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2007年4月28日 (土)

中国の地方政府主導型の経済発展をめぐって

今日、現代中国政治経済の研究者・三宅康之氏(愛知県立大学)の論文「中国の経済発展と地方の産業行政」(日本比較政治学会編 『比較のなかの中国政治』 早稲田大学出版部、2004年6月刊、第4章所収)を読み、大いに勉強させてもらった。

経済発展に際して中央政府が主導的な役割を果たした他の東アジアNIES諸国とは異なって、中国は「地方政府主導型」--これは三宅氏によると加藤弘之氏〔現代中国経済研究者のわが国における代表的存在の一人で、現在、神戸大学大学院経済学研究科教授〕の言葉であるが--の経済発展の道を辿っているのであるが、三宅氏はこの論文で、現代中国研究の世界においてはすでに周知の事実となっている(しかし恥ずかしながら私にとっては「なるほど…!」と初めて気づかされた)この「地方政府主導型」の経済発展について、「先行研究を摂取しつつも、中央と地方政府の関係性、政治と経済の連動性を踏まえて長期的に地方政府の動態を捉える作業によって、中国の経済発展において地方政府が果たした役割の再解釈を試み」ている(上掲書79頁)。

中国の専門家ではない私にとっては、三宅氏が先行研究の成果を消化・吸収しつつ、そこに残されている問題点を的確に指摘してくれていることが、膨大な諸文献を一から読み始める手間を省いてくれたという意味で、非常にありがたかった。特に、先行研究が政治学的アプローチと経済学的アプローチとのどちらか一方に偏りがちであったのに対して、氏がご自身の研究において「政治と経済の連動性」を強く意識されていることが、ハイエクを研究してきたがゆえに(単なる政治学でも経済学でもなく)「政治経済学」にも強い関心を抱く私にとっても、大いに興味をそそられるところなのであった。

いずれにせよ三宅氏は、上記の問題意識に基づいて、現代中国の経済発展に地方の産業行政が果たした重要な役割を、氏独自の視点から明快に分析されている。その分析の詳細について、ここで綿密に紹介できる用意はないが、氏によれば、要するに中国は、その高度に中央集権的な外観にもかかわらず、〔その国土のサイズがあまりに大きいが故に〕実は政策実施を地方に依存している。各地方政府は往々にして中央の政策の束縛から逸脱しがちであるが、中央は表面的に整合性が保たれさえすれば、地方の遠心的傾向を黙認してきた。政策実施を地方に委ねる方が、統治コストが安価で済むからである。この点で中央は地方に依存している。他方で地方政府も、地方指導部の党官僚個人とその管轄行政区の等級昇格を決めるのは中央政府である(すなわち人事権を握っているのは中央である)という意味で、中央に依存している。このような中央地方間の相互依存関係の中で、現代中国は「統御が困難であるというコストはあるものの、安価な統治の下で地方政府主導型の高成長を実現した」。つまり、中国独特のこの中央地方の相互依存関係こそが、「広大な国土とそこに住まう膨大な人口を統治する巨大官僚システムの安価な維持運営の精髄にある」のである(上掲書108頁)。

この三宅氏の議論を知って、私の思ったことは、「あぁ、やっぱり中国は“帝国”なのだ…」ということである。というのも、三宅氏も的確に指摘しておられるように(上掲書108頁)、壮麗な中央集権的外観にもかかわらず、その実、その統治方式は、そのあまりにも広大な国土の上に広く浅く覆いかぶさっているだけなのが、まさに伝統的な中華帝国の統治のあり方だったからである。

ここで思い起こされるのが、本ブログの昨日の記事でも言及した、野田宣雄氏の現代中国論である。というのも、野田氏によれば、改革・開放路線は鄧小平独特の帝国支配への復帰の試みであり、鄧小平は、中国を近代的な国民国家へと仕立て上げようとした歴代の中国指導者(孫文、蒋介石それに毛沢東)とは異なって、「緊密な近代主権国家の実現を断念し、中国を孫文や蒋介石以前のルースな支配の形態に引き戻す道を選んだ」(野田宣雄 『二十世紀をどう見るか』 文春新書、190頁)。そして野田氏によれば、「鄧小平の非凡さは、グローバル化という世界経済のまったく新たな潮流と、帝国という中国の伝統的な統治方法との親縁性を見逃さなかった点」にあったのである(同書191頁)。

しかしながら、そうだとすれば、経済発展に伴う経済的・社会的摩擦(近年の極めて深刻な環境破壊への対処も含めて)に統一的に対処できる能力も、現代中国の中央政府には欠如していることになる。その対処の重荷はひとえに地方政府の肩にのしかかることになるだろう。果たして中国の各地方政府にそのための用意があるのだろうか?

しかも現代中国のとっている経済発展戦略が、20世紀に典型的だった近代主権国家としての緊密なまとまりによるものではなく、むしろ分権型の市場経済化によるものだとするならば、地方政府の遠心的傾向はさらに強まっていくことだろう。実際、三宅氏もそう指摘しているし(上掲『比較のなかの中国政治』108頁)、野田氏も中国分裂の可能性についても(統一維持の可能性とともに)周到に目を配っておられる(上掲『二十世紀をどう見るか』200-202頁)。

しかも中国には連邦制への極端なまでの嫌悪感があり、いわゆる「大一統」への執拗なまでの固執があると言われている。だとするならば、その中央地方関係には、並々ならぬ緊張関係が生じることになるだろう。そのようなとき、果たして中国は一体どのようにして、秩序の安定を図ろうとするのだろうか? それは極めて大きな難題だと思われて仕方がないのである。

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コメント

山中先生、こんばんは。

ワタシは先生の「政治学概論」を受けさせていただいてます、一回生です。誰かは内緒です(笑)


興味のある学問を片っ端から研究してゆかれてるのですね~。

携帯から拝見したのですが…「トウ小平」の「トウ」が、文字化け?で何故かオバアちゃんマークになっていましたよ(笑)

投稿: あめしょ | 2007年5月 1日 (火) 22時21分

あめしょさん、

「山中優の教育・研究日記」へようこそ!コメントをありがとうございました。

> 興味のある学問を片っ端から研究してゆかれてるのですね~。

そうですね。ちょっとした“使命感”のようなものに突き動かされているのかもしれません。少しでも世の中に貢献したいと思っていますので…。

> 携帯から拝見したのですが…「トウ小平」の「トウ」が、文字化け?で何故かオバアちゃんマークになっていましたよ(笑)

そうでしたか…。それは失礼しました。私にはその文字化けを解決できるだけの専門知識がないので、どうぞご容赦下さい。パソコンでなら正しく表示されると思います。それにしても、なぜオバアちゃんマークだったのでしょうね(笑)

> ワタシは先生の「政治学概論」を受けさせていただいてます、一回生です。誰かは内緒です(笑)

いつか、あなたがどなたなのか、教えてもらえる日を楽しみにしています(笑)。これからも政治学概論を熱心にご受講いただけることを願っています。

投稿: 山中 | 2007年5月 4日 (金) 19時07分

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