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2007年3月13日 (火)

英文を書く練習を始めました

昨日から、英文を書く練習を始めた。「日本語→英語」の練習である。題材としては、ハイエクの主著の一つ『自由の条件』を選ぶことにした。ある仕事を頼まれていて、ハイエクの民主主義論を読み直す必要があるので、その余勢を駆って、その『自由の条件』の民主主義論に当たる第7章の和訳文を、原書の英文に正しく直す練習をすることにしたのである。この方法が、私にとって最も良いやり方であることが分かった。

現在の私の英語力をさらに向上させるには、「英文を読む・聞く」という英語の“インプット”だけではなく、“アウトプット”=「英文を話す・書く」能力も上達させる必要があることは、かなり以前から感じていた。また、そうしたい衝動に駆られていたことも事実である。

幸い、単語のレベルを落とせば、今の私でもそのアウトプットがある程度は自由にできる。そもそも実際の会話の場面では、その現段階で使える単語のレベルで「とにかく話す」という姿勢が非常に大切である。思い浮かんだ日本語にピッタリ合うような複雑な表現が英語では出てこないからといって、その場で黙りこんでしまっては、会話にならないからである。そのような場合は、思い切って、自分のその時点での英語の実力レベルにまで落として、とにかくおおまかにでも自分の言いたいことを伝えようとする姿勢が大事なのである。

しかしながら、やはり他方で、日本語で思い浮かぶ複雑なレベルの内容を、その同じレベル(あるいはそれに近いレベル)の英語を使って表現できるのが一番良いことも事実である。特に何かの国際的な学会などで研究報告をしようと思えば、それは必須のことなのである。

そのようなわけで、英文を書く練習をかなり以前から始めたかったのだが、その練習として最適な方法が、実はなかなか思い当たらなかった。通信講座を利用することも考えたが、そういう講座の場合、どうしても題材が誰にでも親しめる一般的なものになる。その通信講座をビジネスとして成り立たせるには、できるだけ多くのニーズに応えなければならないから、それは当然のことだろう。しかしながら、私の場合は少し特殊で、自分の専門分野に関わる内容でないと、私にとっての実用性が欠けてしまうことになる。ところが、そのような高度な専門性に応える通信講座となると、ビジネス英語を除けば、医学の分野でのそれに限られてしまうのである(医学では論文を英語で書くのが普通だから、それだけ需要も多いのだろう)。

かといって、今の段階でいきなり、たとえばもうすぐ書店に並ぶ予定の私の本を、ダイレクトに英訳しようと思っても、残念ながらなかなか思うようには進まないことが分かった。英語で論文を一本書いたことはあり、その時には不思議とスラスラ書けたのだが、それはもう6年も前のことになってしまったので、今一度、練習し直す必要がある(その論文名については、こちらの【論文】(4)を参照)。それにそもそも、その時よりももっと高度な内容を、本の中では日本語で表現したが、その日本語に合うだけの英語のレベルには、やはりまだ到達していないのである。「英語→日本語」のときにはかなりのレベルの英語表現が日本語に直せても、それが「日本語→英語」となると、その途端にどうもスムーズには進まなくなってしまう。私の日本語レベルに合う英語表現をすぐさま思い浮かべるための思考回路が、私の頭の中にはまだできていないのである。

そこで、冒頭に書いた練習方法をとることにした。具体的には、次のようなプロセスを踏んでいる:

①まず邦訳書と原書の両方を机上に広げる。
②次に邦訳書の和訳の一文を読んで、頭の中で英文を思い浮かべてみる。
③しかし今の段階ではまだ全部は分からないので、あまり考え込みすぎることなく、さっさと原書の英文を見てしまう。そうして「あぁ、なるほど…!」と、感動しながら納得する。
④そしてその英文をノートに書き写すのである。
⑤その際、必要があれば、改めて辞書を引いて語法を確認する。
⑥そしてもう一度、英文を書いてみる。そうすると、②の段階よりも英文が(はるかに)スムーズに出てくるようになっている。

この①から⑥までのプロセスを、一文ごとに繰り返す。なかなか時間がかかるので、とりあえずは1日につき1~2段落とすることにした。だいたい、1つの段落でB5版のノート1頁が手書きの英文で埋まっていくようである(次行を1行あけて書いた場合)。

こうして、ちょっとした試行錯誤を経て、ようやく私にとって最適の練習方法に出会えた。嬉しい限りである。これを繰り返していくうちに、私の日本語レベルに相当する(あるいはそれに近い)英語表現が、徐々に頭の中に蓄積されていくことだろう。その蓄積が進んでいけば、いずれ必ず、スラスラとその英語表現が口をついて出てくる日が来るにちがいない。結果を焦らなくとも、練習を続けていけば、自然とそういう日が来るものである。その日を楽しみにしつつ、気長に練習を積み重ねていきたいと思っている。

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コメント

山中先生へ

山中先生が英語に四苦八苦しているとは知りませんでした。語学ってどんな人にも大変なのですね・・・

投稿: スメルジャコフ | 2007年3月14日 (水) 23時09分

スメルジャコフさん、

「四苦八苦」しているという実感は、実はありません。いろいろと「試行錯誤」しているのは確かですが…。でも楽しいですよ(笑)。

投稿: 山中 | 2007年3月16日 (金) 22時37分

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