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2010年1月31日 (日)

政党論 リーダーをどう育てるか(朝日新聞より)

昨夜から1泊2日で、伊勢市内のビジネスホテルに宿泊した。本務校の皇學館大学で一般前期入試が行われたからである。その宿泊したホテルでは朝日新聞を宿泊客に無料配布していたので、今朝それを手にとってみたところ、今日の朝刊第9面に「政党論 リーダーをどう育てるか」と題したオピニオン欄があり、なかなか興味深かった。

そのオピニオン欄では、東京大学准教授の内田融氏、北海道大学准教授の中島岳志氏、そして政策コンサルタント会社代表の横江久美氏がそれぞれ見解を述べておられたが、どの見解も、私にとって納得させられるものだった。

政治学の授業をする場合に取り上げられるテーマの一つは政党論だが、授業でも説明しているように、政党の果たすべき重要な役割のひとつは「利益集約機能」、すなわち多元的な利益や価値観を集約し、政策にまとめるという機能である。上記のオピニオン欄で内山氏は、これから目指すべきリーダー像は「小泉タイプ」ではない、と述べておられるが、私もまったく同感である。善悪二元論の単純な構図と印象的なワンフレーズで世論を動かしてきた小泉氏のポピュリスト的な手法では、こうした利益集約機能を着実に果たし続けることなど、望むべくもないからである。

また、そうしたポピュリスト的手法に有権者が熱狂しないことも、きわめて大切なことだ。同欄で中島氏は、1990年代半ば以降、世論が単なる気分になってしまったこと、そしてこの10年間、政党がそうした世論に迎合してきた責任は大きいことを指摘した後、「本来、政党のリーダーにふさわしいのは独断的なカリスマではなく、他者との葛藤に耐えながら、ねばり強く合議形成をしていく能力の持ち主だ」と述べておられるが、これも全くその通りだと私も思う。

そのために求められる能力の一つは、言葉の力である。この点について、同欄で横江氏は「街頭演説や座談を盛り上げるだけではない、本当の意味での言葉の力を磨く必要があります。万人が100%満足する政策などない時代、どう実のある議論をして人々を納得させられるかが問われます」と述べておられることに私も同意する。「万人が100%満足することなどない」と率直に述べられているが、民主主義である以上、様々な利益や価値観が政治の場で表出されるのは当然のことだ。

大切なのは、そうした多元的な利益や価値観が存在する中で、そうした諸利益や価値観にどのような優先順位をつけるべきかを、何らかの首尾一貫した政治思想に基づいて判断し、それを明確に伝える言葉の力を養うことなのである。というのも、従来の「自民党システム」におけるように、諸々の部分利益を無原則に寄せ集めることで「包括政党」であり続けられる時代は、物質的に飽和したがゆえに高度経済成長がもはや望めない現代の脱工業社会においては、すでに終わっているからである。

来たる2月5日(金)に予定されている大阪市立大学の政治学の試験では、90点以上を目指す場合には現代の日本政治について適切な論評を加えることを求めているが、ここで紹介した今朝の朝日新聞のオピニオン欄は、大いに参考にできるものの一つだと思われたので、ここで取り上げた次第である。

なお、大阪市大の授業でも度々言及したが、ここで取り上げた問題を深く考察するための参考文献を、以下に3冊挙げておく。

佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』ちくまプリマー新書
佐々木毅『政治の精神』岩波新書
野中尚人『自民党政治の終わり』ちくま新書

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2010年1月28日 (木)

大阪市大 政治学 参考資料:米オバマ政権の核テロリズム対策をめぐって

昨年10月以来、毎週金曜日に行ってきた大阪市立大学法学部での政治学の授業も、H21年度はいよいよ明日で最後である。

その扱うテーマの一つが「核兵器」だが(加茂利男ほか『現代政治学 第3版』有斐閣、第10章2)、時間切れになって授業中に紹介できなくなる恐れがあるので、参考となるウェブ上での最近のニュース記事を、ここで予め紹介しておこう。

米オバマ大統領が昨年ノーベル平和賞を受賞したことは周知のとおりだが、その受賞演説を一読してみると、オバマ大統領は「武力なき平和」を夢想しているわけではないことが分かる。朝日新聞のサイトにその演説全文が掲載されていた。

asahi.com オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文

その受賞理由の一つが「核なき世界」を目指すことを宣言したことにあった(他の理由は、国際協調外交の推進と、気候変動問題解決への積極姿勢だった)が、その一方で、“核テロリズム”防止を、従来からの核戦略に加えて、重要な方針に据えようとしていることを、昨年12月18日にニューヨークタイムズが報じていた。

NYT| IHT: U.S. to Make Stopping Nuclear Terror Key Aim

捨て身の自爆テロリストたちには、「核抑止」の論理は効かないから、これは深刻な問題である。前ブッシュ政権は、これをひたすら力で抑え込もうとしていたが、それには限界があったことは、オバマ大統領には充分分かっているはずだ。

国際政治の現状においては、残念ながら「武力なき平和」を夢想できないことはもちろんだが、だからといって武力「だけで」平和が実現できるわけでもない。「対話」重視の姿勢を打ち出していたオバマ大統領が、この問題に今後どう取り組んでいくのか、注視していかねばなるまい。

ところで、そのオバマ大統領に「日米安保は日本外交の基盤」と言ったのは鳩山首相だが、その一方で、小沢氏の「日米中 正三角形」論を肯定するのは、どう考えても論理矛盾だろう。普天間基地移転問題にしてもそうだが、どうも鳩山政権の外交方針はハッキリしないのが、一有権者としても気になるところである。

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2010年1月26日 (火)

来年度の授業に備えて

ここ数日はちょっと体調を崩していたので、ブログも更新できずにいたが、ようやく元気になってきた。

今年度の授業はいよいよ今週ですべて終了し、その後は筆記試験とレポート試験の採点を残すのみとなるが、その一方で、来年度の授業のシラバスを作成せねばならない。

そのシラバスの作成要領が、皇學館大学では今回から大きく変更され、文科省の新しい方針に従い、各回の授業内容に「事前学習」と「事後学習」の項目を加えるなど、非常にきめ細かく作らねばならなくなった。

それに伴い、非常に綿密にシラバスを作らなければならなくなったので、最近はそれをどうしたものかとずっと思案している。

非常に手間がかかるので、「大変だな…」というのが正直なところだが、観点を変えて考えてみると、事前にこれだけ綿密なシラバスを作っておけば、あとはそれに沿って授業を進めていけばよいだけになるので、作ってしまいさえすれば、授業当日の心理的負担は、かなり軽くなるはずである。

それを励みにして、来年度のシラバスを早く完成させたいと思っている。

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2010年1月20日 (水)

金曜日の授業に備えて

センター試験翌日の月曜日は、一日ずっと、家で休んでいた。やはり、いつの間にか、かなり疲れていたようである。翌日の火曜日には、皇學館大学で3コマ連続での補講があり、そして今日は会議が3つあった。

その合間に進めているのは、今週金曜日に控えている大阪市立大学での政治学の準備である。次の授業でのトピックは近現代の国際政治だ。テキストに基づいたスライドは作成済みだが、授業に深みを持たせるため、それ以外にも関連する文献として、サブテキストの『政治学』(有斐閣)の国際政治学関連の章と、中西寛『国際政治とは何か』(中公新書)を読み始めた。あと二日で何とか読み終えて、授業に備えたいと思っている。

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2010年1月17日 (日)

センター試験 終了

昨日・今日と、大学入試センター試験だった。私は試験事務班としての業務があったので、試験前日の1月15日から2泊3日の伊勢出張だった。

センター試験は全国一斉に行われるものであり、大学入試センターによって決められたマニュアルを厳格に守らないといけないので、かなり気を使う仕事だが、毎年、合間の時間には冗談を言い合うなどして、あえてリラックスするよう心掛けている。その方がかえって、仕事の能率が上がるからである。

長い3日間だったが、順調に終了したのでホッとしているところだ。今は帰りの電車だが、帰宅したらゆっくりと休みたい。

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2010年1月13日 (水)

「温暖化はウソ」に対する科学者の反論

日本では「温暖化はウソ」という議論がマスメディアで好んで取り上げられることがある。私の授業の受講生の中にも、その影響を受けている学生が時折見受けられることもある。

そのような「温暖化はウソ」という主張に対して、科学者たちが反論しているペーパーを今日見つけることができた。これは、2005年度環境経済・政策学会での討論資料などに基づいて書かれたものだという。

地球温暖化問題懐疑論への反論コメント ver.2.4(2008年7月7日)

この反論ペーパーは58ページのPDFファイルであり、全部で4つの章から成っているが、今日はその第2章まで読むことができた。その第1章、第2章のタイトルは次の通りである。

1.温暖化問題における「合意」
2.温暖化に関するマスコミ報道

まずその第1章によると、温暖化に対する懐疑論者からは「温暖化、特に温暖化への人為的な影響に関する世界的な合意はない」と言われることがあるが、実際には、「20世紀後半から起きている温暖化は二酸化炭素が主な原因」という説は、ほぼ全ての気候学者が同意した議論であり、少なくとも現時点においては、その信憑性を否定するような観測事実は皆無に等しいという。

それに対して、いわゆる懐疑論者は圧倒的な少数派であり、かつ全く分野が異なる専門外の研究者あるいは非研究者である場合が少なくない。しかもその懐疑論は、世界中の様々な分野の学界において多くの研究者が行ってきた議論の帰結や最新の知見を十分に踏まえた議論には必ずしもなっていないというのである。

また、米国の温暖化懐疑派の背後には石油メジャーのエクソンモービル社が控えているという。これは有名な事実であり、米国の科学者グループ「憂慮する科学者同盟 Union of Concerned Scientist」が、2007年1月にエクソンモービル社と懐疑派とのつながりに関する非常に詳細なレポートを出しているとのことであった。

次に、第2章の温暖化問題に関するマスコミ報道であるが、米国ほどではなくとも、日本でも「報道におけるバランス」などを理由に、しばしば温暖化懐疑派の意見が新聞などに掲載されることがある。

ところが、それに対して、実は欧州においては、米国や日本のメディアに比べると、懐疑的な意見が取り上げられる機会は極端に少ないのだそうである。というのも、英フィナンシャルタイムズ紙の環境分野担当の記者 Fiona Harvey の語るところによると、「懐疑派の議論を同じように取り上げてしまうと、(実際はそうではないのに)彼等がアカデミックの世界でも大きな勢力を持っているという間違った印象を読者に与えてしまうことになる」からである。

かといって、この反論ペーパーの筆者たちが、日本のマスコミが懐疑論を取り上げる自由を否定しようとしているわけではない。しかし、その筆者たちは、メディア関係者に対して、懐疑論を取り上げる際にはその中身や懐疑論者の背景に関してもう少し勉強しておくこと、および、懐疑論は必ずしも現在の科学知識をよく代表するものではないので、それを重視しすぎないことを切に訴えている。

そもそも、大部分の懐疑派は気候科学や地球科学を専門とする研究者ではなく、少なくとも欧米では、特定の利益団体と結びついた人たちであるという。そうした戦略的懐疑派は既得権益の死守を目的としている。彼らは専門家や学会を主なターゲットとしているのではなく、「温暖化問題はなんとなく不確実性が大きい」というイメージを、むしろ世間一般の人々をターゲットとして、植え付けようとしている。そして、日本には、そのような既得権益死守を目的とした人々の片棒を無意識のうちに担いでしまっているナイーブな懐疑派の人々が少なくないのだというのである。

私が思うに、日本でこうした懐疑論が一部の読者や視聴者から歓迎されることがあるとすれば、その理由の一つは、そうした報道が“不都合な真実”から自分たちの目をそむけさせてくれる効果があるからかもしれない。しかし、そのような現実逃避ではなく、科学者たちのメッセージに真摯に耳を傾け、気候変動防止のため今こそ行動を起こすべき時だと、私は思う。

【追記①】
なお、この反論ペーパーを私が見つけたのは、環境ジャーナリストの枝廣淳子氏の主宰するウェブサイト「日刊温暖化新聞」を通じてだったので、参考までに、そのリンクを貼っておくことにする。

日刊温暖化新聞:こんな質問にはどう答える?

【追記②】
以上の文章を書いたのち、念のために調べてみると、ここで取り上げた反論ペーパーの最新版(Ver.3.0)が2009年5月21日付で出されていることが分かった。

地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver.3.0(2009年5月21日)

今はこの最新版を読む時間は取れないが、いずれ機会を改めて読もうと思っている。

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2010年1月10日 (日)

兄は「本物の控え捕手」

本ブログ1月8日の記事でも言及したように、去る1月7日には、皇學館大学社会福祉学部・地域福祉文化研究所の主催で、「現代の子どもに必要な動きを考える」というテーマでシンポジウムが開かれた。

そのパネル・ディスカッションにおけるパネラーの一人として招かれた千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチの山中潔は、実は私の実兄である。

兄はPL学園から昭和54年秋ドラフト4位の指名で広島カープに捕手として入団し、その広島で達川光男選手と正捕手争いを演じたが、結局レギュラーの座をとることはできず、その後は2番手キャッチャーとして、ダイエーホークス→中日ドラゴンズ→日本ハムファイターズ→ロッテマリーンズと渡り歩き、17年間の現役生活を送ったあと、ロッテで6年、次いでファイターズで7年、コーチを務めてきた。昨年はユニフォームを着てちょうど30年目の年だったが、今年は千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチとして、31年目のシーズンを迎えることになる。

その兄が、昨年、ある本でかなり大きく取り上げられた。それは、スポーツジャーナリストの赤坂英一氏によって書かれた『キャッチャーという人生』(講談社、2009年8月31日第1刷発行)という本である。

この本は、帯の言葉を借りると、「野村と古田の陰に隠れた6人の名捕手たちの、栄光と挫折」を描いた本である。その6人の名捕手というのは、この本で最初に出てくる順番で言うと、村田真一、達川光男、山中潔、谷繁元信、大久保博元、里崎智也--この6人であり、その6人のキャッチャーとしての生き様が、この本では非常に興味深く描かれている。というのも、この本では、この6人が機械的に個別に描かれているのではなく、時系列に沿って互いに関連させられつつ、6人それぞれの特徴がうまく描き出されているからである。

それにしても、その6人の中では、兄の山中潔が、もしかすると一般的な知名度という点では、最も低かったかもしれない。というのも、兄は結局、その17年間にわたる現役生活の中で、正捕手になれたことは一度もなかったからである。

しかし、その兄は、この本のなかで「本物の控え捕手」と評価されていた。というのも、「89年に1年だけ在籍したダイエーを除いて、プレーしたのは強い球団ばかりだった」が、その強い球団で「控えとはいえ、常に一軍で必要とされる存在」であり続け、並の控えにとどまることなく、リードに自分の色を出していたからである(168-173頁)。

そのような存在であり続けるための努力は、決して並大抵のものではなかったに違いない。兄が弟の私に「自分がプロ野球の世界でいかに努力してきたか」を語ることは全くなく、私の前ではざっくばらんな、優しい姿しか見せることはなかったので、その兄がプロ野球の世界でどれほどの努力をしてきたか、それを具体的に知ることができたのは、この本のおかげであった。しかし、それを具体的に知ることはなくとも、どれほどの努力をしているのか、その雰囲気は不思議と感じ取っていたように思う。

私には、この兄の他にも、兄がもう一人、姉が一人、そして妹が一人いる。プロ野球の長兄を筆頭として、みんなそれぞれの分野で独り立ちしており、その5人の兄弟姉妹は、みんなそれぞれ努力を重ねているに違いないのだが、決してそれをお互いにひけらかすことがないのは、おそらく、努力することが、自分たちにとってあまりにも自然なことだからなのだと思う。わたしもそのような兄弟姉妹の一員として、これからも自然体で努力していこうと思っている。

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2010年1月 9日 (土)

学生を連れて新年会

今日は、ある学生からのリクエストに応えて、午後6時から名張駅前の居酒屋(魚民)で新年会をした。集まったのは、3年生の学生が3人だけだったが、楽しいひとときだった。

そこで2時間ほど過ごしたあとはボウリングに行って2ゲームを楽しんだので、帰宅は夜11時頃だった。

今日の新年会がよい気晴らしとなって、学生たちが今月末の試験を頑張ってくれることを願っている。

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2010年1月 8日 (金)

伊勢・名張・大阪の三日間

この三日間の仕事は、伊勢→名張→大阪だった。

1月6日…伊勢学舎にて、「大学入試センター試験 監督者説明会」に出席。説明会の終了後、1月8日の授業にむけた準備。午後5時半からは、職場の新年会に出席したため、伊勢からの帰宅は午後10時頃。

1月7日…名張学舎にて、「皇學館大学社会福祉学部 地域福祉文化研究所シンポジウム 現代の子どもに必要な動きを考える」(開催案内開催内容)に、運営の一人として出席。

1月8日…まず午後1時より、名張学舎にて政治社会学の講義。その後、大阪・杉本町に移動し、午後6時より、大阪市立大学法学部・第2部にて、政治学の講義(2コマ連続)。帰宅は午後10時半頃。

このように、なかなか多用な三日間だったが、それを乗り切ることができて、ホッとしている。明日からの3連休も有意義に過ごしたい。

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2010年1月 5日 (火)

大阪でのひととき

今日も午前中はゆっくり休んだが、午後からは、非常勤講師として通っている大阪市立大学の図書館(学術情報センター)に、今日が返却期限の図書を返しに出かけた。

借りていたのは、ハーシュマンの『失望と参画の現象学:公的行為と私的利益』(法政大学出版局)である。この本を借りたのは、前に読んでいた佐々木毅『政治の精神』(岩波新書)で言及されていたからだった。もちろん、非常に有名な本なので、それ以前から気にしていたが、長らく品切れになったままの本なので購入することができないまま今に至っていたのを、上記の『政治の精神』でも言及されているのを見て、「やはり必読書だ」と改めて思い、今さらながら、図書館で借りたのだった。もちろん古書店で探すこともできるが、とりあえず今回は図書館で借りることにした。それを今日、返却しに出かけたのである

しかし、いつも非常勤の授業で行く時とはちがって、今日は一人で出かけたのではなかった。愛媛育ちで大阪には馴染みの薄い妻が「私も大阪に出かけてみたい」と言ったので、まだ幼稚園が冬休み中の娘も連れて、家族3人で大阪へ出かけることにしたのである。

まず近鉄南大阪線で大阪阿部野橋まで一緒に来て、そこから私が大阪市大へ行っている間に、妻と子供は近鉄百貨店あべの店で時間を過ごした。私が戻ってきて合流した後は、遅めの昼食を近鉄あべの店でとった。

昼食後には、娘がどうしてもおもちゃが欲しいというので、一つ買わざるを得なかったが、そもそも、幼稚園で使うクレパスを買い足す必要があったので、あべのHoop店5階にある「カワチ画材店」にも行ってきた。この店に行ったのは、足りなくなった色のクレパスをバラ売りしてくれるのがこの画材店だったからだが(他の文具店では12色セットのまとめ買いしかできないとのことだった)、おそらく美術大学に通う学生がよく来るだろうと思えるような本格的な画材店だったことに感銘を受けた。

あべのでの買い物の後は、なんばまで足を伸ばして、ボウリング場へ行った。吉本なんば花月のすぐ近くにある「千日前ファミリーボウル」である。家族3人でボウリングに行くのは実は初めてだったのだが、娘が成長して、もう子供用のボウルだったら転がせるだろうと考え、冬休みのひとときをボウリングで楽しもうと思ったのである。

当初は2ゲームだけで終えるつもりだったのだが、娘がボウリングをたいそう気に入って「まだしたい!」というので、結局は4ゲームすることになった。子ども用の5ポンドの軽いボウルとはいえ、6歳の子どもにはまだ片手で投げることはできず、いったん下に置いたあと両手で転がすことしかできなかったが、ガーターを防ぐ「バンパーレーン」を使わせてもらったおかげで必ず何本かはピンが倒せるので、それが娘には楽しかったらしい。

親の二人は、3ゲーム目あたりから、ボウルを投げる右腕と右肩が少し疲れてきたのに対して、子どもの方は「まだまだしたい!」と言っていた。4ゲーム目が終わった後も「まだしたい」と言っていたが、親の方が疲れてしまったし、時間も遅くなってきたので、さすがにそこで終了したが、元気なわが子のパワーに、あらためて恐れ入った次第である。

そんな中で今日進めた仕事は、1月8日(金)から再開する授業の準備である。皇學館大学名張学舎での政治社会学の準備は昨年のうちに済んでいるが、大阪市立大学での授業の準備が残っていたので、大阪へ行く電車の中でテキストを読み直したのである。大阪市大で担当している「政治学」で、テキスト『現代政治学 第3版』(有斐閣)の第7章「政治意識と政治文化」を次に取り上げるので、その準備のために読み直した。

それに加えて、授業内容に深みを持たせるため、サブテキストに指定している『New Liberal Arts Selection 政治学』(有斐閣)の第18章(の丸山真男論の箇所)と第20章も読み直しておいた。あとはその要点をパワーポイントでまとめる作業が残っているが、それは明日の午前中のうちに仕上げたいと思っている。

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2010年1月 4日 (月)

今日の仕事

今日は、午前中はゆっくりと休んでいたが、午後にはちょっとしたひと仕事をした。

それは、先月に担当した皇學館大学社会福祉学部平成21年度第7回月例文化講座の原稿を仕上げる仕事だった。講演叢書として今年4月に刊行するので、そのための原稿である。講座終了後、少しずつ書き進めていたのを、今日、書き上げることができた。研究論文ではなく、『アフルエンザ』という本の紹介が主な内容である。

ちなみに、アフルエンザというのは造語で、アフルエンス(affluence 豊かさ)とインフルエンザ(influenza 流行性感冒)を合わせた言葉である。詳しくは、ジョン・デ・グラーフ他『消費伝染病「アフルエンザ」:なぜそんなに「物」を買うのか』(日本教文社)に書かれている。もともとはアメリカPBSで放送されたドキュメンタリーが本になったものである。

その仕事を終えた後、今日の夜は家族3人で市内のお風呂屋さんに行き、くつろぎのひとときを過ごした。ひと仕事終えた後だったので、のんびりと寛ぐことができた。

今年はこれからも、休みだからといって何もせずに過ごすのではなく、小さなものでもよいから、何か必ず、仕事を進めていこうと思っている。その方が、かえって気持ちが楽になれることだろうと思う。

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2010年1月 3日 (日)

凧揚げで童心に帰ったお正月

昨日・今日と、身内が集まって、楽しく賑やかなお正月を過ごすことができた。6歳の娘は、いとこたちに久しぶりに会えて、おおはしゃぎである。

昨日は橿原神宮に初詣に行った後、市内のホテルで宴会をした。今日は父母の墓参りをしたあと、公園で凧揚げなどで遊んだ。

今日は風が強く凧揚げには絶好の天気だった。ところが、風が強すぎたのか、糸が弱かったのか、凧糸が途中で切れてしまうというハプニングもあったので驚いたが、やはり凧揚げは楽しかった。

それにしても、凧揚げをしているときの、あの解放感は不思議である。自分の身体は飛べなくても、凧が自分の分身となって、自分の代わりに空を飛んでいるような感じがするからだろうか。

こうして童心に帰ることができるひとときを、これからも大切にしたいと思う。

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2010年1月 1日 (金)

年賀状の名簿作り

読者の皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

さて、この新年最初の一日は、年賀状の名簿作りをすることにした。これまでは、新年の年賀状を書くときには、前年にいただいた年賀はがきを一枚一枚見ながら宛名書きをしていたのだが、今年は、次の年以降に備えて、Excelを使って名簿にまとめておくことにしたのである。

その入力を済ませた後には、「データ並べ替え」機能であいうえお順に並べ替えてみたところ、ずいぶん見やすくなったので、気分が良かった。

それが終わった後は、これもまたExcelを使って、『ハイエク政治学論集』の謹呈リスト作りを再開し、完成まであと少しのところまで来ることができた。

こうして名簿作りをしてみると、いかに多くの方々のお世話になっているかということが、改めてよく分かった。そのことへの感謝の気持ちを忘れずに、この一年を過ごしていきたいと思う。

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