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2007年2月11日 (日)

温暖化と花粉症(2)

前回「温暖化と花粉症」と題した文章を書いたのは昨日の朝だったが、その後、その“季節外れ”の早すぎる花粉症のために体がひどくだるくなり、昨日から今日にかけて寝込んでいた。ようやくそれが治ってきたので、今こうして文章を打っているが、その間もずっと考えていたのは、やはり「地球温暖化を何とかしなければ…」ということだった。

しかしそれは、誰かを責めるという気持ちからではない。というのも、地球温暖化の原因となる温室効果ガス、なかんずくCO2の過剰な排出については、先進国に住む人間である以上、私自身も紛れもなくその責任を負っているからだ。公害問題であれば加害者と被害者とにハッキリと分かれるが、地球温暖化問題の場合は、それが先進国に住む同時代人の間での話に限定すれば、その人々はみな、被害者であると同時に加害者でもある。したがって、公害問題の場合のように誰か特定の人(あるいは企業)だけを名指しして非難することは、地球温暖化問題の場合はできないのである。

しかし、この「被害者であると同時に加害者でもある」という関係は、先ほども述べたように、「先進国に住む同時代人の間での話に限定すれば」という場合である。つまり、①「先進国に住む」という空間的な限定と、②「同時代人の間で」という時間的な限定と、この①・②の限定をおいた場合での話である。この2つの限定を外してしまえば、そこには「加害者 対 被害者」という関係が再び浮上してくる。

まずは①の空間的な限定を外して、《先進国と途上国》の関係に視野を広げてみよう。そうすると、そこには、「CO2の過剰排出者 対 それによる被害者」という関係がハッキリと現れる。現に、南太平洋に浮かぶ島国ツバルでは、今まさに国土そのものが海面上昇によって水没しつつあり、その国土を捨ててニュージーランドへの移住がすでに行われている。しかし、その当のツバルでは小規模な農業と漁業による自給自足経済が行われてきているだけだから、CO2の過剰な排出は皆無である。したがって、ツバルの人々は、地球温暖化による純然たる被害者だ。また、アラスカ地方でも永久凍土(だったはずの)海岸で、その凍土が溶けてしまって海岸浸食が進んでいるために、そこに住む人々は他国への移住を真剣に考え始めざるを得なくなっている。このアラスカ地方の人々にも、CO2の過剰排出の責任はない。それはまさに先進国の責任なのである。

次に②の時間的限定を外して、「現代人とその子孫」という《世代間》の関係に視野を広げてみよう。そうすると、そこにも「加害者 対 被害者」という関係が見えてくる。というのも、CO2の過剰排出→地球温暖化→気候の極端化による様々な被害、という因果関係は、世代を超えた長いタイムスパンで生じるからだ。つまり、このままでは我々は子孫から恨まれてしまうことになるのである。それが幸せな世界であるとはとても言えまい。

したがって、地球温暖化問題の解決のためには、人間界にだけ話を絞ってさえも、以上のような①②の点での“視野の拡大”が求められている。これに③動植物との共存、という観点を加えれば、われわれ21世紀を生きる人間には、①②③の3重の意味での視野の拡大を、地球温暖化問題によって強力に迫られているのである。これはまさに、21世紀最大の challenge だと言わなければなるまい。

花粉症に話を戻せば、その主要原因とされる杉花粉は、一説によると、戦後日本における植林政策によって人工的に植えられた大量の杉から来るものだと言われている。だとすれば、それは私が生まれてくる前の話だから、そういう意味では、私は世代間関係における“被害者”だ。しかし、今年のように早くも2月に杉花粉を浴びてしまうという現象が温暖化によるものだとするならば、私のライフスタイルからもまさにCO2が過剰に排出されてきたはずだから、それは“自業自得”ということになる。だから、私は前世代の植林政策を恨みに思うだけで満足するわけにはいかない……昨日・今日の私は、花粉症に悩まされながら、そんなことを考えていたのであった。

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コメント

地球の寿命が縮んでいるのでしょうね。恐いです。

投稿: toshiki | 2007年2月11日 (日) 22時52分

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