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2009年12月31日 (木)

2009年を振り返って

いま、JR伊予西条から岡山へ向かう特急しおかぜ22号の車中で、この文章を書いている。大みそかを迎えて、この1年を振り返ってみると、今年は研究・教育両面で、初めての仕事の多い年だったことが思い出される。

まず研究面では3回にわたる海外出張があった。3月に北京、7月にチリのサンティアゴ、9月には再び北京へと出張した。この3回の出張は、いくつかの面でかなり対照的なものだった。

まず参加形態としては、3月の北京は皇學館大学社会福祉学部と中国社会科学院日本研究所社会文化研究室との間での学術交流によるもので、訪問団の一員としての出張だったのに対して、7月のサンティアゴ(世界政治学会)と9月の北京(国際法哲学・社会哲学学会連合)は、単身での出張だった。次に言葉の面では、3月の北京が日本語での研究発表だったのに対し、7月のサンティアゴと9月の北京では、英語での研究発表であった。また、飛行時間としては、北京へは3時間ほどで到着できたのに対して、地球の反対側のサンティアゴには丸一日以上(おそらく一日半ほど)かけて行かなければならなかった。

そもそも1年に3回も海外に行くなどということ自体が初めての経験だったので、苦労も決して少なくなかったが、いろいろな形態での海外出張を経験できたことは、大変有意義だったと思う。

また研究面では、『ハイエク全集Ⅱ-5政治学論集』の監訳に携わったことも非常に大きなことだった。英語→日本語への翻訳の仕事は、7~8人の共訳者の一人として1つの章を担当することはかなり以前に一度あったが(R・バーネット著『自由の構造』木鐸社)、1冊すべてにわたる翻訳を、しかも監訳者としての責任をもって行うことは初めてだった。これについては2年以上にわたる宿題となってしまっていたが、今年中に何とかやり遂げることができて安堵している。

さらに、経済産業省産業構造課における「オルタナティヴ・ヴィジョン研究会」の一員となったことも、実際の政策過程に(たとえ非常に間接的な形ではあれ)関与することになったという点で、非常に大きな出来事だった。

また教育面では、非常勤講師としての出講先が、これまでの大阪市立大学に加えて、関西大学にも行くようになったことが、新たな出来事だった。従来、皇學館大学でも大阪市大においても、担当授業科目名は「政治学概論」「政治学入門」「政治学」といった、実証的な現実分析を主な内容とした科目だった。それに対して、関西大学で担当することになったのは「政治思想史(近・現代)」であった。これは、私の本来の専門分野に密接にかかわるものであるという点で、これまでにはない新たな展開だったといえる。とはいえ、ここに至るまでの間に実証的な政治学を教えてきたことは、私の研究・教育両面での幅を大いに広げることにつながっているので、実証的な現実分析と規範的な思想の両面にわたる科目を担当できていることは、大変ありがたいことだと思っている。そのことが、上記の『ハイエク政治学論集』の解説を書く上でも、大いに役に立った。

また、慶應義塾大学・丸の内シティキャンパスにおいて、社会人を対象とした講座を、ゲスト講師として1回担当したことも、非常に新鮮な経験だった。これは拙著『ハイエクの政治思想』(勁草書房)が認められてのことだったので、大変嬉しいことであった。

本務校の皇學館大学でも非常に大きな転換があった。というのも、社会福祉学部入学生の募集停止(平成21年度入学生を最後として)、伊勢学舎への統合(平成23年度より)、新しい学部として現代日本社会学部のスタート(平成22年度より)といった重大な決定が正式に下されたのが、今年のことだったからである。

このように非常に盛り沢山だった今年も、あともう少しで終わろうとしている。いま、列車はちょうど瀬戸大橋を渡っているところだ。あと30分ほどで岡山に到着し、そのあとは新幹線と近鉄特急を使って、京都経由で橿原神宮前駅へと帰ることになる。実際にこの文章をブログにアップロードするのは、今日の夜に帰宅してからになるが、いずれにせよ、2009年=平成21年もいよいよ終わろうとしている。今晩はゆっくりと家で過ごして、新たな気持ちで新年を迎えたいと思う。

091231_171239 この写真は、伊予西条から岡山に向かって乗ったJR特急しおかぜ22号の車両を、岡山駅で降りたときに写したもの。6歳の娘に喜んでもらうために、アンパンマン列車となっていたこの特急に乗ることにしたものである。

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2009年12月30日 (水)

年末休暇でのひととき

12月28日から年末年始のオフに入ったが、27日の夜に夜行フェリーに乗って、妻の生まれ故郷の愛媛県西条市にやってきた。28日朝から31日午後まで滞在予定である。西条市に着いたばかり28日の午前中には、その数日前から書き始めていた年賀状をようやく書き終え、その日の午後には投函したが、何通かは思わぬ書き忘れがあるような気がしてきたので、31日に橿原市へと戻ってきた後、再確認しようと思っている。

今日30日の午前中にしていたのは、今月20日に刊行された『ハイエク全集Ⅱ-5政治学論集』(春秋社)の贈呈リスト作りである。2007年3月に出した拙著のときよりもかなり絞ったつもりなのだが、それでも、リストアップを進めているうちに、贈呈先が結局85名ほどにまで上ることになった。研究上のご指導を受けたり、研究上の交流を持たせていただいている方々が、それだけ沢山おられるということなので、改めて感謝の思いが湧き上がってきた次第である。

このような作業を進めるかたわら、ゆっくりとした休暇のひとときも過ごしている。昨日29日には家族3人で松山の道後温泉へ行き、道後温泉本館の「神の湯」につかってきた。

松山は司馬遼太郎原作のNHKドラマ「坂の上の雲」の舞台になっていることから、その主役(秋山兄弟、正岡子規、正岡律)を務める4人の俳優陣のサインや、記者会見やロケの様子を映した写真が、その温泉本館入口の壁いっぱいに掛けられていたのが印象的だった。

温泉につかっただけではなく、その界隈にある商店街でいろいろ買い物も楽しんだのだが、私にとって興味深かったのは、竹細工だった。いろいろなものが置いてあって、どれも興味深かったのだが、その中から私が買い求めたのは、耳かきと携帯用の靴ベラである。

耳かきについては、以前に本ブログでも「耳かきへの冒険」と題した文章を書いたことがある。ところが、実はあれから数か月ほどして、再び綿棒を使うようになっていた。しかし、今回自分のお気に入りの耳かきを買うことができたので、また昨夜からは、この耳かきを使い始めている。

靴ベラと言えば、巷でよく見かけるのはプラスチック製のものであるが、こうして竹製のものを手にしてみると、何とも言えない温もりが感じられてくる。この温もりはプラスチック製には到底望めないものだろうと思う。

091230_233622 【追記】そのときに買った耳かきと靴ベラの写真を掲載します(12/30 23:51)

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2009年12月24日 (木)

エレベーターではなく階段で

最近また、エレベーターではなくて、階段を使うようになった。私の研究室は研究棟の最上階の4階にあるのだが、その4階まで、エレベーターではなく階段を使って上るようになったのである。最近「また」と書いたのは、以前はそうしていたのを、この10月以降はやめて、エレベーターに頼ることが多くなっていたからである。

そもそも階段を使うようにしていたのは、もともとは健康のためだった。日頃の運動不足を少しでも解消しようと、階段を上っていたのである。ところが、この10月以降は、仕事の多さに少々気疲れしてしまい、その結果、エレベーターに乗るようになっていたのだった。

しかし最近また、階段を使うようになった。だがそうしようと改めて決意したのは、健康上の理由からだけではない。むしろ、主な理由はまた別のところにある。

もともと健康上の理由から階段を上り始めていたのだったが、毎日それを続けているうちに、いつのまにか、もう一つの理由が後から付け加わるようになっていた。それは、「一歩一歩、着実に…」と自分に言い聞かせるため--という理由である。

そもそも仕事というのは、一足飛びにはいかないものである。特に研究の場合は、一歩一歩着実に、歩みを進めていくしかないものだ。そのことを自分に言い聞かせるためにも、階段を使っていたのだった。「そういえば、そうだったな…」ということを、最近ふと思い出したのである。

最近それをふと思い出したのは、おそらく、大きな仕事が一段落したからである。ハイエク政治学論集が刊行されたし、年度内の授業もゴールが見えてきた。要するに、研究の面でも授業の面でも、次の段階に進むべき時が来たのである。

その次の段階へと新たに進むべきことを思った時、「初心に帰ろう」と決意した。そうすると自然に、「また階段を上ろう」という気になったのである。

また階段を使い始めると、なかなか気持ちがよかった。一歩一歩、段を上がっていくときに両脚にかかる負荷も、自分を強くしてくれているようで、かえって心地よい。こんな風に、研究も一歩一歩、着実に進めていけばよいのだ--そう自分に言い聞かせながら、今日も階段を一段一段上っていったのであった。

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2009年12月22日 (火)

今年の授業、もうひと息

今年の授業も、あと3コマを残すのみとなった。

伊勢学舎での年内の兼担授業(隔週水曜)は12/9までで、非常勤で行っている関大(木曜)と大阪市大(金曜)の年内の授業は、先週までだった。

12/19(土)には、名張学舎で、市民の方を対象とした月例文化講座の担当講師としての仕事もあったが、それも無事に終えることができた。

あとは今週の名張の授業を残すのみだが、今日は1~3時間目の通常授業に加えて、18:00からの6時間目には補講もあったため、かなり盛り沢山だった。

あとは明日からの水・木・金に、各1コマずつの計3コマで、年内の授業は終わりである。あともう一息、最後まで走り抜きたい。

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2009年12月21日 (月)

『ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集』 完成

『ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集』が完成し、私の手元にも届けられた。奥付に記載された刊行日は2009年12月20日なので、書店にもそろそろ並び始めたものと思われる。
 ↓
春秋社 新刊案内 ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集

改めて読んでみると、監訳作業に打ち込んでいた時のことが如実に思い出されてくるが、何はともあれ、なんとか年内に刊行でき、大いに安堵している。本書の刊行が、今後のハイエク研究の進展に少しでも貢献できるものであることを願うばかりである。

【追記①】「解説」における訂正(お詫び)
小生執筆の解説文中に、一つ誤植があったので、お詫び申し上げるとともに、この場を借りて訂正します。

289頁 後ろから4行目

誤 第Ⅶ章と第Ⅷ章
 ↓
正 第XII章と第XIII章

ここは、校正段階で挿入した箇所ですが、責了としていたため、印刷段階で生じた誤植と思われます。とはいえ、校正時にかなり多くの修正を施していたので、印刷所での作業も大変だったにちがいありません。

この箇所では、本書第四部「議会制民主主義の改革」にかんして解説しており、立法院を構成すべき議員の年齢層として、1967年の段階では40-55歳とされていたのが、1973年以降は45-60歳と5歳だけ繰り上げられていたことに言及した箇所です。

その1973年以降の論文2篇は、本書では(アラビア数字で書くと)第12章と第13章に収められているので、この場を借りて訂正します。

【追記②】本書についてのコメントを歓迎します
読者諸賢におかれましては、万が一、こちらの思わぬ誤植や誤訳が見つかった場合は、どうぞご遠慮なく、本ブログにコメントをお寄せ下さい。

また幸い、誤植や誤訳はなくとも、読まれた感想などをお寄せいただければ幸甚です。

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2009年12月18日 (金)

ハイエク翻訳終了:「訳者あとがき」に代えて

2年前からの「宿題」となっていた、春秋社刊『ハイエク全集第Ⅱ期第5巻 政治学論集』の翻訳(監訳)にかかわるすべての作業を、今月1日にようやく終えることができた。

全13章のうち、脱稿する前に目を通せなかった3つの章については、先月下旬の校正段階で目を通し、必要と思われる修正を施しておいた。そして11月30日の夜に上京して前泊しておき、翌12月1日にその校正案を持って春秋社編集部へと直接赴いた。そこで編集担当者と一緒に、その日の朝9時半から夕方4時半までの間ずっと、社内の1室にこもって校正原稿すべてに再度目を通し、必要な修正について、最後の調整を行ったのであった。

訳語については、読みにくい直訳は避け、読みやすい日本語にするよう、心がけた。関係代名詞を多用するハイエクの英語はかなりの難物だったが、その意味内容を日本語の発想に置き換えて訳すに当たっては、本ブログでもすでに何度か言及したが、故・安西徹雄氏の翻訳論--『英文翻訳術』および『英語の発想』(ちくま学芸文庫)--が大変役に立った。もとより、読みやすい日本語になっているかどうか、また思わぬ誤訳がないかどうかについては、読者諸賢のご判断に委ねるほかはない。

「解説」の執筆担当も私であった。そのタイトルは、編集担当者と話し合った結果、「政治学からみたハイエク」とした。一見何の変哲もないタイトルではあるが、ハイエクを“政治学の観点から”みること自体が、(少なくとも日本では)おそらくかなり珍しいことなので、このようなシンプルなタイトルとした。その内容については実際にお読みいただくしかないが、「政治学からみたハイエク」について明快な解説ができるよう、私なりに努めたつもりである。

このハイエク政治学論集の翻訳は、田総恵子氏がまず全文を訳し、その訳文を山中が原文と対照させ、必要な修正を施すという形で進められた。ハイエクの英語を一から訳していく作業には、きわめて多大な労力が必要だったに違いない。この田総氏のご尽力がなかったら、その刊行がいつになることやら分からなかったことだろう。

また春秋社の編集担当者・山田兼太郎氏は、一般読者にも分かりやすい訳文にするという観点から、数多くの提案をして下さった。書物というのは、著者(訳者)と編集者との共同作業によって出来上がるものだということを、改めて実感した次第である。

この『ハイエク全集Ⅱ-5政治学論集』の印刷・製本は、今月20日頃には出来上がり、書店に並ぶとのことであった。

今回の『ハイエク全集第Ⅱ期』のシリーズには、いわゆる「訳者あとがき」の欄が設けられていないので、『Ⅱ-5政治学論集』に関しては、本ブログのこの文章が、事実上、「訳者あとがき」に当たるものと言えるかもしれない。いずれにせよ、本訳書の刊行が、日本におけるハイエク理解の深化に少しでも貢献できるものであることを、願うばかりである。

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2009年12月 9日 (水)

慶應MCC講座 古典を通して考える【自由と資本主義】

2週間ほど前のことになるが、11月26日(木)に慶應義塾大学・丸の内シティキャンパス(慶應MCC)へと赴き、午後6時半から9時半までの3時間、社会人の方々を対象とした講座のゲスト講師を務めてきた。
  ↓
慶應MCC夕学プレミアム agora 古典を通して考える【自由と資本主義】

この講座は6回シリーズだが、その第4回のテーマとしてハイエクが取り上げられることになっていたので、そのゲスト講師として呼ばれたのである。

前半の1時間半が講義、後半の1時間半が質疑応答だった。たしか14名ほどのご出席だったように思うが、受講生の皆さんが熱心に質問して下さったので、後半の時間が足りなくなるほどだった。決して安価ではない受講料を支払って、それぞれのお仕事を終えてから、しかも平日の木曜夜に受講しに来られるのだから(翌日の金曜日もお仕事だったはずである)、その熱心さには頭の下がる思いであった。その熱意に少しでもお応えできるような講座となったことを願うばかりである。

この講座の企画に携わられた事務担当者の方のお話によると、実際的なテーマではなく、自由と資本主義のあり方を根本的に考え直すという思想的なテーマで講座を開催することは、実は一つの冒険だったのだという。すぐにでも役立つような実際的なテーマでは必ずしもないため、受講者が集まるかどうかが定かではなかったからである。しかし実際に募集してみると、受講申込の反応はよかったとのことであった。

そういえば、いま経済産業省で開かれており、筆者もその一員となっている「オルタナティブ・ヴィジョン研究会」のテーマも、決して今すぐに役立つようなものではない。むしろ、10年、20年先を見据えた、すぐれて思想的・哲学的なテーマである。こうした経産省の研究会や今回の慶應MCCでの講座におけるテーマ設定の傾向は、昨年秋以降の経済危機によって、資本主義経済のあり方を根本的に問い直す機運がとみに高まってきていることを、物語っているのかもしれない。

なお、今回の慶應MCC講座中に、正確にご紹介できなかった参考文献を、ここで挙げさせていただくことにする。ケインズ・ハイエク・シュンペーターの景気循環論を総合的に理解する必要性を論じた、すぐれた論考である。

篠原三代平「貨幣は魔性、実体経済を攪乱する」『長期不況の謎をさぐる』(勁草書房、1999年)第九章

また、ケインズ・シュンペーター・ハイエクの三者を比較して論じた書物には、次のものがある。

平井俊顕『ケインズ・シュンペータ・ハイエク:市場社会像を求めて』(ミネルヴァ書房、2000年)

さらに、これは講座中にもご紹介したが、ケインズとハイエクを比較して論じたものとして、次の書物もここで改めて挙げておこう。

間宮陽介『増補 ケインズとハイエク:〈自由〉の変容』(ちくま学芸文庫、2006年)

最後に、この場を借りて、本講座講師の菊澤研宗・慶應義塾大学商学部教授、慶應MCCの事務担当者の方々、および熱心に受講して下さった受講生の皆様に、深甚の感謝を申し上げる次第である。

【追記】
受講生の皆様からのご質問があれば、大歓迎です。このブログのコメント欄を通じて、どうぞご遠慮なく、質問をお寄せ下さい。このブログ上でお答えさせていただきます。

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