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2008年9月 8日 (月)

モンペルラン協会2008東京大会に参加(2)

昨日書いたように、この大会の第1セッションは、気候変動問題がテーマだった。そこでの論調は、私の予想通り、基本的に4年前と変わらなかった。その4年前の論調については、本ブログ2006年6月3日の記事に書いてある。

とくにそれが鮮明だったのは、チェコ大統領のクラウス氏による報告だった。"Current Global Warming Alarmism and the Mont Pelerin Society's Long Term Agenda" と題されたその報告で、クラウス氏は、IPCCを批判している。氏によれば、"environmentalism" あるいは "global warming alarmism" は、かつての社会主義的な統制手段の再来だというのである。それによって自由が脅かされることこそ、氏にとって、何よりも警戒すべきことなのであった。その問題意識をよく表現しているのが、今年出版された次の書物のタイトルである。Vaclav Klaus, Blue Planet in Green Shackles: What Is Engendered: Cimate or Freedom? (Competitive Enterprise Institute, 2008)

また氏は、いわゆる「予防原則」についても、厳しく批判している。この予防原則については、本ブログ2006年5月22日の記事に書いておいたが、クラウス氏に言わせれば、この予防原則は気候変動のリスクを過大評価しているのだという。

もっとも、他方で氏は、豊かになれば環境保護への志向も高まる、とも述べている。したがって、市場経済によって豊かさを実現すればよいのであって、強制的な措置をとる必要はない、ということになる。つまり、氏が信頼する環境保護対策は、あくまでも“自主的取り組み”だけなのだろう。その一方で、環境税や排出量取引といった経済的手段による温暖化防止策に対してさえ、氏は否定的であった(氏によれば、それは「市場」や「価格」という言葉の“濫用”に他ならないのだという)。

以上のような議論が出てくるのは、おそらく、環境保護を訴える主張が社会主義と結びつくことが多かったからにちがいない。だとすれば、クラウス氏がそれを極度に警戒するのも無理はないだろう。というのも、氏は旧ソ連の衛星国だったチェコスロバキアで、共産主義政権の圧制に耐えてきた経験を持つからである。それは本当に苦しい体験だったに違いない。

しかし、氏の言うように、気候変動のリスクがまったくの杞憂にすぎないのであればよいのだが、はたして本当にそうだろうか…? やはり私自身は、そのリスクを真剣に受け止めつつ、自由主義的な環境保護の可能性を追求してみたい気がする。少なくとも私には、環境税や排出量取引までも否定するほど、政府権力に対して極度の不信感を持つ気にはなれない。たとえ自由主義の立場に立つとしてもである。政府権力が濫用される可能性を警戒しつつ、それと同時に、政府権力をいかにすれば正しく活用できるかを考えるべきではないだろうか?

追記:ちなみに、同じ第1セッションの3人目のスピーカー(米ハーバード大のE. L. Glaeser教授)は、私の英語のヒアリングが間違っていなければ、必ずしも環境税を否定していなかったように思う。環境税がその報告の本題ではなかったため、口頭でのアドリブを聞きとるしかなかったのだが、おそらくそうだったと思う。

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