその書名のみ挙げておく):

The Legacy of Friedrich von Hayek (全3巻)
F.A. Hayek as a Political Economist: Economic Analysis and Values

その他にも、Rethinking Marxism--うかつにもこのジャーナルの名を今まで知らなかったのだが--をはじめとしたいくつかのジャーナルに、すでに数多くの論文を発表してきた研究者だということが、その業績一覧から分かった。ハイエク研究者の一人としては、知っておくべき名前の一つのようである。

まだ読み始めていないので、内容をここで紹介することはできないが、裏表紙の賛辞によると、どうやら、マルクス、ハイエク、セン、ヌスバウムなどを取り入れることで、21世紀の社会主義ヴィジョンを生み出しているようである。

はたしてこの試みはどこまで成功しているのだろうか? いずれ近いうちに、精読すべき書物である。

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2006年11月29日 (水)

『ケンブリッジ・ハイエク必携』が出版されました

今日、以前に予約注文しておいた『ケンブリッジ・ハイエク必携』(The Cambridge Companion to HAYEK)が、手元に届いた。この『ケンブリッジ必携』シリーズは有名であり、主要な哲学者・思想家の思想体系を学生や専門外の読者にとって近づきやすくするために出されているものだが、その一冊にこのほどハイエクが加えられた、というわけである。

とはいえ、これはハイエク研究を専門とする人間にとっては重要でないかというと、決してそうではない。むしろ、専門家にとっても、近年のハイエク解釈の動向を知る上で、大変重要なのである。したがって、わたしにとって、これは a must book (必読書)ということになる。

実際、目次を見ると、そこには錚々たる研究者の名前が、共著者として、連なっている。このなかで私が既に知っている名前と、その論文名を抜き出してみると、それは以下のとおりである:

Bruce Caldwell, Hayek and the Austrian Tradition

Peter J. Boettke, Hayek and market socialism

Meghnad Desai, Hayek and Marx

Robert Skidelsky, Hayek versus Keynes: the road to reconciliation

Andrew Gamble, Hayek on knowledge, economics, and society

Anthony O'Hear, Hayek and Popper: the road to serfdom and the open society

Jeremy Shearmur, Hayek's politics

Chandran Kukathas, Hayek and liberalism

Roger Scruton, Hayek and conservatism

以上のほかにも、私の初めて見る名前も並んでおり、計14本の論文が収められている。ハイエク研究者の一人として、この『ケンブリッジ・ハイエク必携』は、まさに必読書である。できるだけすぐに、この本の消化に着手したいと思っている。

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2006年11月28日 (火)

グリーン・リベラリズムとハイエク

前回の本欄に書いた初校の校正作業は先週の火曜日に終えることができ、出版社に返送したが、その後も公私ともに多用だった。ここに来て、ようやく少し落ち着いてきたので、久しぶりに更新を再開しよう。

以前に本欄で、地球温暖化問題を私の研究対象の一つとして意識するようになった理由を書いておいたが(2006年6月3日の記事)、その翌7月に有斐閣から『環境経済・政策学の基礎知識』--以下、『基礎知識』と略記する--という本が出たので、手に入れておいた。その本を今日、大学に行く電車のなかで読んでいたら、思ってもみなかったことを発見したので、少し驚いた。

それは、その『基礎知識』の「グリーン・リベラリズム(green liberalism)」の項目のなかで、私の研究対象であるハイエクへの言及がなされていたことである。グリーン・リベラリズムというのは、簡単に言うと、エコロジーとリベラリズム(自由主義)とを融合させようとするもので、言い換えれば、市場経済を環境保全に生かそうとする思想のことであるが、そのエコロジーと融合しうる自由主義の考え方の例として、ハイエクが引き合いに出されていたのである。

この『基礎知識』における「グリーン・リベラリズム」の項目の執筆者は、上智大学大学院地球環境学研究科教授の鷲田豊明氏であるが、私は今日初めて氏のお名前を知った。なので、私はまだ氏の諸業績を全く消化していないが、環境経済・政策学の分野で数々の業績を挙げておられ、環境経済・政策学会の理事も務めておられるようである。氏のウェブサイトも訪問してみたが、非常に開放的なサイトで、リンクを自由に貼ってよいと書かれていたので、本欄にもそのリンクをこちらに貼らせていただいておく。

いずれにせよ、ハイエク研究から出発した私が次の研究テーマ候補の一つとして環境問題を意識し始めているなかで、『基礎知識』のなかにハイエクへのまとまった言及を見つけたこと、そして鷲田豊明氏の名を知ったことは、非常に心強いことだった。思わぬ発見に大きな喜びを感じた次第である。

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2006年11月17日 (金)

ただいま校正作業中

最近、本欄の更新が途切れ途切れになっているが、それは、前回の記事にも書いたように、現在、校正作業に専念しているからである。論文の校正ならこれまでに何度も経験しているが、本1冊分の校正は初めての経験なので、かなり慎重になっているのが自分でも分かる。

いま行っているのは初校の校正である。基本的には誤字脱字のチェックの作業のはずなのだが、初校に限っては、ある程度の加筆も認められている。本書中で取り上げているハイエク研究者の人物紹介を加筆することは編集者の方も了解済みであるが、それ以外にも、著者として、その主張内容をより明確にするために、少しだけさらに加筆させていただく箇所も出てきた。

脱稿したときには、文章内容それ自体としては、すべて「書き切った」つもりだったのだが、いま改めて読み直してみると、必ずしも意を読者に伝え切れていない箇所もいくつか目についたのである。それで、その箇所についても、少し加筆している。

それにしても、この初校での加筆作業をしていて分かることは、私がこれまで、ハイエクの政治思想体系の全貌をつかみ、それを表現するために、自分なりにいかに労力を費やしてきたかということだ。ハイエクの思想体系は複雑な陰影に富んでおり、単純な断定を許さないものであるがゆえに、その全貌を正確につかむために、非常に多くの時間を要してきた。その過程で研究に取り組んでいる自分の姿が改めて思い出されてきて、なかなか感慨深いものがあったのである。

とはいえ、そんな感慨にいつまでも浸っているわけにもいかない。ここまで来た以上、自分のハイエク研究を一日でも早く世に問い、その真価の判断を読者に委ねなければならないからだ。このあとも初校の作業を着実に進め、出版作業の円滑化に貢献したいと思う。

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2006年11月11日 (土)

Googleの便利さに感服

ここ数日ずっと、不思議に、非常に早い時間に眠たくなり、夕飯後すぐにコテンと寝てしまっていた。体が体力回復のために睡眠を要求していたのかもしれない。そのために今月に入ってからも更新がしばらく滞っていた。本来なら前回11月1日に始めた連載の続きを書きたいところだが、以下に述べる事情から、その続きは後日に回させていただくことにしたい。

というのも、実は今、校正作業中だからである。来年3月出版予定の拙著の初校刷が出版社から届けられた。期限は2週間と言われているので、今はこの作業に専念して、手際よく進めていく必要がある。さもなければ、出版時期が遅れてしまい、出版社に大きな迷惑をかけることになってしまうからだ。そんなわけで、授業等の大学での仕事以外では、今はこの作業に専念しなければならない。

その初校の際、編集者の方との約束で、今回の本の中で取り上げている研究者の経歴・所属・研究内容などの情報を、読者のために加筆することになっている。その情報について、最新のものを確認するために、改めて調べておくことにした。その際に重宝しているのが、今回のタイトルに掲げたGoogleである。

このGoogleに検索ワードとして、たとえばKukathasとかVanbergなど、研究者の名前を入れて検索すると、瞬時に、その検索結果を表示してくれる。つくづく感心するのは、その際、信頼できるサイトのURLを、キチンと最初に表示してくれることだ。昔なら、図書館で奔走して、いろいろな書誌で調べなければならないところだったはずだが、今では自宅や研究室にいながらにして、瞬時に重要な情報を手に入れることが出来るのだから、本当に便利になったものである。

以前の私はこのGoogleを、たんなる検索エンジンと思っていただけだったが、梅田望夫『ウェブ進化論:本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書、2006年2月刊)によると、実はもっともっとスゴイものらしい。というのも、このGoogleのねらいは「知の世界を再編成する」という、とてつもなく大きなものだからだ。

つまりGoogleは、自らのミッションを「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」と定義しており、「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部グーグルで作ろう。それがグーグル開発陣に与えられたミッション」だと考えているというのである(『ウェブ進化論』50ページ)。

このグーグルのすごさ、その革新性の本質については、私もまだその全貌をよく理解できていないので、上記の梅田望夫氏の説明に委ねさせていただくが、とにかくグーグルというのは、たんなるサーチエンジンではなく、本当はもっとスゴイものらしいのである。

いずれにせよ、このグーグルのおかげで、重要な情報を調べる作業が格段に楽になった。感謝あるのみである。

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2006年11月 1日 (水)

電気事業の“自然独占”のゆくえ(1)

先月下旬から風邪で不調だった体調がようやく回復してきたので、まだ万全ではないが、本欄での更新を徐々に再開していきたいと思う。

さて伊勢学舎での政治学の授業で、「市場の失敗→政府介入」の一例として“自然独占”の場合を取り上げ、その例として電話、鉄道、電気、水道などをテキストに沿って挙げておいた。基本としてはその通りなので、受講者諸君には、まずはこの基本をテキストに沿って理解しておいてほしいのだが、現代に即した“応用編”としては、この“自然独占”の前提が今後崩れていく可能性が大いにある、ということを知っておいた方がよいだろう。その例として、今日からしばらくは「電気事業」を取り上げてみたい。

授業でも説明したとおり、“自然独占”というのは、市場の動きそのままに放っておくと、自然に独占企業が生じてしまう現象を言う。事業開始時に全国規模で巨大なネットワークを張りめぐらさなければならない場合がそれである。その場合、どうせ独占が生じてしまうのであれば、民間企業よりも政府が独占した方がまだマシだろう、というわけである。そこで政府自ら、そうした独占事業に乗り出すということになる。その政府独占事業の我が国における例が、電電公社(電話)であったり、国鉄(鉄道)であったりしたわけだ。

電気事業にも基本的には同じことが言えるのだが、厳密に言うと、この“自然独占”の場合、政府自らが事業に乗り出すとは限らない。いくつかの民間企業に限定して、それらに電気事業を寡占させた上で、政府がそれを規制するというやり方もある。電気事業の場合がそれで、もう少し具体的に言うと、電気事業法によって、電気事業を営もうとするものは経済産業大臣の許可を受けなければならないことになっている。その許可を受けた電力会社が、東京電力や関西電力などの各地域の電力会社(計10社)だというわけである。

ところが、近年になって、この「政府規制下における電気事業の寡占状態」が崩れつつあるのである。というのも、規制緩和により電気事業の自由化が徐々に進んでおり、平成17年4月からは、高圧で受電する利用者(原則50kW以上)は、地域の電力会社以外の、新しい電気事業者や他の地域の電力会社から電気を買うことができるようになっているからである。

この近年の電力自由化についての詳細な説明は、さしあたっては、電気事業連合会による説明に譲ることにして、本欄では、もっと根本的な意味での変革の可能性について論じることにしたい。それは一言でいうと、

水素エネルギーと自然エネルギーの活用による分散型エネルギー社会の実現

という可能性である。つまり、もっと平たく言うと、将来は各家庭が電力の消費者のみならず、電力の供給者にもなる可能性があるのである。もしもこれが実現すれば、電気事業のあり方は、根本的に変わることになる。

この点についての詳しい説明は、次回以降に進めていくことにしたい。《続く》

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