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2007年4月29日 (日)

週刊ダイアモンドに書評(3)

週刊ダイアモンドに載せられた書評文が掲載されているサイトがあった。「読もうよビジネス書」と題されたサイトで、「ビジネス雑誌、新聞による書評とベストセラーランキングを紹介します」とその副題には書かれている。

そこには数々のビジネス雑誌の書評が紹介されているが、週刊ダイアモンドの書評が読めるのは、次のアドレスにおいてである:

http://www.4mo4.com/biz/043/index.php

そこで取り上げられている書物を見ると、なかなか錚々たる書名が並んでいる。最近では、デヴィッド・ハーヴェイ著『新自由主義-その歴史的展開と現在』(作品社、2007年3月刊:上記サイトでは2月刊となっているが、3月の誤りだと思われる)も書評されている。評者は中央大学商学部教授の井上義朗氏である。気になって入手しておいた本だったので、大いに参考になった。昨今の新自由主義(ネオ・リベラリズム)の流行を、すべてこのハーヴェイの本のように、マルクス主義的に--すなわち「金融資本を中心とする資本家階級の勢力挽回策に他ならない」と--説明しきれるかどうかについては、私にはまだ判断が付きかねるのであるが、たしかにそういう側面は多分にあるだろうから、やはりハイエク研究者の私としては、これは必読文献の一つといわねばなるまい。

いずれにせよ、そのような中で自著も週刊ダイアモンドに取り上げられたことを大変光栄に思うと同時に、大きな責任も感じている。これからも心して、まじめに研究に取り組んでいかねばならないと思った次第である。

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2007年4月28日 (土)

中国の地方政府主導型の経済発展をめぐって

今日、現代中国政治経済の研究者・三宅康之氏(愛知県立大学)の論文「中国の経済発展と地方の産業行政」(日本比較政治学会編 『比較のなかの中国政治』 早稲田大学出版部、2004年6月刊、第4章所収)を読み、大いに勉強させてもらった。

経済発展に際して中央政府が主導的な役割を果たした他の東アジアNIES諸国とは異なって、中国は「地方政府主導型」--これは三宅氏によると加藤弘之氏〔現代中国経済研究者のわが国における代表的存在の一人で、現在、神戸大学大学院経済学研究科教授〕の言葉であるが--の経済発展の道を辿っているのであるが、三宅氏はこの論文で、現代中国研究の世界においてはすでに周知の事実となっている(しかし恥ずかしながら私にとっては「なるほど…!」と初めて気づかされた)この「地方政府主導型」の経済発展について、「先行研究を摂取しつつも、中央と地方政府の関係性、政治と経済の連動性を踏まえて長期的に地方政府の動態を捉える作業によって、中国の経済発展において地方政府が果たした役割の再解釈を試み」ている(上掲書79頁)。

中国の専門家ではない私にとっては、三宅氏が先行研究の成果を消化・吸収しつつ、そこに残されている問題点を的確に指摘してくれていることが、膨大な諸文献を一から読み始める手間を省いてくれたという意味で、非常にありがたかった。特に、先行研究が政治学的アプローチと経済学的アプローチとのどちらか一方に偏りがちであったのに対して、氏がご自身の研究において「政治と経済の連動性」を強く意識されていることが、ハイエクを研究してきたがゆえに(単なる政治学でも経済学でもなく)「政治経済学」にも強い関心を抱く私にとっても、大いに興味をそそられるところなのであった。

いずれにせよ三宅氏は、上記の問題意識に基づいて、現代中国の経済発展に地方の産業行政が果たした重要な役割を、氏独自の視点から明快に分析されている。その分析の詳細について、ここで綿密に紹介できる用意はないが、氏によれば、要するに中国は、その高度に中央集権的な外観にもかかわらず、〔その国土のサイズがあまりに大きいが故に〕実は政策実施を地方に依存している。各地方政府は往々にして中央の政策の束縛から逸脱しがちであるが、中央は表面的に整合性が保たれさえすれば、地方の遠心的傾向を黙認してきた。政策実施を地方に委ねる方が、統治コストが安価で済むからである。この点で中央は地方に依存している。他方で地方政府も、地方指導部の党官僚個人とその管轄行政区の等級昇格を決めるのは中央政府である(すなわち人事権を握っているのは中央である)という意味で、中央に依存している。このような中央地方間の相互依存関係の中で、現代中国は「統御が困難であるというコストはあるものの、安価な統治の下で地方政府主導型の高成長を実現した」。つまり、中国独特のこの中央地方の相互依存関係こそが、「広大な国土とそこに住まう膨大な人口を統治する巨大官僚システムの安価な維持運営の精髄にある」のである(上掲書108頁)。

この三宅氏の議論を知って、私の思ったことは、「あぁ、やっぱり中国は“帝国”なのだ…」ということである。というのも、三宅氏も的確に指摘しておられるように(上掲書108頁)、壮麗な中央集権的外観にもかかわらず、その実、その統治方式は、そのあまりにも広大な国土の上に広く浅く覆いかぶさっているだけなのが、まさに伝統的な中華帝国の統治のあり方だったからである。

ここで思い起こされるのが、本ブログの昨日の記事でも言及した、野田宣雄氏の現代中国論である。というのも、野田氏によれば、改革・開放路線は鄧小平独特の帝国支配への復帰の試みであり、鄧小平は、中国を近代的な国民国家へと仕立て上げようとした歴代の中国指導者(孫文、蒋介石それに毛沢東)とは異なって、「緊密な近代主権国家の実現を断念し、中国を孫文や蒋介石以前のルースな支配の形態に引き戻す道を選んだ」(野田宣雄 『二十世紀をどう見るか』 文春新書、190頁)。そして野田氏によれば、「鄧小平の非凡さは、グローバル化という世界経済のまったく新たな潮流と、帝国という中国の伝統的な統治方法との親縁性を見逃さなかった点」にあったのである(同書191頁)。

しかしながら、そうだとすれば、経済発展に伴う経済的・社会的摩擦(近年の極めて深刻な環境破壊への対処も含めて)に統一的に対処できる能力も、現代中国の中央政府には欠如していることになる。その対処の重荷はひとえに地方政府の肩にのしかかることになるだろう。果たして中国の各地方政府にそのための用意があるのだろうか?

しかも現代中国のとっている経済発展戦略が、20世紀に典型的だった近代主権国家としての緊密なまとまりによるものではなく、むしろ分権型の市場経済化によるものだとするならば、地方政府の遠心的傾向はさらに強まっていくことだろう。実際、三宅氏もそう指摘しているし(上掲『比較のなかの中国政治』108頁)、野田氏も中国分裂の可能性についても(統一維持の可能性とともに)周到に目を配っておられる(上掲『二十世紀をどう見るか』200-202頁)。

しかも中国には連邦制への極端なまでの嫌悪感があり、いわゆる「大一統」への執拗なまでの固執があると言われている。だとするならば、その中央地方関係には、並々ならぬ緊張関係が生じることになるだろう。そのようなとき、果たして中国は一体どのようにして、秩序の安定を図ろうとするのだろうか? それは極めて大きな難題だと思われて仕方がないのである。

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2007年4月27日 (金)

中国政治経済の勉強を開始(3)

本ブログ4月13日の記事に書いた理由により中国政治経済の勉強を始めているが、参考までに、これまでに私の読んだ主な文献の中から、特に感銘を受けたものを挙げておくと(かなり以前から読んでいたものも含めて)、以下のとおりである:

○木村雅昭 『「大転換」の歴史社会学-経済・国家・文明システム-』(ミネルヴァ書房、2002年)

私の恩師の御著書。比較史的方法を駆使して近代市場社会成立の背景を分析したもので、市場原理主義や新古典派経済学が孕む今日の問題状況が見事に解明されている。中国が取り上げられているのは、その「第九章 帝国と経済体制-中国」においてである。もとより、この第九章の議論を本当に理解するためには、本書をすべて読み通した上で、その議論全体に通暁しておく必要がある。私はもちろん一度は通読しているし、いくつかの章は何度も読み返しているのだが、それでもまた読み返す必要がまだまだありそうだ。それほど重厚で浩瀚な書物である。

○野田宣雄 『二十世紀をどう見るか』(文春新書、1998年)

新書ではあるものの、20世紀末から21世紀にかけての歴史的大変動を、(私なりに図式化すれば)《グローバル化による国民国家の危機 → エスニーと帝国の復活=「中世への回帰」》 という歴史認識によって、鮮やかに解き明かした名著。その第7章で中国のことが論じられている(「中華帝国と日本」)。改革・開放路線を鄧小平独特の帝国支配への復帰の試みと捉える視点は、非常に示唆的である。

○三宅康之 『中国・改革開放の政治経済学』(ミネルヴァ書房、2006年)

現代中国の政治経済を分析するに当たって、国家中枢と基層社会の狭間に位置しているが故に統治の矛盾の集約点となる地方指導部に視点を据え、中央地方政府間関係を軸として、共産党独裁体制の統治の内実とその実質的変容に迫った力作。その議論の主旨については一応理解したつもりではあるのだが、その詳細な分析についてはまだ綿密に消化できていないため、また読み直す必要がありそうである。

○滝田豪 「中国農村における公共性の危機-基層政権の「不良債権化」と「企業化」-」『日中社会学研究』第13号(2005年10月)53-72頁

いただきものです(滝田さん、ありがとうございます)。現代中国の市場経済化のなかでの農村基層政権の有様を明快に分析した論考で、そこにおける公共性が私的に融解している実態が鋭く描かれている。私はここに、中華帝国において伝統的だった家産制的支配における、いわば「私物化された公的権力」(とでも言うべきかと私は思うのだが)が中国農村に根強く生き残っている有様を、まざまざと見せつけられた思いがする。中国における政治文化のあり方がその市場経済化に及ぼす影響に、深く思いを致さずにはいられなかった。

以上4つの文献が、これまで読んできた中で特に感銘を受けたものである。もちろん、まだまだもっと読んでいかねばならない。これからも私なりに勉強を続けていき、本ブログにも、その経過を折に触れて書き留めていこうと思う。

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2007年4月24日 (火)

中国政治経済の勉強を開始(2)

授業の合間を見て、中国の勉強を少しずつ続けている。私にとって全く未知の分野であり、まだ勉強を始めたばかりなので、試行錯誤の連続である。現代中国の政治経済の根底にひそむ社会構造や政治文化のありさまについては、まだまだよく分かっていない。

それでもおぼろげながらに分かってきたことは、中国では、人的ネットワークが決定的な役割を果たしており、それが企業の経営組織においても、中央・地方政府での権力関係においても、非常に重要な要因となっているらしいということである。そのために、往々にして公と私とが融け合ってしまい、権力が私的に行使されることが多くなってしまうらしいのである。そこには、中国が伝統的に帝国でありつづけたこと、その帝国において家産制的な支配が行われてきたことが強く作用していると言えそうである。このことは、現代中国の改革開放路線において、大きな混乱要因となっているかもしれない。

しかしこれはまだ、私にとってはおぼろげな理解にすぎないので、まだまだたくさん本を読んでいかねばならない。幸い、私にとって重要となりそうな文献にどんなものがあるかも徐々に分かってきており、その注文も今日できたので、入手でき次第、読み進めていこうと思う。私の中国勉強は、まだまだこれからである。

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2007年4月20日 (金)

Googleアラートで温暖化ニュースをチェック

最新のニュースを追っておくことは、私の重要な仕事の一つだが、最近、そのために便利な方法を知った。「Google アラート」の利用がそれである。

利用方法は非常に簡単である。まずはGoogleのサイトにアクセスし、そのニュースのページにある「ニュースアラート」のページに行く。そこで検索用語を指定し(たとえば「温暖化」)、自分のメールアドレスを登録すれば、その用語関連のニュースを報じたヘッドラインのリンクの一覧が、メールで送られてくるのである。そのメール送信の頻度も設定できる(私の設定は「1日1回」である)。あとはそのリンクを辿ればよいだけだから、非常に便利だ。必要と感じたものはプリントアウトしてファイルに綴じておくことにすれば、簡単に保管もできる。

そこで手始めに、“温暖化”と“IPCC”を検索用語として試しに登録してみたところ、IPCC関連は何日かに一度だけだが、温暖化関連は毎日アラートメールが届くようになった。また、英語のニュースも気になるので、英語版Googleで"global warming"を登録しておいたところ、これも毎日送信されてくる。いかに温暖化が大きな関心事になっているかが、このことからも分かるというものである。

その温暖化関連のニュースで最近目立つのは、「地球温暖化問題が国連安保理で初めて議題になった」というニュースである。イギリスの強い要請でそうなったようだが、米・中の抵抗により、今回は公開討論のみとなり、決議は採択されないという。しかし、議題として取り上げられるようになったこと自体は、大きな一歩だと言うべきだろう。

そのような世界の動きの一方で、日本政府から未だに温暖化防止に向けて積極的な姿勢が見えてこないのが大変残念である。安全保障という観点からも、わが国の政府はもっと真剣に温暖化問題に取り組むべきではないだろうか。

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2007年4月18日 (水)

週刊ダイアモンドに書評(2)

『週刊ダイアモンド』に書評が掲載されたことを、本欄での昨日の(1本目の)記事でお伝えしたが、今日はその書評を受けて(ただしその書評の詳しい内容については、著作権保護の関係でここでは紹介できないので、『週刊ダイアモンド』2007年4月21日号の103頁をお読みいただきたい)、私が自著『ハイエクの政治思想』で主張しようとしたことを、改めてここで簡潔に書き留めておきたい。

私が最も力説しようとしたことは、ハイエクが自由の論理に反発する心理の由来を彼が“部族社会の情緒”と名付けて批判したことそれ自体であったというよりは、むしろ“部族社会の情緒”と名付けようが名付けまいが、ハイエクの唱える市場における“自由の規律”はあまりにも厳しく且つ冷淡なので、どんな人間であれ、本当の意味でそれに堪えることを欲しないだろう、ということであった。

ハイエクによれば、市場における自由競争においては、たとえ努力したからといって、その努力がそれ相応の報いをもたらしてくれるとは限らない。むしろ市場のもたらす結果には、不可知の“偶然”も大いに影響を及ぼすのである。したがって、ハイエクの唱える市場秩序は、「なぜ?」という問い、すなわち「これだけ努力したのになぜ…?」という(おそらく人間の発せずにはいられない)問いに対して、人間の心理を満足させられるだけの答えを出してはくれない。むしろそれは人々の心の内に、不条理に対する怒りあるいは諦念をもたらすだけだろう。これこそが、自著のサブタイトル“市場秩序にひそむ人間の苦境”に私の込めたメッセージであった。

たしかに私は一方で、ハイエクの自由論に大きな魅力と可能性を感じている。とくに「自由文明の創造力」を強調するハイエクの議論は、私にとって、大いに魅力的である。

しかしながら他方で、私の見るところ、ハイエクはわれわれにその「自由文明の創造力」を実際に発揮させることができるに足る、すなわちわれわれを彼の言う“自由の規律”(自分の運命にどこまでも責任を持つべしという規律)に従わせることができるだけの、充分な思想的根拠を示すことが遂にできなかった。むしろ彼の自由論は、結局のところ、自由の規律に雄々しく堪える気概を萎えさせるものに終わってしまったのである。

したがって、ハイエクの言う「自由文明の創造力」をわれわれが現実に発揮できるためには、我々はハイエクを超えて、自由の思想的根拠を新たに探求していかねばならない、それこそがわれわれに残された課題である--これが私の自著に込めた最も重要なメッセージであった。

このメッセージが読者にどのように受け止められていくのか、その反応を静かな気持ちで今後も待ちたいと思っている。

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2007年4月17日 (火)

ビデオ「気候大異変」の感想

伊勢学舎と名張学舎とで担当している「総合演習」の授業で(伊勢では今年度から新たに担当することになった)、昨年2月に放映された「NHKスペシャル 気候大異変(全2回)」のビデオを、(名張学舎では昨年に引き続き今年も)上映し、受講生諸君に感想文を書いてもらった。みな一様に、地球温暖化がもたらす悪影響の深刻さに、大変驚いたようである。というのも、これは単に地球が少し暖かくなるということではなく、このまま放っておくと、実にさまざまな点で、私たちの住む環境に深刻な影響が及ぶことになるからである(*)。

(*)なお、このビデオの内容についておさらいしたい場合には、本ブログにその概要をまとめた記事があるので、画面右の検索機能を使って(検索欄がスグに分かるようレイアウトを若干変更しておいた)、「このブログ内で検索」を選び、キーワードを「気候大異変」と入れて、本ブログ内の記事を検索していただきたい。

さて、このビデオをみて大変驚いた後の反応は、おおよそ次の3つのタイプに分かれた。

第1のタイプは、「もう、ただただ驚いた…」という感想文で、あまりの驚きに呆然としてしまった、というものである。そうなってしまうぐらい衝撃的だったのだろう。

第2のタイプは、将来に対してやや悲観的・絶望的になってしまうという感想文である。非常にショックだったことだろうから無理もないが、授業でも述べたように、悲観し絶望してもらうことが目的ではなかった。たしかに深刻なメッセージではあったが、あくまでもこれは“警告”であり、“宿命”ではない。100年後の地球がどうなるかは、今のわれわれの行動にかかっているのである。問題意識は強く持つ必要は大いにあるが、希望は失わないでいただきたいと思う。そのためにできることは何かについて考えていくことが、これからの授業の目的である。

第3のタイプは、大変ショックだったものの、何かをしていかなければならないし、実際に行動していきたい、と前向きな姿勢を見せてくれた感想文である。このタイプはさらに二つに分かれており、国家レベル・国際レベルでの大きな取り組みの必要性を強調するものもあれば、小さなことでもよいからまず自分から始めたいという決意を表明するものもあった。とくに今年に特徴的だったのは、後者の「まず自分から」という決意表明が、この段階で早くも多く見られたことである。それも非常に具体的に「マイ箸」「マイバッグ」を挙げたり、ティッシュペーパーの使う量を減らしたり、電気を無駄に使わない、といった取り組みを早速始めたい(あるいはすでに始めた)という感想が見られたことは、非常に頼もしいことであった。

以上の3つですべてが網羅されたわけではないが、だいたいにおいて、以上の3つに当てはまる感想文が大半を占めていた。それ以外でなかなか面白かったのは、「日本政府が他国から排出権を買っている」という事実をすでに知っており、それを批判する意見が一つ出たことである。排出権取引のことを見聞きしている受講者がいるとは予想していなかったので、感心した。ただし、たしかに排出権取引というしくみには一定の限界はあり、それだけでは全く不十分とはいえ、それは一つの有効な手段ではあるので、これについては、後に授業でも取り上げる予定である。

最後に、京都議定書から脱退しているアメリカに対する批判や強い疑問の声も感想文からいくつかあがっていたので、ここで補足をしておくと、たしかに現在の米ブッシュ政権は、排出量削減を義務付ける国際的な枠組みには依然として反対しているが、そのブッシュ大統領でさえ、最近では「アメリカは石油中毒である」と一般教書演説で述べ、石油依存体質からの脱却を謳うようになっている。また現在の米議会では、共和党のブッシュ大統領に対して批判的な民主党が優勢となっており、ブッシュ政権に対して地球温暖化問題へのさらなる取り組みを強く迫るようになっている。それに州レベルでは二酸化炭素削減に熱心な知事も現れており、カルフォルニア州のシュワルツェネッガー知事はその代表例である。市民レベルでも、市民団体が温暖化防止を願い決起集会を開催し、教会関係者も多数参加したことが、Christian Todayというウェブサイトで最近報じられたばかりである(このウェブサイトの存在を私はGoogleで「温暖化」を検索することによって知った)。このように、アメリカにおいても徐々にこのような動きが現れ始めていることは、知っておいてよいことである。

いずれにせよ、この「気候大異変」のビデオを上映した後の反応は(今年も)上々だった。授業担当者としては嬉しい限りである。これを出発点として、これからも授業を活発に進めていきたいと思っている。

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週刊ダイアモンドに書評

拙著『ハイエクの政治思想』の書評が、昨日発売された『週刊ダイアモンド』2007年4月21日号103頁の「今週の逸冊」というコーナーに掲載された。その書評記事のタイトルは、≪「市場原理主義」を嫌う心理を50年前に予見したハイエク≫となっている。評者は上武大学大学院教授の池田信夫氏である。著作権保護の関係でその内容をここで詳しく紹介することはできないが、「本書は日本語で書かれたハイエク論としては出色」と高い評価を与えていただいているのは大変光栄であった。

ただし、上記の書評記事では書かれていないものの、氏ご自身のブログ(池田信夫 blog)では、本書に関してかなり手厳しい言葉も述べられている。そこには「しかし後半のハイエクの現代的意義を論じる部分は、ありきたりの市場原理主義批判になってしまい、同じ本とは思えないほどつまらない」と書かれてあるから、なかなか辛辣である。

ここに言う「後半のハイエクの現代的意義を論じる部分」というのは、本書第4章および終章での議論を指してのことだろう。ここは「ハイエクから我々が学び取るべき現代的意義」を私なりに思い切って論じた部分だから、立場の違いによって評価が分かれることになるのも致し方あるまい。他方で、その部分をこそ高く評価する私信を私に寄せて下さる研究者の方もおられたから、読者によって反応はかなり異なってくるということだろう。

いずれにせよ、『週刊ダイアモンド』は、発行元のダイアモンド社によると「書店売上No.1ビジネス週刊誌」ということだから、そこに本書の書評が掲載されたということは、本書が多くのビジネスマンの目にとまる可能性が出てきたということを意味するだろう。それだけに大きな責任を感じるし、気の引き締まる思いがする。これからも精進を重ねて、社会に貢献できるような研究を続けていきたいと思う。

最後に、本書を書評して下さり高い評価を与えて下さった池田信夫氏に、この場を借りて、感謝の意を表明させていただく次第である。

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2007年4月13日 (金)

中国政治経済の勉強を開始

実は最近、本欄3月30日に書いたテーマと並行して、中国の政治経済についても勉強を開始した。それは以下に述べる理由からである。

私の勤める皇學館大学が、北京にある中国社会科学院・日本研究所と、実は2003年10月に学術研究交流協定を結んだ。私の所属する皇學館大学・社会福祉学部には「地域福祉文化研究所」が附置されているのだが、研究交流協定に基づいて、その附置研究所が中国社会科学院・日本研究所と「日中福祉文化の研究-地域と家族をめぐる福祉課題-」というテーマで共同研究していくことが昨年3月に決まり、その共同研究プロジェクトが少しずつ動き始めている。私自身は(今のところまだ)その附置研究所の所員ではないが、その共同研究への協力を依頼されていて、来年度に何らかの研究報告をすることを求められているため、中国の政治経済について、勉強し始める必要が生じてきたのである。

実を言うと、研究テーマとしての中国には、少々苦い思い出がある。というのも、大学4年生の秋に大学院合格が決まった後、翌年4月の進学に備えて研究テーマを何にするか考えていたときに、実は一度、中国研究を考えたことがあったものの、それをスグに諦めることになってしまったからである。

その時の私は、資本主義と社会主義の問題を考えるフィールドとして、中国を漠然と思い浮かべたのであった。そのため、中国語の勉強にもほんの少しだけ着手したこともある。しかしながら、その当時の未熟きわまりない私には、「資本主義と社会主義の問題を考えてみたい」という漠然とした理由を超えて、もっと具体的にどういう視角から中国研究を進めればよいのか、シッカリとした研究目的が全く見えてこなかったため、結局断念したのである。それと同時に、中国語の勉強も放棄してしまうことになった。それ以来、研究対象としてハイエクを選び取るまでの間、文字通りの“迷走”を続けることになったし、そのハイエク研究ですら、修士課程の2年間の間は全くモノにならなかったため(ようやく最初の公表論文の原稿を仕上げることができたのは博士課程の2年生のときであった)、精神的に非常に苦しい時期を味わうことになったのである。

そのような経緯があったため、いまでも中国のことを考えるとき、あの頃のことが甦ってきて、胸が少々締め付けられるような感じさえしてきたのである。いま思うと、それはちょっとした劣等感にもつながっていたように思う。だから、上記の日中研究交流に基づく仕事の話が私にも及んできたとき、実は内心かなり気が重かったことは否定できない。

しかし、見方を変えれば、あのとき自分の中で研究テーマとして中国を思い浮かべたとき、その当時は全く分からなかったとはいえ、やはり、研究すべき“何か”を、漠然とではあれ、自分の中に直観的に感じ取っていたのかもしれない。それが今になって、機が熟してきたことにより、中国研究の話が私にも舞い込んできた、と考えることもできるのではなかろうか--そう思い直したとき、「よし!やってみよう!!」と勇気を振り絞ることができたのである。それはまた、大学院進学を控えて、不安で不安で仕方なかった頃の自分に対する苦いマイナスの思い出を、逆にプラスの思い出に切り替えることのできた瞬間でもあったように思う。

中国に関する書物はそれこそ汗牛充棟であり、「どれから手を付けてよいのやら…」と目が眩みそうになりそうなものだが、私の場合、非常に幸いなことに、私の出た京大法大学院(政治学専攻)には、私の恩師はもちろんのこと、当時の大学院生仲間(先輩・同僚・後輩)に、中国をはじめとした東アジアあるいは東南アジアの優秀な研究者がたくさんいて、個人的にも親交があるから、何から読み始めればよいかについて、迷う心配は全くなかった。考えてみれば、大変有り難いことだと思う。

曲がりなりにも、これまでのハイエク研究に一段落を付けられた以上、ハイエク研究をしてきた者の立場から、何か新たな視点を打ち出すことも決して不可能ではないだろう。そう信じて、新たな歩みを一歩一歩進めていきたいと思う。

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2007年4月11日 (水)

頭脳明晰な早朝の時間

昨夜は9時半には床に就いた。おそらく10時頃には眠りに落ちたと思う。そのおかげで、今朝はずいぶん早くに目が覚めた。なんと午前3時前である。もっとも、それは、その時間に消防車の音がけたたましく鳴っているのが聞こえたためであったのかもしれない。しかし、その後すぐに再び眠るのではなく、パッチリ目が覚め、体も爽快だったことを考えると、やはりそれは“早寝”の効果だったと思う。

しばらく横になったままでいたのだが、もうスッカリ目覚めてしまったので、本を読むことにした。それは以前に、帰りの電車で夕方に読んでいたときには、あまり頭に入ってこなかったものだった。ところが、今朝早くに読んでいると、不思議にもスーッと頭に入ってきて、スムーズに理解できたのである。

これには2つの要因があったように思う。一つは睡眠により疲れが取れていたこと。もう一つは気分がゆったりしていたことである。以前に帰りの電車で夕方に読んでいたときには、その日の仕事で少々疲れていたし、それに焦りの気持ちもあった。それだけに、今朝の読書との理解度の違いに、改めて驚いたのである。

やはり早朝の時間は、私の経験では、頭脳が明晰な時間帯のようである。もっとも、早起きできるためには、あまり心配しすぎないことも大切だろう。というのも、ここ数週間は、授業シーズンの開始を目前にして、少々、取り越し苦労が過ぎてしまっていたため、思うように早起きできなかったからだ。それでも幸い、だいだい授業の日々を順調に送れるだけの最低限の目処はたってきた。いよいよのときになると不思議に腹が据わるのは、私の性格の有り難いところだ。

今日からいよいよ授業が開始される。今日の9:10からの1講時目から早速私の担当授業が幕を開ける。今日は早起きできたおかげで、気持ちにも余裕を持てているようだ。

これからも心をゆったりとさせ、早寝早起きを続けながら、早朝の時間を生かしてコツコツと研究を続けつつ、授業にもシッカリ取り組んでいきたいと思っている。

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2007年4月 8日 (日)

新入生セミナーでの言葉

昨日の正午すぎに、新入生セミナーを終えて帰ってきた。1泊2日の間に新入生が互いにかなり打ち解け合った様子を微笑ましく見守っていた。補助のために参加してくれた上級生諸君もよく働いてくれたし、国立青少年自然の家の職員やボランティアの方々にも、クラス別レクリエーションで随分とお世話になった。この場を借りて、心よりお礼を申し上げたい。さらには、このセミナーでは1年生の各クラス(5つ)より、2名のクラス委員と、2名の選挙管理委員をさっそく選出してもらったが、そのクラス委員・選挙管理委員を引き受けてくれた計20名の新入生諸君には、心から賛嘆の拍手を送りたい。

そのセミナーの最後に、学生委員長として一言述べる機会があった。そこで新入生諸君に述べた要点は次の3点である:

①初心を忘れずに大学生活を送ってほしい。

②思いやりの心をもちましょう。

③何か疑問に思うことがあったら、一人で悩まずに気軽に相談して下さい。私たち学生委員会は、みなさんの大学生活が思い出に残る素晴らしいものとなるよう、支援していきます。

新入生諸君は、新たなスタートを切るにあたって、やはり新鮮な気持ちを抱いていることだろう。そこで、その“初心”を大切にしてほしいと思い、①のことを述べた。

②の「思いやり」で述べたのは、人への思いやりばかりではない。もちろんそれは非常に大切なのだが、それに加えて、動植物にも思いやりを持ってほしいということを強調した。キャンパス内には、数は少ないとはいえ、自然の動物の姿も見られる。たとえば夏にはアリがゾロゾロと歩いている姿を毎日見ることができるのである。そのアリさんたちを、できるだけ踏んづけずに歩くことも、「思いやり」の一つだろう。さらには、キャンパス内には植物も植えられているから、その植物たちにも思いやりの心を持ってほしいのである。そうすれば、ゴミのポイ捨てをたとえば芝生の上で行うといったことも、少なくなっていくのではないだろうか。

③に込めたメッセージは、ある意味では、新入生に対してというよりは、われわれ教職員に向けてのものだったのかもしれない。というのも、学生に(迎合するというのでは決してないが)満足してもらえるようなキャンパスにしていく(あるいはそうあり続けていく)ためには、学生諸君からの声に、謙虚に耳を傾ける姿勢を保持していくことが要求されるからである。何かちょっとしたことで、「なぜ?」という疑問・不満を持つことがもしもあった場合、それをいい意味で気軽に言ってもらえるような雰囲気をわれわれ教職員が持っていなければ、小さな不満が少しずつ溜まって、いつしか大きなものとなってしまうことだろう。大切なのは、日々の小さな改善を、われわれ教職員が積み重ねていくことなのである。

新入生セミナーを終えて、いよいよ新学期が本格的にスタートする。心を新たにして、明日からの日々の仕事に取り組んでいきたいと思う。

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2007年4月 6日 (金)

新入生セミナーへ出発

今日・明日と1泊2日の日程で、国立曽爾青少年自然の家で、「新入生セミナー」が行なわれる。10時にバスが大学を出発するので、もうまもなくだ。

このセミナーでは、学生委員会としての仕事だけではなく、私は1年Cクラスの担任にもなっているので、クラス担任としての役目もある。新入生との新たな出会いを楽しみにして、仕事に勤しもうと思っている。明日の正午に大学へ戻ってくる予定である。

それでは行って来ます!

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2007年4月 4日 (水)

学生委員長に就任

昨日行われた今年度最初の学生委員会で、私が新たに、皇學館大学・社会福祉学部の学生委員長を務めることが決定された。学生委員会の新たなメンバー構成は昨年度末にすでに決まっていたのだが、今年度に入り、その委員会での互選により、私が委員長に選ばれたのである(任期は2年間)。

いわゆる「○○委員長」という役に就くのは、通常は、教授であることが多い。実際、教務委員長や就職委員長は教授の先生がなっておられる。私は准教授だから(学校教育法の改正に伴い、これまでの助教授が准教授という名称に今年度から変更されている)、まだ委員長になる可能性は低いはずであった。

ところが、「学生委員会」の場合は、学生生活全般の指導と支援を行う部署であり、学生と親しく接する機会が非常に多いことから、今年度からは、学生委員会の構成も准教授や講師といった若手や中堅のメンバーを中心とすることになったのである。私が今回学生委員長として選ばれたのは、その若手・中堅クラスの代表としてであった。実際、平成10年4月に皇學館大学・社会福祉学部が開設されて以来、昨年度末で丸9年間の年月が経ったが、その9年間のうち、7年間は学生委員会の一員だったから、学生委員としてのキャリアはかなり蓄積されていた。そういう意味で、今回、私が学生委員長として選ばれたのは、自然の成り行きだったのかもしれない。

今日は入学式の日だったが、式が執り行われた後の「教職員と保護者との懇談会」で、さっそく学生委員長としての初仕事が待っていた。それは、保護者の方々に、われわれがどのような学生指導・支援体制をとっているかについて、その概要を説明させていただく仕事である。最初に登壇したときに、「えらい若いのが出てきたな、と思われるかもしれませんが……」と少し間を置いたあと、「38歳です」と正直に言うと、保護者の方々から笑い声が漏れたので、上々のスタートを切ることができた。

その後、資料に基づいてできるだけ手際よく説明しようと努めたのだが、いつの間にか時間を少々オーバーしてしまったようだ。しかしながら、幸い、保護者の方々には時おり頷いたり、「あぁ、なるほど…」と納得してもらいながら聞いていただいていたようだし、冒頭の場面に続いて、さらに何度か朗らかな笑いも起こったので、全体としては成功したのではないかと思っている。ある先生からは「自然でフレンドリーな説明でした」という評価をいただいたし、また別の先生からは「声に張りがあって明るくてよかった」というお褒めもいただいたのは嬉しいことだった。

今年からはうちの娘も、3年保育で私立の幼稚園に入園するのだが、教育費に毎月3万円ほど必要となる。しかしながら、お子さんを大学にやるためには、月3万円では到底済まない。それを保護者の方々が我々を信頼して、学費を支払ってお子さんを大学に預けて下さるのである。それを思うと、学生たちの大学生活を、思い出に残る素晴らしいものにしてもらえるよう、真心込めて支援していきたいと思うのである。

さっそく改善していきたいことがいくつかあるのだが、焦ったり力んだりすることなく自然体で、他の学生委員の先生方のご協力を仰ぎながら、朗らかな気持ちで、和を大切にして委員会運営を行っていきたいと考えている。

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2007年4月 2日 (月)

新年度がスタート

今日からいよいよ新年度がスタートした。正確には昨日からだろうが、昨日は日曜日だったから、気分としては今日が新年度のいわば“仕事始め”である。人事異動により教員スタッフ構成にも変化があった。何よりも大学の場合には、卒業生が巣立ち、新入生が入ってくるし、在学生も学年が進むから、雰囲気が一変する。明日が新年度最初の新入生の登学日となっているから、キャンパスには初々しい気分がみなぎることになるだろう。楽しみである。入学式が明後日の4日に挙行される。

さて、その新年度の授業担当であるが、4月~7月までが週平均8コマ、10月から翌年1月までが7コマとなる。「週平均」という表現をしたのは、水曜日の4・5講時連続の授業が隔週で開講されるからだ。つまり、たとえば最初の週は9コマだが、その次の週は7コマとなるというように、週によって変わるのである。4月~7月までは9コマ→7コマのサイクルで、10月~1月までは8コマ→6コマのサイクルで、授業を進めていくことになる。いずれにせよ、昨年度よりも少し担当が増えた。

今年度からの大きな変化は、本務校の皇學館大学以外に、一つ非常勤で別の大学にも講義に行くようになることだ。10月~1月まで、大阪市立大学法学部の2部で政治学概論を担当することになった。上記の担当コマ数には、この非常勤の授業もカウントしている。

もう一つ、今年度からの大きな変化は、英語を習いに行っているECC難波校でのクラスと曜日が変わることだ。時事英語上級クラス(木曜日)から、時事英語の最上級クラス(水曜日)へと移るのである。時間帯もこれまでの18:30~19:50から、20:00~21:20となり、帰宅がその分遅くなる。クラスのレベルも上がるから、授業の雰囲気もだいぶ変わることだろう。ただし、先生は同じなので、その点ではすぐに馴染めそうである。

いずれにせよ、今日から新年度がスタートした。また新たな気持ちで、教育にも研究にも、英語の勉強にも喜んで勤しみたいと思う。

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