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2007年7月23日 (月)

書評:橋本努著『帝国の条件-自由を育む秩序の原理』

週刊紙・図書新聞第2830号(2007年7月21日)の第5面に、橋本努著『帝国の条件-自由を育む秩序の原理』(弘文堂、2007年4月15日刊)に関して私の書いた書評記事が掲載された。図書新聞の許可を得て、ここにその書評記事を転載させていただくことにする。

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本書は、現在のアメリカが「帝国」として世界を単独で支配しているという状況をわれわれの生のあり方を否応なく条件づけるものとして引き受けつつも、そのような現実の「帝国の条件」のもとで思考停止に陥ることなく、むしろ現行の世界秩序をより善きものへと変えていくための新たな「善き帝国の秩序」=〈帝国〉の構想を、現実を超えたもう一つの理想的な「帝国の条件」として描こうとする、きわめて野心的な試みである。

著者の橋本努氏によれば、九・一一事件以降、アメリカはテロリズムに打ち克つための自信過剰の勇気とテロリズムの恐怖から逃れようとする安心への願望に衝き動かされている(三頁)。テロ事件後のアメリカは、そのような「勇気(好戦主義)」と「安心(セキュリティ強化)」への願望から、「自由と民主主義の理念を世界に伝播する」という大義を掲げつつ、その強大な軍事力によって、世界の国々を支配下に置こうとする「帝国」と化している。アメリカが現在「帝国的」と呼ばれうるのは、「自由と民主主義の拡張を使命とするアメリカ建国精神」を対テロ戦争正当化のための大義として用い、こうした「建国理念のために死ぬ」という大義を媒介として、軍事力の行使に至高な正当化原理を与えているからなのである(七一頁)。

ところが著者によれば、このようなアメリカ主導の帝国理念が、その「力の優位」によっていかに実際に通用していようとも、その具体的な形態はつねに別様でありえた可能性があり、別の方が善い秩序だったかもしれないという可能性を否定することができない(一〇五頁)。著者はこの「別の方が善い秩序だった可能性」を徹底的に追究し、ネグリ/ハートの『帝国』を参照しつつ、「善き帝国の秩序」を可能にする新たな思想理念を本書において紡ぎ出すことによって、「世界秩序の夢と想像力を次世代につなぎたい」(七頁)と高らかに宣言するのである。

この新たな思想理念は非常に独創的なものである。著者は、これまで『自由の論法』と『社会科学の人間学』の二著で論じてきた「成長論的自由主義」をさらに展開し、マルクスとハイエクの思想的融合から、「超保守主義」、「全能人間」、そして「自生化主義」という新たな思想理念を本書で打ち出している。「善き帝国の秩序」を支えるこれら三つの思想的基盤を本格的に論じているのは本書の第七章および第八章であり、この二つの章が本書の中核部分となっている。さらにそれに続く第九章・第十章では、世界貨幣の生成と世界大の配分的正義に向けた具体的な政策構想も提示されている。

それに先立つ第一章~第六章までは、九・一一以降の四つのイデオロギーについての議論に始まって、現実の「帝国」の動態とその思想状況についての詳細かつ綿密な分析となっており、読者は、まずこの現実分析の鋭さに目を奪われるだろう。とくに現在の帝国としてのアメリカを動かしている二つのイデオロギーたるネオリベラリズムと新保守主義を論じた第五章と第六章は本書前半における白眉であり、俗流理解を排して、これら二つのイデオロギーの深部と向かい合っているが故に、現代世界の思想状況について正確な理解を得る上で、非常に示唆的であるだろう。

しかしながら本書は単なる現実分析の書ではない。むしろ現実分析を踏まえた新たな理念追求の書である。それゆえに、本書全体に真摯に向き合おうとするならば、読者はその著者独自の思想理念をこそ真正面から受け止め、それに対して真剣に呼応することを要請されることになるのである。

その新たな思想理念とは、自由を育む〈帝国〉の秩序理念と、その〈帝国〉の下で実践される自己の潜在可能性の追求としての自由、および、そのような自由の下での諸個人の潜在能力の全面開花を促そうとするものである。こうした思想理念を著者はそれぞれ「超保守主義」、「全能人間」、それに「自生化主義」という言葉で表現している。また著者は、「支配なき世界における人間の能力の自生的成長」というユートピアに一定の意義を認めつつも、実際には「支配なき世界」は存在しない以上、次善として、そうした条件を人工的に作り出すことに関心をもち、そのための権力的基礎として、権力を行使される側が自らの自己超越ないし成長を求めて取り結ばれる権力関係、すなわち「命令 - 服従」関係ではなく「配慮 - 被配慮」の関係において行使される権力=「転換的権力」を唱えている。

なるほど、本書において「超保守主義」、「全能人間」、それに「自生化主義」という言葉で提示されたこれらの思想理念は、著者自身ですら「あまりに唐突で、グロテスクにみえるかもしれない」(六頁)と認めるほど、一見、まことにも奇抜なものに映るだろう。また、評者の見るところ、著者の唱える「成長論的自由主義」において、人間はいわば「終着点なき無限成長」のプロセスに置かれることになると思われるが、その「終わりなき無限成長のプロセス」は、人によっては、むしろキリのない一種の「無期懲役の刑」と感じられるかもしれない。それを苦しみではなく喜びと感じることができるための条件とは一体何だろうか?――といったような疑問が本書に対して投げかけられるかもしれない。さらには、著者の言う「転換的権力」はプラトンの「魂への配慮としての政治術」を連想させるが、著者の唱える権力概念とプラトンのそれとは果たして同じなのか、それとも異なるのか? 異なるとすればいかなる点においてか?――といったことも、論点となりうることだろう。

いずれにせよ、本書は著者が実際にニューヨークで九・一一事件を目の当たりにして以来、国際秩序の問題についての理論的考察に全力を傾けてきた結果として切り拓かれた新たな理論的地平であり、安易な批判を許すものではない。したがって、読者は本書で提唱された新たな思想理念に対し、真剣に呼応するための努力が求められることだろう。その努力を常に怠らないこと――これこそが、著者の橋本努氏が前著『社会科学の人間学』において提示した新たな人格像=「問題主体」としての生き方にかなう道なのである。

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コメント

先日は札幌でいろいろと有益なお話をうかがいました。さっそく、橋本先生の『帝国』論ということで検索をかけたところ、山中さんのブログがひっかかりました(笑 今後ともよろしくおねがいします。

投稿: おおなか かずや | 2007年8月 6日 (月) 01時20分

おおなか さま、

当ブログへのご訪問、誠にありがとうございます。こちらこそ、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。

投稿: 山中 | 2007年8月 6日 (月) 22時51分

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