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2007年3月30日 (金)

ハイエクとハーシュマンの意外な接点

最近、ある仕事を頼まれている関係で、ハイエク全集第10巻『法と立法と自由 Ⅲ-自由人の政治的秩序』(春秋社)を読み直しているところなのだが、今日の早朝にその概要を改めてノートにまとめているうちに、ふと、A・O・ハーシュマン『離脱・発言・忠誠-企業・組織・国家における衰退への反応』(改訳新版、ミネルヴァ書房、2005年)を読みたくなったので、今日からそれを読み始めることにした。

このハーシュマンの邦訳本は、ミネルヴァ書房のホームページでの説明によれば、「人間の社会的行為の三類型を剔出したグランド・セオリーの改訳新版。経済学と政治学の対話の試みであるとともに、新古典派の市場主義原理によって切り裂かれつつある公共性復権の手がかりを与える現代社会科学の古典」である。

ハイエクの『自由人の政治的秩序』の根底にあるのは、(その書の第15章によく表現されているのだが)警戒すべき利己主義は民主政治の場での「集団的利己主義」であって、市場経済の場での「個人的利己主義」は、市場競争への参加を促すという点で、むしろ必要なものだと考える立場である。すなわち、利己主義同士のせめぎ合いをよく律することができるのは、民主主義下での「政治ゲーム」ではなく、むしろ市場経済下での「経済ゲーム」の方だとハイエクは考えていたのである。

しかしながら、「経済ゲーム」の方が「政治ゲーム」よりも常に優れているとは限らないのではないか?--という疑問もあり得るだろう。そこで、上記のハーシュマンの書物に当たることにしたのである。ずっと以前から気になっていながらも、これまでは自分のハイエク研究を一つの書物にまとめ上げることに精一杯で、なかなか読む機会を見つけられずにいたから、今回それを読む余裕ができたことは幸いであった。

そのハーシュマンの邦訳に付けられている「訳者補説」によると、ハーシュマンはハイエクがロンドン大学政治経済学部(LSE)にいたころ、そのハイエクの講義を受講していたことがあるという(p.182)。また、「訳者あとがき」によれば、『離脱・発言・忠誠』において〔批判の対象として〕意識されていた論者の一人に、M・オルソンがいたが(p.208)、そのオルソンの英語で書かれた主著『集合行為論』(邦訳がこれもミネルヴァ書房から出ている)のドイツ語訳の出版に尽力したのが、他ならぬハイエクだったのである。

私はこれまで、ハーシュマンがLSEでハイエクの講義を受講していたことや、ハイエクが大いに賛同していたM・オルソンをハーシュマンが批判の対象として意識していたことを、恥ずかしながら、全く知らなかった。なので、今日そのことを知ることができたのは、大変ありがたいことであった。

そのハーシュマンの『離脱・発言・忠誠』の訳者である矢野修一氏は、邦訳書の訳者紹介によると、京大大学院経済学研究科を出て、現在は高崎経済大学経済学部教授である。氏自身もハーシュマン研究者であり、『可能性の政治経済学-ハーシュマン研究序説』という書物を2004年に法政大学出版局から出されている。このことも今日初めて知ったので、早速、注文して購入することにした。その他、すでに手元にあるハーシュマンの2冊の邦訳書--『情念の政治経済学』と『反動のレトリック』いすれも法政大学出版局--以外にも、まだ入手していないハーシュマンの邦訳書があったので、それも注文したのであった。

そんなわけで、今日は、ハイエクとハーシュマンとの意外な接点を知ることができるなど、ハーシュマンをめぐってなかなか収穫の多い一日であった。これからもこのような収穫を楽しみにしつつ、研究を進めていきたいと思う。

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