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2006年12月 4日 (月)

電気事業の“自然独占”のゆくえ(2)

本欄の11月1日以来、電気事業の自然独占のゆくえをめぐる話を継続できないでいた。この話題については本格的な連載にするつもりだったのであるが、ちょっとそれができそうもないので、差し当たっては、要点のみを大まかに書いておいて、ひと区切りをつけておき、本格的な連載は他日を期することにしたい。

さて、なぜ電気事業の自然独占が将来は消滅する可能性があるのかというと、根本的には、もはや化石燃料に頼った中央集中型のエネルギー秩序が、地球温暖化に伴う急激な気候変動を未然に食い止めるという観点からは、存続を許されないからである。言い換えれば、それに代わって、太陽光や風力などの自然エネルギーに移行していく必要があるからである。

しかし、太陽光や風力などの自然エネルギーには、貯蔵不可能という難点がある。そこで注目されているのが、水素燃料である。水すなわちH2Oを電気分解すれば、水素と酸素になる。そうして得られた水素を燃やしても(つまり酸化させても)、二酸化炭素は排出されない。排出されるのは純粋な水だけである。そこで、その電気分解に必要な電力を自然エネルギーから得て、水素を貯蔵しておき、その水素燃料を必要に応じて使えば、再生可能でクリーンなエネルギーが、ほぼ無尽蔵に得られることになるのである。

化石燃料の場合は埋蔵されている場所が限られているため、どうしても中央集中型になるが、自然エネルギーも水素も地球上の至るところにあるから、各オフィスや家庭に備え付けが可能である。自家発電で貯蔵しておいた水素燃料を必要に応じて使用し、余った電力は、それを必要とするところに売ることもできる。すなわち、各オフィスや家庭がすべて、いわば“自家発電所”となり、その自家発電所どうしを結ぶネットワークが、現在のインターネットを結んでいるワールド・ワイド・ウェブ(www)のように形成されれば、各オフィスや家庭が、電力の消費者兼発電所として、電力を必要に応じて売買できるネットワークが形成されうるのである。これを、文明評論家のジェレミー・リフキン氏は、その著『水素エコノミー』(NHK出版)のなかで、“水素エネルギーウェブ”(HEW)と呼んでいる。

かつての飛行船ヒンデンブルク号の爆発事故から、「水素は危ない」というイメージを持たれている読者も多いかもしれないが、実はあのヒンデンブルク号の事故での死者は、ディーゼル油の炎による火傷や、飛行船から飛び降りたために亡くなったのであり、水素による透明の炎が巻き上がるなか、燃え続ける飛行船内にとどまった62人の乗客は負傷もなく無事に地上に降り立ったのだそうである(『自然資本の経済』日本経済新聞社、75ページ)。ガソリンとちがって水素は軽いため、漏れても拡散速度が速く、たちまち消散してしまう。要するに、水素燃料はガソリンよりも安全な燃料なのである(同前)。

だとするならば、ゆがんだ補助金で自然環境に負荷を与える経済活動に誤ったインセンティヴを与えるのではなく、環境税・炭素税の導入と所得税の軽減(あるいは廃止)をセットにした税制改革によって、自然エネルギーと水素燃料を基盤とした分散型のエネルギー秩序への転換を促していくべきではないだろうか? 何も電気事業の自然独占を維持するために原子力発電所に頼り、核燃料廃棄物を地中に無理やり閉じこめるために巨額の資金を投入するような「原子力立国」を目指す必要はないと、私は思うのである。

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