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2010年12月18日 (土)

『成長なき時代の「国家」を構想する』は何を訴えているか(2)

前回、本書が訴えているのは「経済成長を至上のものとする旧来の姿勢から脱却し、むしろ国民福利の向上それ自体を目的とした経済政策、すなわち「国民福利アプローチ」へと思い切って転換していくべきこと」であると述べた。すなわち、経済的豊かさに代わる新たな政策目標を設定すべきことを、本書は訴えているのである。

しかしながら、本書の序で詳しく言及されているように、経済的豊かさに代わる新たな政策目標を設定する試みは、実はすでに1970~80年代においてなされたことがあった。たとえば、1971年に当時の通産省産業構造審議会によって出された「70年代の通商産業政策の基本方向はいかにあるべきか」と題された答申がそれであり、また、それから約10年後に当時の大平首相の下で設けられた政策研究会「文化の時代の経済運営研究グループ」が1980年に発表した報告書も、その一例である。当時のこうした政策ヴィジョンが経済的豊かさ以外の価値を探求したのは、間違いないことであった。

ところが、本書の序で指摘されているように、こうした政策ヴィジョンは、他方で、実は経済成長が続くことを前提としていた。それが今後も続くことを想定したうえで、経済的豊かさだけには満足できずに、文化的・精神的価値をも求めるというのが、当時の政策ヴィジョンで示されていた姿勢だったのである。したがって、1990年代以降において経済的豊かさが危うくなった途端に、経済以外の価値を目指すという理想もあっさり後退してしまったのであった。

それに対して、本書で提示されている「オルタナティヴ・ヴィジョン」では、経済成長はもはや自明のものとされていない。むしろ低成長社会が前提となっている。この点で、本書の「オルタナティヴ・ヴィジョン」は、これまでの政策ヴィジョンとは全く異なる新たな試みなのである。そのことを、本書の序で、編者の中野剛志氏は次のように力強く宣言している。

経済成長だけでは飽き足らなくなったから、経済成長以外の価値を探すのではない。もはやこれ以上の経済成長を望めなくなるという事態に直面したときに、われわれは、何を目的として経済を運営すべきなのか。そういう厳しい状況をあえて設定したうえで、経済政策の進むべき道を議論しようというのである。こうして得られたヴィジョンこそが、これまでのように経済の好不調によって左右されない、長期的な経済政策の脊椎となり得るであろう(本書21頁)。

こうした問題意識のもとに提唱されているのが、本書第Ⅰ部「経済政策のオルタナティヴ・ヴィジョン」である。その基本姿勢を一言で表わすとすれば、それは ≪国内総生産から国民福利へ≫ というものである。これを本書では「国民福利アプローチ」と呼んでいるが、社会心理学的研究の成果を踏まえつつ、その国民福利を構成するものとして本書で特に重視しているのが、「家族、友人関係、地域共同体といった、心理的紐帯で結ばれた人間関係や一体感のある共同体に帰属し、その相互信頼や相互扶助の関係の中で、他者からの承認を得ていること」である(本書42頁、強調は山中による)。

なお、この場合の「共同体」には、伝統的な共同体のみならず、近代的な産業組織や趣味のためのクラブなども含まれる。そうした産業組織やクラブなどであっても、それが暗黙の信頼関係や帰属意識によって結ばれ、持続的に存在している集団であれば、共同体とみなされるのである(本書82-83頁、注2参照)。

ここで非常に重要なキーワードは、「他者からの承認」であろうと私は思う。というのも、それを得られずに社会から排除され、孤立してしまう人々が多数発生してしまっていることが、現代日本においても、非常に深刻な問題となりつつあるからである。すなわち、いわゆる「社会的排除」(social exclusion) の問題である。

この「他者からの承認」「社会的排除」の問題を意識しつつ、本書に寄せたのが山中論文である。それに私は「“生産性の政治”の意義と限界:ハイエクとドラッカーのファシズム論を手がかりとして」というタイトルをつけたが、その要旨を編者の中野氏が、本書の序で、次のように簡潔に表現してくれている。

山中論文は、ファシズムをめぐるハイエクとドラッカーの議論を題材とし、経済成長を第一義的な目的とする従来のヴィジョンの限界と危険性を明らかにする。すなわち、低成長社会にあっても経済成長を最優先に推進することは、屈折した社会感情を噴出させ、ファシズムをもたらすと警鐘を鳴らすのである(本書28頁)。

この山中論文が載せられているのは本書第Ⅱ部であるが、その第Ⅱ部は、次の五つのテーマから構成されている(ちなみに山中論文は下記の④の一つである)。

①福利の可能性と限界
②国民の境界線
③共同体の再考と再興
④経済政策の社会的意味
⑤新たな国際秩序の構想

いずれも本書第Ⅰ部で提示された論点を、それぞれの専門的立場から、さらに深めて論じたものである。お読みいただき、読者諸賢の批判を仰ぐことができれば幸甚である。

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