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2007年6月29日 (金)

環境家計簿で暮らしのCO2ダイエット

地球温暖化=気候変動問題をテーマとした総合演習(教職)の授業の一環で、「環境家計簿」を受講生諸君につけてもらうことにした。個人・家庭での取り組みへの意識を高めてもらうためである。実はわが家でもまだつけていなかったので、今月からつけ始めることにした。

「環境家計簿」にもいろいろな種類があるようだが、私の場合は、環境LOHASのホームページ掲載のものを使用することにした。ここには家庭内での活動による排出量のみならず、ガソリンの使用も計算することになっているから、移動に伴う排出も考慮されている。

これでわが家での今月のCO2排出量を計算してみたところ、239kgだった。上記の環境LOHASのホームページによると、日本の一般家庭の年平均が約3.5トン~6トンだから、月平均に直すと約290kg~500kgが一般家庭の平均排出量となる。わが家の場合239kgだったから、平均値を下回っていたことになる。これはなかなか嬉しい数字だった。普段からいろいろとちょっとしたことで、不必要な電気や水道の使用を控えるようにしてきた成果だったように思う。

とはいえ、改善の余地はまだまだある。とくにコンポストを活用してのゴミの削減は全く手つかずである。家庭菜園を持っているわけではないので、たとえ生ゴミやその他分解可能なものを堆肥化したとしても、その堆肥の活用先がまだ全く分かっていないのである。なので、コンポストもまだ購入していない。これは全くこれからの課題である。

とはいえ、わが家のCO2排出量が平均値を下回るものだったことは、やはり嬉しかった。これからも楽しく、ゲーム感覚で、「暮らしのCO2ダイエット」(これは東京電力によるキャッチフレーズだが)をすすめていきたいと思う。

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2007年6月16日 (土)

初めてのカメの世話

今日はじめて、我が家で飼っているミズガメの世話を私の手で行なった。これまでの私は、エサを時々やる以外のことを、このミズガメのためにしてやったことがなかった。ところが今日は、汚れた水の入れ替えや、甲羅の掃除といった世話まで、すべて私がしたのである。

このカメは、たしかもう7・8年も前から我が家にいるが、実は自らすすんで飼い始めたものではない。そうではなく、ひょんなことから、我が家で世話を引き受けることになったのである(その経緯はここには書かないことにする)。それ以来、私の父と母がよく面倒をみてやっていた。父母はこのカメに「カメ吉」(かめきち)という名前をつけた。父などは特に、休みの日になると、このカメ吉をよく可愛がったものである。ずっと水槽に閉じこめておくのは可哀想だというので、よく庭先に放してやっていた。そうして放しているうちに、いつのまにかどこかへ行ってしまい、「行方不明」になったことも3度ばかりあった。そのようなときには家じゅう大騒ぎで、必死に探しに行ったものである。幸い、その3度の行方不明事件にもかかわらず、カメ吉は無事に見つかり、今でも我が家で飼われている。

その父が2年前の4月に亡くなってからは、母が一人でその面倒を引き受けることになった。母も父に負けず劣らず、カメ吉の面倒をよく見てやっていた。最近では、近所の子どもに(悪気はないのだが)イタズラをされ始めたというので、勝手にフタをとられてイタズラされないよう、2本のヒモでフタをくくり、さらにはブロックをそのフタの上に置くという念の入れようだった。そんな様子をいつも見ていた私は、「自分からすすんで飼い始めたものではないのに、よくもまあ、これだけよく面倒をみてやるものだなぁ…」と感心していたものである。

そんなふうに、いつもそばで見ているだけだった私が、今日はじめてこのカメ吉の面倒を見ることになったのは、そうしなければならなくなったからである。

母は6月11日(月)午後1時15分、急性白血病のため、入院先の病院で亡くなった。65歳だった。翌12日に通夜を、13日に葬儀を済ませたばかりである。そのようなわけで、最近は教育にも研究にも全く手つかずの日々であり、葬儀の終わった後も色々な手続で多用な日々を過ごしてきたが、昨日あたりからようやく、少しは落ち着いてきた。

母は6月2日に入院したが、それ以来、同居していた私と妻のみならず、すでに自立して東京・大阪・京都・奈良とそれぞれの場所で暮らしている兄2人、姉1人、妹1人が急遽集まって、交代で病室での母の付き添いに明け暮れた(今月に入ってから本ブログの更新ができなかったのはこの理由による)。医者をしている姉の夫にも、京都からたびたび駆けつけてもらい、ずいぶん助けていただいた。その少し前から母は体調がすぐれなかったから、その間、我が家では誰も、カメ吉のことには全くかまってやれなかった。そうしてフト気がついてみると、カメ吉を飼っている水槽のなかの水は、淀んだ池の水のように濃い緑色になって、それはそれは大変な濁りようだった。その甲羅にも、その緑色のものが少なからず付着している。そんなわけで、今日私が世話をすることにしたのである。

父も母も他界した今、このカメ吉を飼うのはやめて、どこかの池にでも放してしまおうか--とも一瞬考えた。しかし、小さな頃から人の手で飼われて育ってきたこの小動物に、野生で生き抜いていくための能力はもはや残ってはいまい。また、もしもこのカメが外来種だったとしたら(まだ詳しく確認はしていないが)、このカメをどこかに放すことで、そこでの生態系に悪影響を及ぼさないとも限らない。それに何よりも、このカメ吉は、わが愛する父母が本当に可愛がってきた生き物である。それを今さら、その世話を、一緒に住んできた息子の私が放棄するわけにもいかないだろう--そう思って、その世話を私が引き継ぐことに決めたのである。

今日、その世話を初めて行なってみて、私の父母がいかに愛深い人だったか、よく分かった。イヌのように毎日散歩に連れて行く必要はないが、それでもいざやってみると、案外、手間のかかるものである。しかし、繰り返しになるが、このカメは、自らすすんで飼い始めたものではない。ひょんなことから、その世話を「引き受けた」に過ぎない。にもかかわらず、父も母も、本当によくその面倒を見ていたのである。

だから私も、今日からこのカメ吉の世話を引き継いでいこうと思う。ありし日の父母の姿を思い浮かべながら…。

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2007年6月 1日 (金)

授業を “晴れ舞台” と考える

今日から6月である。新年度が始まってから2ヶ月が経ったわけだが、5月末は気持ちが少々バテてしまい、身体的にも少し体調不良となってしまった。そのため、今週の月・火の二日間、休講してしまったのである。水曜日から復帰したが、それでも今週は疲れやすくなっていた。

原因は何だったのだろう…と反省してみて思い当たったのは、授業を義務=負担と考えすぎていた、ということである。授業をイヤだと思っていたわけではなく、いい意味で楽しんでいるつもりだったのだが、その一方で、心のどこかでまだ、「やはりなかなかシンドイことだ」という思いも残っていたのである。

しかし、それではやはりどうしても疲労の蓄積を避けられない。疲れるのはイヤなことである。そこで、授業に対する考え方を変えることにした。授業に臨むことを、負担ではなく、“晴れ舞台”だと考えることにしたのである。

そのヒントは、私の好きなプロ野球から得た。実は心中ひそかに、私は新学期のスタートをプロ野球のシーズンインにたとえて自分の気持ちを引き立てることにしていた。ところが、なぜか不思議と、そのたとえを授業にも適用して“授業=試合”と考えることはなかった。しかしながら、もしも新学期の開始をプロ野球の開幕にたとえるのであれば、毎回の授業をその試合と考えることはむしろ自然であろう。とはいっても、別に勝ち負けを争うという意味ではない。そうではなくて、自分の力を発揮するための“晴れ舞台”という意味で、授業をプロ野球の試合と同じと考えることにしたのである。

そうすると、授業の準備は、さしずめ試合前の練習である。心身ともにベストコンディションで臨むためには、試合前の練習が非常に大切だが、授業を晴れ舞台としての試合と考えることができれば、それに備えての練習=授業の準備にも、これまで以上に気持ちを込めることができるようになるだろう。

6月からはそのような気持ちで、毎週の“晴れ舞台”に臨もうと思う。

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