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2007年2月17日 (土)

杉林の光景を見て考える

私が通勤に使っている近鉄大阪線に乗ると、その途中で車窓から杉林が一面に広がっている光景に出くわす。奈良県宇陀市榛原の付近を通過するときである。花粉症に苦しむ私にとっては、何とも悩ましい光景である。

自分で詳しく調べたことはないが、おそらくこれは、戦後日本の営林政策の結果だろう。私の住む橿原市にある耳成山の森などに比べると、杉の木ばかりが並んでいる杉林の光景は、やはりどこか不自然に映ってしまう。

杉の木ばかりを人為的に植えた戦後日本の営林政策について、最近ある人から、「住宅不足があったからね…」というご指摘をいただいた。たしかにそうだったのかもしれないが、そのおかげでいま私が花粉症に悩まされることになったことを考えると、やはり非常に複雑な心境にならざるをえない。

たとえ住宅不足があったとはいえ、そのために、生物多様性を崩してまで、杉の木ばかりを植えてしまって、はたして良かったのだろうか? 杉のような針葉樹林ばかりでなく、広葉樹林も豊かにある森であってこそ、地中深くまで根が伸びていき、それが複雑に絡み合って、土がしっかりと保たれるというものだろう。最近よくニュースで聞く土砂崩れの被害は、その意味では、むしろ“人災”と言うべきものではないだろうか?

ここ数日の私は、花粉症のおかげで体調がすぐれず、何とも言えない「どよ~ん」とした感じを全身に感じているのであるが、こうして花粉症に悩まされるたびに、戦後日本の営林政策を疑問に思い、自然本来の生物多様性をいかにすれば回復でき、それを未来の世代に遺せるのだろうかと、考えをめぐらさずにはいられないのである。

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コメント

山中先生へ

以前にも申しあげたように僕はひどい鼻炎ではあるのですが特にひどい花粉症というわけではないのでその辺は体質に感謝しなければならないと思います。

スギ花粉が人為的なものという話はニュースで聞いていました。杉といえば唱歌の「お山の杉の子」という歌を思い出します。懐かしく思いながらネットで調べたところ、あの歌は元々戦前は杉の材料を兵隊さんの船や建物、それが戦後には大工さんの家に書き換えられてはいるのですが、禿山に植えるということは書き換えられていないみたいですね。

ということは戦前に木材の為に杉の木を植える現象はそれなりにあったことはあったのですが、戦後特に盛んになったと考てもいいのではないかと思います。戦前はお国を守るため、戦後は皆のため、国(経済大国ニッポン)をつくるため、というような目的になり杉は育てられたのではないでしょうか?

「杉」は案外日本の現代史の象徴的存在の一つかもしれないな・・・と勝手に思っています。

投稿: スメルジャコフ | 2007年2月17日 (土) 23時50分

スメルジャコフさん、

「お山の杉の子」という唱歌があることは、知りませんでした。情報をありがとうございました。

もちろん、杉には杉の存在意義がちゃんとあるでしょう。それは尊重すべきだと思います。しかし、「生物多様性」が自然本来の姿ですので、杉の木に限らず、ある特定の種の動植物だけがはびこってしまうことは、やはりよくないことだと考えます。

投稿: 山中 | 2007年2月21日 (水) 00時24分

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