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2008年2月15日 (金)

論文の構想固まる

これまでずっと模索してきた論文の構想が、このほどようやく固まった。それは、ハイエクの民主主義観の変遷--これは“民主主義への淡い期待から幻滅へ”とでも表現できると思われるのだが--を、ハイエクのトクヴィル評価の変遷に即して描いてみる、という構想である。

以前に拙著『ハイエクの政治思想』第3章第3節で、晩年のハイエクがプラトン的なエリート主義へと傾斜していったことを指摘した際、それがいわばハイエクにおける“トクヴィルの(思想的な)死”に伴うものであることを論じた。しかしその際、そこではトクヴィルについてのハイエクのコメントのみに言及したにとどまっており、トクヴィルのデモクラシー論自体に踏み込んだうえで、それをハイエクと比較するという作業はしていなかった。今回の論文では、上記のテーマによって、拙著での議論を補強してみようと思ったのである。『隷従への道』(1944年)や『自由の条件』(1960年)でハイエクはトクヴィルに高い評価を与えていたが、『法・立法・自由』の第3巻(1979年)の第12章注14では、一転して、「トクヴィルに夢中になりすぎた」ことへの後悔の念を表明していた。そのトクヴィル評価の変遷は一体何故だったのか?--この問題を論じてみようというのが、今回の構想である。

これまで右往左往してきたなかで、今回ようやくこのような構想を固めることができた大きな要因の一つは、自分の足場を政治学(とくに政治思想)に置くことを完全に決意できたことによる。上記の拙著の最大の特徴がそもそも政治思想的観点からのハイエク論であることにこそあったにもかかわらず、その第4章では開発経済学の知見にも目を配っていた。それは、哲学・経済学・法学・政治学など諸領域を横断することで大きな思想体系を築きあげたハイエクを分析する際、その視角を自分の天分に照らし合わせてどこに定めるべきか、まだ完全には決め切れていなかったことを意味している。しかし、このたびの試行錯誤を通じて、自分の勝負すべきフィールドが政治学、とくに政治思想にあることが、心の底からよく分かったのであった。その結果、ハイエクの民主主義論の検討という、きわめて政治学的なテーマに辿り着いたのである。

そうと決まれば、あとは書くのみであるが、その前に確認のため、大急ぎでトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読みなおし始めたところである。締切が3月末から3月10日へと繰り上がったので、大いに急がねばならない。全力で走り抜こうと思う。

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