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2007年6月16日 (土)

初めてのカメの世話

今日はじめて、我が家で飼っているミズガメの世話を私の手で行なった。これまでの私は、エサを時々やる以外のことを、このミズガメのためにしてやったことがなかった。ところが今日は、汚れた水の入れ替えや、甲羅の掃除といった世話まで、すべて私がしたのである。

このカメは、たしかもう7・8年も前から我が家にいるが、実は自らすすんで飼い始めたものではない。そうではなく、ひょんなことから、我が家で世話を引き受けることになったのである(その経緯はここには書かないことにする)。それ以来、私の父と母がよく面倒をみてやっていた。父母はこのカメに「カメ吉」(かめきち)という名前をつけた。父などは特に、休みの日になると、このカメ吉をよく可愛がったものである。ずっと水槽に閉じこめておくのは可哀想だというので、よく庭先に放してやっていた。そうして放しているうちに、いつのまにかどこかへ行ってしまい、「行方不明」になったことも3度ばかりあった。そのようなときには家じゅう大騒ぎで、必死に探しに行ったものである。幸い、その3度の行方不明事件にもかかわらず、カメ吉は無事に見つかり、今でも我が家で飼われている。

その父が2年前の4月に亡くなってからは、母が一人でその面倒を引き受けることになった。母も父に負けず劣らず、カメ吉の面倒をよく見てやっていた。最近では、近所の子どもに(悪気はないのだが)イタズラをされ始めたというので、勝手にフタをとられてイタズラされないよう、2本のヒモでフタをくくり、さらにはブロックをそのフタの上に置くという念の入れようだった。そんな様子をいつも見ていた私は、「自分からすすんで飼い始めたものではないのに、よくもまあ、これだけよく面倒をみてやるものだなぁ…」と感心していたものである。

そんなふうに、いつもそばで見ているだけだった私が、今日はじめてこのカメ吉の面倒を見ることになったのは、そうしなければならなくなったからである。

母は6月11日(月)午後1時15分、急性白血病のため、入院先の病院で亡くなった。65歳だった。翌12日に通夜を、13日に葬儀を済ませたばかりである。そのようなわけで、最近は教育にも研究にも全く手つかずの日々であり、葬儀の終わった後も色々な手続で多用な日々を過ごしてきたが、昨日あたりからようやく、少しは落ち着いてきた。

母は6月2日に入院したが、それ以来、同居していた私と妻のみならず、すでに自立して東京・大阪・京都・奈良とそれぞれの場所で暮らしている兄2人、姉1人、妹1人が急遽集まって、交代で病室での母の付き添いに明け暮れた(今月に入ってから本ブログの更新ができなかったのはこの理由による)。医者をしている姉の夫にも、京都からたびたび駆けつけてもらい、ずいぶん助けていただいた。その少し前から母は体調がすぐれなかったから、その間、我が家では誰も、カメ吉のことには全くかまってやれなかった。そうしてフト気がついてみると、カメ吉を飼っている水槽のなかの水は、淀んだ池の水のように濃い緑色になって、それはそれは大変な濁りようだった。その甲羅にも、その緑色のものが少なからず付着している。そんなわけで、今日私が世話をすることにしたのである。

父も母も他界した今、このカメ吉を飼うのはやめて、どこかの池にでも放してしまおうか--とも一瞬考えた。しかし、小さな頃から人の手で飼われて育ってきたこの小動物に、野生で生き抜いていくための能力はもはや残ってはいまい。また、もしもこのカメが外来種だったとしたら(まだ詳しく確認はしていないが)、このカメをどこかに放すことで、そこでの生態系に悪影響を及ぼさないとも限らない。それに何よりも、このカメ吉は、わが愛する父母が本当に可愛がってきた生き物である。それを今さら、その世話を、一緒に住んできた息子の私が放棄するわけにもいかないだろう--そう思って、その世話を私が引き継ぐことに決めたのである。

今日、その世話を初めて行なってみて、私の父母がいかに愛深い人だったか、よく分かった。イヌのように毎日散歩に連れて行く必要はないが、それでもいざやってみると、案外、手間のかかるものである。しかし、繰り返しになるが、このカメは、自らすすんで飼い始めたものではない。ひょんなことから、その世話を「引き受けた」に過ぎない。にもかかわらず、父も母も、本当によくその面倒を見ていたのである。

だから私も、今日からこのカメ吉の世話を引き継いでいこうと思う。ありし日の父母の姿を思い浮かべながら…。

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コメント

山中先生のお母様、まだお若かったのに残念ですね。心からお悔やみ申し上げます。カメ吉も寂しいことでしょう!でも今は、山中先生にお世話をしていただけるようになってきっと喜んでいると思います。葬儀等の忙しい中でカメ吉に目を配ることが出来たのは、生きている全てのものに対する「愛」が山中先生に溢れているからだと思います。このような事はあたりまえのようですが中々出来ないことです。生きとし生きるもの全てを慈しみ愛する事が希薄になっているこの頃ですが、とてもあたたかい気持ちになりました。ご母堂様のご冥福をお祈りいたします。

投稿: 多湖周子 | 2007年6月18日 (月) 14時58分

多湖周子 様

コメントを誠にありがとうございました。父も母も、生き物に対する愛の深い人でしたので、私も、父母への感謝の念を新たにしつつ、父母を見習って、これからも愛深く生きていこうと思います。温かいお言葉を本当にありがとうございました。

投稿: 山中 | 2007年6月18日 (月) 20時38分

遅ればせながらつつしんでお悔やみ申し上げます。平成元年、昭和天皇を追うように帰幽した我が父と同じご病気です。私も経験しましたが、何ともできなかった悔しさがありましょう。様々な命のつながりを意識して生きていきましょう。

投稿: 名吉庵 | 2007年6月19日 (火) 20時46分

名吉庵 様

お悔やみのお言葉を誠にありがとうございました。たとえ肉体は滅しても魂は生き通していると信じて、そしてその魂としての命は互いにつながっていると信じて、これからも生きていきたいと思います。ありがとうございました。

投稿: 山中 | 2007年6月19日 (火) 21時59分

 おくればせながら、御尊母様のご逝去を知り、大きな驚きと深い悲しみを感じました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。お母様にはご生前、たいへんお世話になり、私としては感謝の言葉しかありません。明るく、聡明で、誠実なお人柄に強い尊敬の念を覚えておりました。また、細やかな心配りをされる思いやりあふれる方という印象を持っておりました。より高い世界で、益々のご発展とご活躍をされておられると確信しております。

 なお、山中先生のご活躍のご様子を改めて知り、たいへん喜んでおります。以前読んだ田中清玄氏の著作にハイエク教授のいくつかのエピソードが書かれており、信念のある言動に興味深く感じたことを覚えております。ハイエク教授同様、山中先生が益々ご活躍されることをお祈りしております。ありがとうございました。

投稿: 水口越夫 | 2007年7月 4日 (水) 19時40分

水口越夫様、

このたびはお悔やみのお言葉を頂戴し、誠にありがとうございました。また小生へのご激励のお言葉に、心より感謝申し上げます。またお会いできます時を楽しみにしています。このたびは誠にありがとうございました。

投稿: 山中 | 2007年7月 4日 (水) 19時49分

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