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2007年8月24日 (金)

ペットボトルの「リサイクル」にひそむ盲点

先日の21~22日に家族旅行で和歌山県の白浜へ行ってきたのだが、その往路の途中、JR天王寺駅のキオスクで売られていた雑誌の中で、「ゴミ争奪 リサイクルの罠」という特集記事を組んだ『週刊ダイアモンド』2007年8月25日号が目に付いたので購入し、白浜へ向かう特急くろしお号の車中で読んだ。そこには日本のゴミ事情とリサイクル事情についてたくさんのレポート記事が載せられており、多くのことを考えさせる内容だった。その中で驚かされたことのひとつは、新たなペットボトルの生産量が、法律によってリサイクルの対象になっているにもかかわらず、依然として伸び続けているという事実だった。

そもそもリサイクルの本来の趣旨は、「同じ資源を繰り返し再生して使うことで、新たな生産を抑え、大量生産を抑制する」ということである。だが、週刊ダイアモンド誌によると、ペットボトルの場合、その回収率が伸びているにもかかわらず、それとほぼ同じスピードで新たなペットボトルの生産量も増え続けている。というのも、回収されたペットボトルが再びペットボトルとしてリサイクルされることは、実際には少ないからである。PETボトルリサイクル推進協議会および容器包装リサイクル協会によれば、2005年のペットボトル生産量は53万トンだったのだが、そのうちペットボトルに再生されたのは1万2000トン足らずだったと、同誌は伝えている(43~44頁)。

それでは、リサイクルのために回収されたはずのペットボトルは、一体どこへ行っているのだろうか?同誌32頁によると、数年前から、その多くが“資源ゴミ”として、実は中国へ輸出されるようになったのだという。また、そもそもペットボトルは回収された後、粉砕・洗浄された後に〔別の〕プラスチック製品の原料になっている。要するに、ペットボトルの回収は、「新品の生産を抑え、資源を節約するため」という本来の目的に沿ってリサイクルされているわけでは、決してなかったのである。

同誌43頁によると、ペットボトルが世に登場した当初は、ゴミになるということで環境団体や地方自治体などから糾弾を受けていた。メーカー側もペットボトルの使用は1リットル以上の大型ボトルに限るなどして、自主規制をしていた。ところがその後、1997年に容器包装リサイクル法によってリサイクルの対象になった途端、メーカーも消費者も気軽にペットボトルを使用するようになった。しかしながら、その「リサイクル」の実情は、われわれ消費者が素朴に抱いているリサイクルのイメージから、はるかにかけ離れたものだったのである。

だとするならば、われわれ消費者は、化石燃料(石油)から作られ、したがって生分解性ではないペットボトルを、「リサイクルされているはず」という単純な思いこみを抱きつつ、安易に消費し続けるべきではないだろう。とはいえ、ペットボトルが便利であることは否定できないし、これだけ普及しているペットボトルを今さら使用禁止にもできまい。根本的には、石油以外の原料から作られた生分解性のものとして、軽くて丈夫なボトルが、現在のペットボトルに代わるものとして、新たに開発・実用化されることが最も望ましいだろう。それが実現されるまでは、私は古いペットボトルを繰り返し使い、自宅に備え付けた浄水器を通した水をその古いペットボトルに入れて持ち運ぶことを、これからも続けていきたいと思う。

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2007年8月21日 (火)

『ハイエク後の社会主義』を読む(2)

「ハイエク、マルクス、そして社会主義」(Hayek, Marx, and Socialism)と題された本書第1章では、本書全体を貫く問題意識と、本書の構成が述べられている。それによると、本書の目的は、次の根本問題に答えることである:

・ハイエクの認識論的な批判に答えられるような社会主義の概念が存在するのか?
・古典的社会主義の諸目的〔労働の搾取の終焉など〕は、中央計画経済と私有財産の廃止がなくとも実現可能か?
→要するに、“ハイエク後の社会主義”がありうるのか?

著者の Burczak によると、この“ハイエク後の社会主義”がありうるのか?--という問題に対する答え「イエス」である。しかしながら、著者によると、近年ポスト・マルクス主義には重要な進展が見られてきたものの、それは未だに、中央計画経済の不可能性(あるいは非効率性)を立証したハイエクの知識論によって提示された問題に答えるには至っていない。本書のねらいは、その問題に答えることで、競争的市場システムにおいて作用する民主的で labor-appropriating な企業と両立するような appropriative justice を擁護するとともに、そのようなアイディアは不可避的に「隷従への道」に至る--というハイエクの疑いに抗して、社会主義的な分配的正義を主張することなのである(p. 11)。

Hayek's Postmodern Economics と題された本書第2章は、新古典派経済学とは異なるオーストリア学派独自の経済学の特徴を説明した章であり、ハイエクおよびオーストリア学派の研究者にとってはすでにお馴染みの議論である。非常に有名な議論なので、本ブログではその内容の説明は省略させていただくことにする。おそらくこの章は、主にポスト・マルクス主義の立場に立つ研究者に向けて、ハイエク経済学の貢献を改めて強調するために書かれたものだろうと思われる。

Hayek's Theory of the Common Good: Social Evolution, Law, and Justice と題された第3章は、市場競争のもたらす結果を分配的正義という形で矯正しようとする社会主義の主張を斥け、もっぱら市場競争のプロセスにおける手続的正義のみが重要であるとするハイエクの正義論を概観したものであり、社会進化の中から公平な正義ルールが出現してくるというハイエクの進化論の内容を説明したものである。これについてもすでに私には既知の議論なので、本ブログではその詳細は割愛させていただくことにしたい(なおハイエクの進化論については、拙著『ハイエクの政治思想:市場秩序にひそむ人間の苦境』勁草書房刊、第3章で説明されている)。

本書でハイエクに対して本格的な批判的吟味が展開されるのは第4章以降である。第4章は Recasting Hayek's Good Society: The Non-Neutrality of the Law and the Market と題されており、「社会進化の中から公平な市場競争のルールが出現してくる」というハイエクの主張を批判し、そのルールの「非中立性」(Non-Neutrality)を暴露しようとする章である。この第4章以降については、読了でき次第、本ブログで取り上げることにしたい。

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2007年8月15日 (水)

『ハイエク後の社会主義』を読む

本ブログの2006年11月30日の記事で私の必読文献として挙げておいた『ハイエク後の社会主義』(Socialism after Hayek)を本格的に読み進めていくことにした。来年3月末までに入稿すべき論文を1本抱えることになったのだが、その論文の題材(のひとつ)にしようと考えたからである。

本書の著者は Theodore A. Burczak という研究者である。本書の謝辞(Acknowledgement)によると、Burczak は米国マサチューセッツ大学経済学部で学び、1994年にPhDを取得、現在は同じく米国のデンソン大学経済学部の准教授である。彼の研究関心は一貫してポストモダンのマルクス主義にある一方で、ハイエクをはじめとしたオーストリア学派にも重大な関心をもっていた。彼の博士論文のタイトルは、本書の謝辞によると、"Subjectivism and the Limits of F. A. Hayek's Political Economy"であった。その研究関心のもと、ハイエクによる社会主義批判を真剣に受け止めつつ、“ハイエク後の(新たな)社会主義”のあり方を探求したのが本書である。そこでは、ハイエクとマルクス、およびセンとヌスバウムの融合が図られている。

ハイエクにマルクス、それにセンとヌスバウム--このように政治経済学上の巨人をたくさん並べられると、一見「まゆつば」ものに見えるかもしれないが、本書の裏表紙に載せられた推薦の言葉を見ると、そうではなく、ハイエク研究者の一人としては、本書が真剣に読まれるべきものであるように思われた。というのも、オーストリア学派--すなわちマルクス主義批判の最先鋒の経済学派--の研究者の一人として有名な Peter J. Boettke の名前も、本書裏表紙に推薦の言葉を寄せているからである。それに、進化経済学の泰斗で英国ハートフォードシャー大学の Geoffrey M. Hodgson による推薦の言葉も裏表紙に書かれていたとあっては、本書を無視するわけにはいかないだろう。これから本書をじっくりと精読していき、本ブログにその要点を少しずつまとめていこうと思う。

追記:本日より数日間、盆休みを利用して妻の実家に家族で帰省するため、本ブログの更新は20日以降になることを、予めお断りしておきたい。

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2007年8月 8日 (水)

雨続きの出張

8月に入ってから、実はずっと出張続きだった。2~4日は札幌、6日は長野県飯田市、7日は伊勢市(皇學館大学)である。札幌に行ったのは、ある研究会に参加するため、飯田市は特別養護老人ホームへの初指定外施設訪問のため、伊勢は日本学術振興会の科学研究費補助金についての説明会を聞きに行くためだった。

そのいずれの出張でも雨にあった。札幌では台風5号の影響でずっと雨だったのだが、飯田市では午後2時頃に突然の激しい雷雨に見舞われた。伊勢市では晴天(というよりカンカン照り)だったのに、その帰りに近鉄電車の大阪線に乗っていると、青山~名張市付近にさしかかったとき、急に激しい雷雨が降ってきたのである。ところが、榛原あたりを過ぎると、もう雨がやんでいたのだった。

最近の雨の降り方は、やっぱり、どこかおかしい気がする。あまりにも極端なのである。熱帯地方のスコールのように、突然激しく降り出す。今日の橿原市でもそうだった。雷にもこんなに頻繁にあうことは、私の子どもの頃にはなかったように思う。

今日の英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは、オンラインで、"Extreme weather: A global problem" と題した記事を載せていたが、こういう記事を読むと、最近立て続けに私が経験した雨の降り方も、気候変動の一環なのではないか--という気がしてならない。

ところで、6日に訪れた飯田市は、なかなか環境問題への取り組みに熱心な自治体のようである。というのも、7月26日の産経新聞夕刊第2面に掲載された、京都大学教授・松下和夫氏へのインタビュー記事によると(「新関西笑談」と題された記事だから、関西版のみの掲載かもしれないが)、飯田市では市民出資で「南信州おひさまファンド」が設立され、市内の幼稚園や保育所の屋根の上に太陽光発電施設を設置し、発電と省エネ事業を行っている。電気を売った収益を地域や出資者に還元する仕組みである。激しい雷雨のためにそれを実地で確かめることは出来なかったが、飯田市内の観光スポットの一つである「りんご並木」の一角に、風力発電および太陽光発電の塔が一つ建っていたのが印象的だった(なお、飯田市の環境情報についてはこちら)。

しかしながら、日本政府自体の取り組みはまだまだ甘いと言わざるをえない。上述の松下教授へのインタビュー記事によると、日本の場合は風力を含めた自然エネルギー利用の目標レベルがあまりにも低い。というのも、ドイツではすでに総発電量の12%が自然エネルギーであるのに対して、日本の目標は2014年に、たったの1.63%(!)に過ぎないからである。しかし私には、昨今の雨の降り方ひとつをとってみても、気候変動問題への早急の対策が日本政府にも要求されているように思われてならないのである。

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