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2010年12月 9日 (木)

『成長なき時代の「国家」を構想する』は何を訴えているか(1)

前回、オルタナティヴ・ヴィジョン研究会の成果たる『成長なき時代の「国家」を構想する』の基本姿勢が「経済成長を第一の目的としない」というものであることを述べたが、もしかすると、それは「経済成長をしぶしぶ諦めるという後ろ向きのスタンスなのではないのか」と思われた向きもあるかもしれない。

しかしながら、もしもそうだとすれば、それは誤解である。たしかに、資源・環境上の制約から、経済成長がもはや持続不可能なものになりつつあるという要因もあるのであって、その要因も本書では重視されている。しかしながら、だからといって、われわれのスタンスが「だからもう、経済成長は諦めなければならないのだ」という消極的な諦念のみにもっぱら由来するのだと思われるとしたら、それは誤解なのである

本書『成長なき…』第Ⅰ部に収められた「経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン」(中野剛志)において問題とされているのは、上述の資源・環境上の制約もさることながら、何よりもまず、「そもそも日本において、仮に経済成長が今後も可能だとしても、それが国民の福利の増大に直結する時代ではなくなった」ということである。ここでいう「福利 (well-being)」とは、広く「自分の人生に対する積極的な評価」のことを指しているが(本書42頁)、今日、すでに豊かとなった国々では、物質的・金銭的な豊かさのさらなる増大が、もはや人々の福利の向上をもたらすものではなくなっているのである。それは、最近の社会心理学の研究などによって、すでに明らかにされていることである。

そもそも、これまで経済成長が国家経済政策上の目標とされてきたのは何故だったのか?--それは、物質的・金銭的豊かさの増大が福利の向上をもたらす手段であるという認識が共有されていたからであったはずだ。ところが、今日では、その認識がもはや妥当しなくなってきているのである。にもかかわらず、「経済成長」を至上のものとするという従来からのスタンスに依然として固執しつづけてしまうとしたら、むしろそのようなスタンスこそ、消極的・後ろ向きなものだと言うべきではなかろうか?

それに対して、本書では、経済成長を至上のものとする旧来の姿勢から脱却し、むしろ国民福利の向上それ自体を目的とした経済政策、すなわち「国民福利アプローチ」へと思い切って転換していくべきことを強く訴えているのである。その意味で、本書の打ち出している姿勢は、非常に積極的かつ大胆なものだと言えると思う。

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