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2010年12月22日 (水)

英語の発想と日本語の発想:私の翻訳体験記(皇大・地文研「ちょっとちょっと講義」最終回)

今日は午後2時から3時半まで、名張の一般市民の方を対象に講義を行った。聴講しに来ていただいた市民の方は6名であり、それに加えて学生も2名聴きに来てくれたが、どなたもみな熱心に聴講して下さった。

講義テーマは、この記事のタイトルに掲げたとおりである。これは皇學館大学社会福祉学部の付置研究所「地域福祉文化研究所」が主催してきたものだが、来年度からキャンパスが伊勢学舎に統合されるため、今回が最終回となった。奇しくも、私がその最終回を飾ることになったのである。

サブタイトルに「私の翻訳体験記」と謳っておいたように、講義では、昨年私が『ハイエク全集Ⅱ-5 政治学論集』(春秋社)を監訳した時の体験も交えつつ、英語の発想と日本語の発想の違いについて、安西徹雄『英語の発想』、同『英文翻訳術』(いずれも、ちくま学芸文庫)に基づきながら、説明を行った。

そのときに用いた講義レジュメをここにも掲げておくことにしよう。

講義レジュメ(PDFファイル)をダウンロード

このレジュメには記載していなかったが、講義で補足したのは、時制をめぐる英語と日本語の違いについてであった。その点について説明している『英語の発想』の一文は、次のとおりである:

英語では、時制は客観的な時の目盛りと対応しているのが大原則であって、話し手の視点は動かない。ところが日本語の場合には、話し手の視点が自由に動くし、時制の統一はむしろ避ける傾向が強い。視点を固定し、時制を統一した文章では、単調に感じられたり、不自然に感じられたりさえする(150頁)。

このことを例示するにあたっては、『英文翻訳術』219頁から、次の英文を使わせてもらった(下線は山中)。

She said it wasn't her fault.

ここでいわゆる「時制の一致」が起こっているのは、話し手の視点が発話の時点に固定されているからである。ところが日本語ではそれが自由に動くから、日本語に意訳すると、次のような訳文になる。

彼女は、それは私のせいではない、と言った。

ここでの注目点は二つである。ひとつは、英文の下線部分では過去形なのに対して、日本語訳では現在形であること。つまり、話し手の視点が、「それは私のせいではない」という言葉を発した「過去の時点」に移動している。

もう一つは、英文では"her fault"であるのに対して、日本語訳では「私のせい」と表現されていること。つまり、ここでも話し手の視点が日本語では移動しており、話し手は、視点を彼女の立場に移して語っているのである。これを、「彼女は、それは彼女のせいではない、と言った」と訳してしまうと、日本語としてはかなり不自然であろう。

もちろん、英語には間接話法と並んで直接話法もあるから、She said, "it isn't my fault."と表現することもできる。ところが、逆に日本語には「間接話法」はない。なので、間接話法の英語は直接話法に置き換えて和訳することになるのである。

以上の時制における日英の違いも補足しつつ、英語の発想と日本語の発想について説明させてもらったが、最後に強調したのは、そうした相違にもかかわらず、この両者には共通する部分もある、なぜなら同じ人間の話す言葉だからだ--ということだった(たとえば英語でも、日本語ほどではないにせよ、視点を移動させて、過去のことでも現在形で語ることもある)。それについては、安西氏が『英語の発想』の154頁以降で大いに力説しており、私も大変強い感銘を受けたので、関心のある読者は是非お読みになるとよいだろう。

今回の講義が最終回だったということで、名残惜しいと言って下さる市民の方もいた。また、なかには「山中先生だから聴きに来ました!」と言って下さる方もお一人いたことは、まさに望外の喜びだった。最終回を飾るにふさわしい内容となったことを願うばかりである。

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