« グリーン・リベラリズムにふさわしい“自由”とは? | トップページ | 「不都合な真実」が呼ぶ静かな反響 »

2007年3月 6日 (火)

綿棒から耳かきへの“冒険”

最近、風呂上がりの耳掃除をするのに、綿棒をやめて、耳かきを使うようになった。ほんの少しでも資源の節約になるだろう、と思ってのことである。

綿棒という便利なものを使うようになって、もうどれぐらい経つだろうか。たぶん私が中学生の頃にはもう綿棒というものが家にあって、それを使い始めたように記憶している。いま38歳だから、もうかれこれ25年ぐらいになるだろうか。

たしかに綿棒は耳には心地よい。耳かきよりも感触がやさしいからだ。これまで当たり前のように使ってきており、あまりにもそれに慣れてしまっていたので、耳かきを使うのに、ちょっとした怖さを感じるようにさえなっていた。竹でできた耳かきだと、耳の中を傷つけてしまいはしないか、と知らず知らずのうちに怖がるようになっていたのである。

しかし、考えてみると、私がこれまで使っては捨てていた綿棒の本数は、相当数に上るだろう。仮に25年間として、少なくとも2日に1本は使っていたとすると、約182本/1年×25年=4550本である。実際には5000本は消費してきたかもしれない。

綿棒の両端はもちろん綿であり、芯の部分は、プラスティックまたは厚紙だろう。詳しく調べてみたことはないが、以前に『地球白書』で綿の栽培には農薬が大量に使われていると書かれていたのを記憶している。だから服を選ぶにも、オーガニック・コットン(有機栽培の綿)の服を選ぶべし、ということである。服だけではなく、綿棒の綿も、もしかしたら、農薬栽培のそれかもしれない。芯がプラスティックであればその原料はもちろん石油だし、紙だとしても、その原料の木は、割り箸と同様に、もしかしたら森林破壊の進む中国のものかもしれない…そう考えてみると、たとえ耳には心地よくても、綿棒を使い続けることが、環境には良くないように思えてきたのである。

そこで一昨晩、“25年ぶりに”、思い切って耳かきを使ってみた。最初は恐る恐るだった。やはりちょっと怖かったのである。しかし、よく注意しつつ、慎重に使ってみると、竹でできた耳かきは、綿棒に比べるとたしかにちょっと硬質な感じは否めないが、意外にこれも心地よかった。耳かきであれば、大事に使い続ければ、おそらくは半永久的に長持ちするだろう。それに何よりも、竹は非常に成長の早い再生可能資源なのである。

そんなわけで私は、思い切って綿棒に別れを告げて、耳かきへの“冒険”を敢行したのであった。これからも、この竹でできた可愛い耳かきのお世話になろうと思う。Img_3780

|

« グリーン・リベラリズムにふさわしい“自由”とは? | トップページ | 「不都合な真実」が呼ぶ静かな反響 »

コメント

山中先生へ

耳かきを使うのが初めてだったのですか?少し驚きました。僕はずっと昔から耳かき派です。逆に綿棒だったら気持ち悪くてイヤだし耳垢が取れません。

人間の体質によって耳垢の質がそれぞれ違っていて乾燥した耳垢だと耳かきが良くて、湿った耳垢だと綿棒が適しているようです。もちろん僕は乾燥した耳垢です。もし山中先生が湿った耳垢ならあまり無理をされずに綿棒を使ってもいいと思います。でもブログの文章では結構耳掻きにハマっておられるようですね。

でも日本には耳掻きのプロというものがいるらしく、上等の耳掻き棒で上手く、気持ちよく、もともと球状の耳垢をうまく取れる人がいるようです。

投稿: スメルジャコフ | 2007年3月 7日 (水) 01時03分

スメルジャコフさん、

耳かきを使うのは全く初めてではありませんでしたが、ものすごく久しぶりだったことは事実です。もしかすると、たま~に使っていたことはあったかもしれませんが、ハッキリ覚えていないんです。いずれにせよ、ものすごく久しぶりだったことは間違いありません。

耳かきのプロですかぁ…きっと手先のすごく器用な方なのでしょうね。尊敬です!

投稿: 山中 | 2007年3月 7日 (水) 12時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« グリーン・リベラリズムにふさわしい“自由”とは? | トップページ | 「不都合な真実」が呼ぶ静かな反響 »