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2007年2月20日 (火)

指揮者・大野和士の世界

少し前の話になるが、去る1月25日に、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、世界的に有名な日本人指揮者・大野和士氏のことが取り上げられていたのだが(NHKオンラインでの番組内容の紹介はこちら)、それを放映時に見ただけではなく、DVDにも録画しておいて、合間をみて、これまで何度も繰り返して見ずにはいられなかった。というのも、大野氏がそこで語っていた指揮の“極意”に、大きな興味を惹かれたからである。

大野氏は東京芸術大学を出たあと、25歳でドイツに渡り、ヨーロッパを中心に活動してきた。ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語を自由にあやつり、とくにオペラの指揮で定評があるのだという。「第2の小澤征爾」と言われるぐらい、世界的に有名な日本人指揮者として高い評価をかちえているのだが、音楽家の子どもとして生まれたわけではなかったというから驚きである。技術者の父が好きだったクラシック音楽のレコードを聴きながら育ったことで、クラシック音楽の世界にあこがれたのだそうである。

大野氏は、本番のステージで決して大げさな身振りで指揮をしない。氏の語るところによると、指揮棒で「あなた、出なさい!」と(命令的に)演奏者を指したとき、決していい音は出ないのだという。むしろ、奏者の一番弾きたい呼吸で伸び伸びと弾ける状況を作ってあげたときに、最もいい音が出るのだという。つまり、本番の演奏で氏が心掛けているのは、「演奏者1人1人を解放すること」だというのである。

といっても、もちろんそれは、文字通りの「自由放任」ではない。準備段階において、大野氏はまず膨大な資料を読み込み、作曲家と徹底的に会話する。そうして得られた作品の解釈--といっても、大野氏自身の語るところによれば、それは自分の「解釈」というよりも、むしろ作曲家がそう考えたであろうことなのだが--を、練習の時に、具体的なイメージで奏者や歌手に伝えていく。つまり、まず氏は奏者や歌手に「登るべき山を示す」のである。その「登るべき山」を示した上での解放、それが氏の言う「1人1人の解放」なのである。

言われてみれば当たり前のことなのだが、指揮者自身は決して音を出さない。音を出すのは、奏者自身である。それでは、指揮者の役割とは一体何なのか? 大野氏の語るところによれば、“あるようでない”、“ないかの如くある”--これが指揮の極意なのだという。個人個人が自由に解放されているにもかかわらず、“ないかの如くある”指揮者を中心として、そこには実に見事なハーモニーが表現される。これがまさに指揮者・大野和士の世界なのである。

このような自由と調和の見事な融合のためには、もちろん、指揮者と奏者の相互における芸術意識と技術とが非常に高度なレベルで成熟している必要があるだろう。大野氏はベルギーの王立劇場の音楽監督であり、したがって、オーケストラの奏者1人1人も非常にすぐれた技倆の持ち主である。そのような一流のレベルであってこそ、“ないかの如くある”指揮の下で「1人1人が解放される」ことができるのである。その意味で、このような自由と調和の見事な融合は、そう簡単に達することのできる境地ではあるまい。しかしながら、だからこそそれは、目指すに値する「登るべき山」だと思われるのである。

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コメント

山中先生へ

僕もその番組を見ました。ちょっと信じられないトラブルが起こってもそれを対処していくのがスゲーよなと思いました。

指揮者の人が楽譜と向き合って対話していく姿はなんだかよかったです。ああいうじっくりと物事と向き合う姿勢は僕は好きです。

優秀な音楽家が集まっても指揮者一人の振る舞いで随分と違うのですね。あのような優秀な音楽家でも緊張したりしてそれを上手く指揮者が指導して・・・というのは音楽をCDとかで聴いていたらそのようなドラマが裏であるという想像力がなくなりますからね。

こういう音楽をもう少し日本でも身近に聴けたら・・・と思ったりします。チケットがメッチャ高い・・・

投稿: スメルジャコフ | 2007年2月21日 (水) 09時37分

スメルジャコフさん、

> 僕もその番組を見ました。ちょっと信じられないトラブルが起こってもそれを対処していくのがスゲーよなと思いました。

そうでしたか、ご覧になっていたのですね。ちょっと考えられないようなトラブルが起こっても、最後まであきらめずに、音楽の高みを目指していく様子は、圧巻でしたね!

> こういう音楽をもう少し日本でも身近に聴けたら・・・と思ったりします。チケットがメッチャ高い・・・

実は私も、ライブで実際に聴きにいった経験は、あまりありません。そうですか、やはり今でもチケットは高いのですね…。でもやはり聴きに行けば、さぞ素晴らしいことと思います。

投稿: 山中 | 2007年2月21日 (水) 12時29分

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