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2007年10月21日 (日)

野口健氏の講演会

一昨日から今日までの三日間、皇學館大学社会福祉学部の大学祭が行われたのだが、今年の大学祭の講演会にお招きした講師は、エベレストや富士山の清掃登山で有名な、登山家(アルピニスト)の野口健氏だった。私は野口氏と個人的な面識があるわけでは全くなく、また講師として氏をお呼びすることを私が発案したわけでもなかったのだが、このたびの講演会で私が司会役を務めることになったため、氏の講演を間近で拝聴することができたことは、大変幸運なことだった。

今では非常に有名な野口氏だが、氏自身は全然飾らない気さくな方だという印象を受けた。その講演は氏の豊富な登山体験に裏打ちされた大変迫力のある内容だった。「迫力がある」といっても、氏の話し方そのものは大変穏やかで、ユーモアあふれるソフトな語り口だったのだが、その講演で語られた内容そのものが氏の過酷な登山体験に裏付けられたものだったことが、私をして、尋常ならざる迫力を感じさせたのである。他の聴衆の方々も、本当に熱心に聞き入っていた。

その講演内容の全てをここで私が下手にお伝えしようとするよりも、「百聞は一見にしかず」で、氏自身の講演会に実際に行かれた方がよいと思う。たとえば、氏が3度目の挑戦でエベレスト登頂に初めて成功した後、今度はそのエベレストの清掃登山に取り組むようになった経緯が大変意外であり、またその清掃登山でのエピソードは聴衆の心を強く打つものだったのだが、これについては、是非とも氏自身の口から聞かれるのがよいだろう。

ただ、今日の講演会のテーマ--「富士山から日本を変える」--に直接関わる内容についてだけは、ここで少しだけ触れさせていただきたい。というのも、それに私は大変勇気づけられたからである。

氏が富士山の清掃登山を始めた当初は、そのあまりの汚さに、「こんなのはとうてい無理だ…」と思われたのだそうである。ところが、その活動を続けていき、マスコミでも富士山の悲惨な状況や、その悲惨な状況のなかでの氏の清掃隊の活動が広く報じられるようになると、最初は少なかった清掃隊の人数が増えていき、今では全国から数千人の規模で集まってくるようになった。

それだけでなく、少なくとも5合目より上に捨てられるゴミ--すなわち麓の不法投棄物ではなく、登山客が捨てていくゴミ--については、ある年から途端に少なくなったのだそうである。というのも、氏の活動が広く知られるようになり、また富士山の悲惨な状況もマスコミを通じて広く伝えられるようになると、今度はひと夏30万人を数える登山客たち1人1人が、何と今度は自分自身でゴミを拾い始めるようになり、またゴミをあまり捨てなくなったからである。そのようにある時から状況が鮮やかに好転していったという事実に、私は大いに勇気づけられた。それと同時に、清掃活動を実際に積み重ねてこられた野口氏の行動力に、頭の下がる思いがしたのである。

とはいえ、私にはエベレストに登ることも出来なければ、富士山に登るだけの体力もないから、私自身は野口氏のような活動はできない。だが、私には私に与えられた生活環境で実際に出来ることが、小さな事とはいえ、沢山ある。道端や駅のホームに落ちているゴミを一つ二つ拾うことは、今や完全に私の日常となった。また、最近では野口氏は、地球温暖化によるエベレスト氷河湖の融解問題を解決するための活動に精力的に取り組んでおられるとのことだが、その地球温暖化は、最近邦訳された『異常気象は家庭から始まる』(日本教文社刊)という本でも説かれているように、1人1人の家庭での生活の仕方に大きく起因している。だから、私たち1人1人が、それぞれの置かれている生活環境のなかで、小さな改善を積み重ねていけばよいのである。

私が文字通り野口健氏のようになることはできないが、私は私なりに、環境のためになる行動を日々実践していこうと思う。

追記:なお、野口健氏の八面六臂の活躍ぶりについては、氏のオフィシャル・サイトに詳しく書かれている。

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