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2007年3月11日 (日)

『ハイエクの政治思想-市場秩序にひそむ人間の苦境』について

昨日、山中優『ハイエクの政治思想-市場秩序にひそむ人間の苦境』(勁草書房)の見本が、出版社から私の手元に届けられた。書店に並べられるのは14日頃だという話だから、いよいよ私の最初の本が世に問われる時が来たことになる。大変嬉しく思うと同時に、気の引き締まる思いである。

Img_3788_1 私がこの本で試みたのは、単純な市場礼賛ではないハイエク思想の複雑な陰影を描き出すことである。二十世紀最後の四半世紀以降、グローバリゼーションが進むなかで、途上国に急激な自由化・市場開放を迫る動きが強力に推し進められてきたが、ハイエクを丹念に読むとき、決してそのような単純な市場移行戦略が肯定されることはない、ということを示そうとした。また、私見によれば、わが国においても、ハイエクがわれわれに突きつけた“自由の規律”に従う用意ができているとは必ずしも思えないのである。したがって、今後われわれが市場経済に向き合うとき、それ相応の覚悟が必要となることだろう。

本書の帯(の背表紙側)に編集者の方が引用してくれた抜粋の文章が、私の示そうとしたハイエク思想のエッセンスを簡潔に表現しているので、以下にそれを引用しておくことにしよう:

しかしながら、ハイエクの議論を、政治権力の不完全性を指摘するとともにその肥大の危険性を警戒し、社会の自生的性格を強調する議論としてのみ受け止めることは、もはや社会主義なき二十一世紀のグローバル化の時代…において、危険な帰結をもたらす恐れがあるように思われてならない。…ハイエクの議論は…市場の論理が人々の自然感情にそぐわない冷酷非情な側面を孕んでいることを率直に認めるものであり、それを承知の上で覚悟して市場を受け入れることを迫る非常に厳しいメッセージをわれわれに突きつけるものなのである。<序章>より

本書で私は、ハイエク思想に全面的な賛意を表明してはいない。ハイエクの説く“自由の価値”それ自体には大いに魅力を感じているが、ハイエクの説く“自由の規律”(すなわち自己の運命に対する自己責任)にわれわれを納得ずくで従わせることができるだけの論拠は、私見によれば、結局ハイエク自身によっては充分に示されずに終わってしまったのである。興味を持たれた本欄の読者におかれては、本書をお読みいただき、二十一世紀における自由の意味を考える手がかりの一つとしていただければ、著者として幸いこれに過ぐるものはない(四六判上製、本体2900円+税)。

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コメント

山中先生へ

今は財布が寒いので、つまり・・・・その・・・・山中先生の印税収入に貢献ができそうにもありませんが本屋で少し立ち読みしたいと思います。

経済というものは人間の生き方・ライフスタイルに密接に結びつきますよね。ですから現代人の多くの人は自由とはいってもどのような自由を求めているのでしょうね。でも世界情勢や日本の社会問題を見れば現代人のライフスタイルがいびつなものを含んでいるというのは明らかだとは思います。自由市場経済とは言っても人間の「自由」さはあまり感じないような気がします。自由とは何の置き換えなのか、ふとそんなことを考えました。


投稿: スメルジャコフ | 2007年3月12日 (月) 00時28分

スメルジャコフさん、

> 本屋で少し立ち読みしたいと思います。

並べられるのは大きな書店に限られてくると思います。たとえばジュンク堂、旭屋書店、紀伊國屋書店、丸善といった、専門書を置いている書店ですね。並んでいるコーナーとしては、「哲学・思想」か「政治」あたりでしょうか。

投稿: 山中 | 2007年3月13日 (火) 23時26分

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