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2007年4月13日 (金)

中国政治経済の勉強を開始

実は最近、本欄3月30日に書いたテーマと並行して、中国の政治経済についても勉強を開始した。それは以下に述べる理由からである。

私の勤める皇學館大学が、北京にある中国社会科学院・日本研究所と、実は2003年10月に学術研究交流協定を結んだ。私の所属する皇學館大学・社会福祉学部には「地域福祉文化研究所」が附置されているのだが、研究交流協定に基づいて、その附置研究所が中国社会科学院・日本研究所と「日中福祉文化の研究-地域と家族をめぐる福祉課題-」というテーマで共同研究していくことが昨年3月に決まり、その共同研究プロジェクトが少しずつ動き始めている。私自身は(今のところまだ)その附置研究所の所員ではないが、その共同研究への協力を依頼されていて、来年度に何らかの研究報告をすることを求められているため、中国の政治経済について、勉強し始める必要が生じてきたのである。

実を言うと、研究テーマとしての中国には、少々苦い思い出がある。というのも、大学4年生の秋に大学院合格が決まった後、翌年4月の進学に備えて研究テーマを何にするか考えていたときに、実は一度、中国研究を考えたことがあったものの、それをスグに諦めることになってしまったからである。

その時の私は、資本主義と社会主義の問題を考えるフィールドとして、中国を漠然と思い浮かべたのであった。そのため、中国語の勉強にもほんの少しだけ着手したこともある。しかしながら、その当時の未熟きわまりない私には、「資本主義と社会主義の問題を考えてみたい」という漠然とした理由を超えて、もっと具体的にどういう視角から中国研究を進めればよいのか、シッカリとした研究目的が全く見えてこなかったため、結局断念したのである。それと同時に、中国語の勉強も放棄してしまうことになった。それ以来、研究対象としてハイエクを選び取るまでの間、文字通りの“迷走”を続けることになったし、そのハイエク研究ですら、修士課程の2年間の間は全くモノにならなかったため(ようやく最初の公表論文の原稿を仕上げることができたのは博士課程の2年生のときであった)、精神的に非常に苦しい時期を味わうことになったのである。

そのような経緯があったため、いまでも中国のことを考えるとき、あの頃のことが甦ってきて、胸が少々締め付けられるような感じさえしてきたのである。いま思うと、それはちょっとした劣等感にもつながっていたように思う。だから、上記の日中研究交流に基づく仕事の話が私にも及んできたとき、実は内心かなり気が重かったことは否定できない。

しかし、見方を変えれば、あのとき自分の中で研究テーマとして中国を思い浮かべたとき、その当時は全く分からなかったとはいえ、やはり、研究すべき“何か”を、漠然とではあれ、自分の中に直観的に感じ取っていたのかもしれない。それが今になって、機が熟してきたことにより、中国研究の話が私にも舞い込んできた、と考えることもできるのではなかろうか--そう思い直したとき、「よし!やってみよう!!」と勇気を振り絞ることができたのである。それはまた、大学院進学を控えて、不安で不安で仕方なかった頃の自分に対する苦いマイナスの思い出を、逆にプラスの思い出に切り替えることのできた瞬間でもあったように思う。

中国に関する書物はそれこそ汗牛充棟であり、「どれから手を付けてよいのやら…」と目が眩みそうになりそうなものだが、私の場合、非常に幸いなことに、私の出た京大法大学院(政治学専攻)には、私の恩師はもちろんのこと、当時の大学院生仲間(先輩・同僚・後輩)に、中国をはじめとした東アジアあるいは東南アジアの優秀な研究者がたくさんいて、個人的にも親交があるから、何から読み始めればよいかについて、迷う心配は全くなかった。考えてみれば、大変有り難いことだと思う。

曲がりなりにも、これまでのハイエク研究に一段落を付けられた以上、ハイエク研究をしてきた者の立場から、何か新たな視点を打ち出すことも決して不可能ではないだろう。そう信じて、新たな歩みを一歩一歩進めていきたいと思う。

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コメント

山中先生へ

本当に規則正しい生活をされていますね。なんだか修道士か修行僧みたいです。

僕は英知時代に中国語の単位を落とした経験があります。でも英知の留学生には割りと好意的に接してくれました。

中国は本当に色々な意味でダイナミックな国ですね。資本主義にしろ社会主義にしろ貧富の差が広がるという点では同じなのが気になります。

まあ僕は中国のことはあまり知らないのでこれ以上のことは言えませんが。

投稿: スメルジャコフ | 2007年4月13日 (金) 13時19分

スメルジャコフさん、

> 本当に規則正しい生活をされていますね。なんだか修道士か修行僧みたいです。

完全に脱俗的な禁欲生活を徹底的に行なっているわけではないのですが、食事の面でも、あまり肉を食べなくなっている(特に牛・豚は、少なくとも自分から進んでは、全く食べなくなりました)ことを考えると、それに少しは近いかもしれませんね。

ただし、肉食を控えるようになったのには、環境問題への関心が理由でもあります。これについては、本ブログでも書きました。
 ↓
http://masaruyamanaka.cocolog-nifty.com/kenkyu_diary/2006/12/post_7e60.html

投稿: 山中 | 2007年4月13日 (金) 16時39分

すみません、さきほどのコメント末尾のリンクが、何故か、うまく貼られていないようです。失礼しました。2006年12月29日の記事です。もしよろしければ、お読み(あるいは再読)下さい。

投稿: 山中 | 2007年4月13日 (金) 16時42分

山中さん、ブログにコメント頂きありがとうございます。実はわたしはもともと思想史などに興味があったにもかかわらず専門として選ぶだけの自信がなく現在の研究テーマに落ち着いたという経緯がありますので、山中さんの研究テーマ選択のお話は非常に興味深く感じました。現在は中国経済関係の文献が増えすぎて専門家でもとてもフォローできない(たとえば中国語文献をきちんとフォローしようと思えば英語文献を捨てないといけない)状況にあり、果たして「中国研究者とは何か?」ということが常に問われているような気がします。そんな中で山中さんのような思想史を専門とされている方がどのように現代中国にアプローチされるのか、私のような者でも大変興味があります。また機会があればお邪魔させていただきたいと思います。

投稿: 梶ピエール | 2007年4月28日 (土) 17時07分

梶ピエールさん、

こちらこそ、当方のブログにコメントをいただき、誠にありがとうございました。

そうでしたか、梶さんの場合は私とまったく逆のパターンを辿って中国経済研究に落ち着かれたのですね。私の場合は地域研究をこそ自分の専門に選ぶ自信がなかったのでした。そうやって、お互いに得意分野の違う者同士が相補いあっていくのが、また楽しい--ということなのかもしれませんね。

そんな私がどうやって現代中国にアプローチしてゆけるのか…まだ自分でもよく見えてきていないのですが、一つ興味深いのは、ハイエクの主著の一つ、The Constitution of Liberty (邦訳名『自由の条件』春秋社刊)が、中国語にも翻訳されているという事実です。『自由秩序原理』という書名で、1997年12月に三朕?店(?のところはたぶん、「書」の現代中国文字だと想像しているのですが)から上下2巻本で出版されています。改革開放路線の中で、ハイエクの思想体系が現代中国にとってどのような意味を持つことになるのかということは、私にもできるテーマなのかもしれません。

いずれにせよ、これからもコツコツと勉強を進めていこうと思っておりますので、どうぞ今後ともよろしくお願いします。

投稿: 山中 | 2007年4月28日 (土) 18時56分

すみません、ハイエクの中国語訳を出した出版社の名前に誤りがありました。正しくは「三聯書店」でした。?としていた部分が「書」の現代中国文字だと思うという推測は合っていましたが、「聯」の中国文字を「朕」と勘違いしていました。大変失礼いたしました。

投稿: 山中 | 2007年4月29日 (日) 13時37分

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