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2011年3月14日 (月)

大規模集中型発電方式の脆弱性

このたびの東北地方太平洋沖地震では甚大な被害が出た。まだその被害の全容は明らかになっていないが、未曽有の被害が予想される。被災された多くの皆様に心からお見舞い申し上げます。

さて、今回の大地震でわれわれが思い知らされたことの一つは、大規模集中型発電方式の脆弱性ではないかと思う。火力発電にせよ、原子力発電にせよ、その大規模な発電所自体が被災したり、その発電所から各家庭に伸びている送電線が災害で破壊されてしまうと、とたんに電力不足に直面してしまうからである。

もちろん、目の前の問題としては、計画停電も必要だし、また福島原発が最悪の事態に陥らないよう、東京電力や政府には、全力で対応してもらいたいのは言うまでもない。しかし、現在、東京電力が計画停電や福島原発の対応に追われている間にも、太陽は停電に悩む被災地にも降り注ぎ、風は吹いているのである。

そのことを考えると、文明評論家のジェレミー・リフキン氏がつとに主張していたように、これを機に、われわれは自然エネルギーを基盤とした分散型の発電方式へと思い切って転換していくことが必要ではないだろうか。災害時のリスク分散という観点からも、そのことが必要であると私は思う。

なお、「自然エネルギーを基盤とした分散型の発電方式の利点」については、本ブログの2006年12月4日にも書いておいた。そこで、「天候に左右されやすく、貯蔵不可能」という自然エネルギーの弱点が、水素燃料と組み合わせることで克服可能である、というリフキン氏の議論を紹介しているので、関心のある読者はそちらも参照されたい。

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2011年3月 9日 (水)

日経新聞「やさしい経済学」で「人生と幸福度の経済分析」連載開始

昨日から日本経済新聞朝刊の「やさしい経済学」の欄で、「人生と幸福度の経済分析」と題した連載記事が始まった。筆者は青山学院大学教授の亀坂安紀子氏である(専門は行動ファイナンス、行動経済学)。

やはりここでも、話の始まりは、戦後日本における国民の幸福度がGDPの伸びとは比例していないという事実である。このことについては、『成長なき時代の「国家」を構想する』(ナカニシヤ出版)でも出発点とした事実であった。すなわち、1人当たりの実質GDPが増えたとしても、その国の人々の生活満足度や幸福度は上昇しない、という事実である。

そこで経済学の世界で最近、幸福の経済分析が新たに注目されるようになってきている。その顕著な一例は、仏サルコジ大統領の要請により、スティグリッツ米コロンビア大学教授やセン米ハーバード大学教授が2009年にまとめた報告書である。

しかし、亀坂氏によると、その報告書では人々の「主観的幸福度」を測る指標をつくることが重要であることや、人々の幸福度に影響を与える客観性の高い条件について考慮すべきことが謳われているものの、それでは実際にどのように「主観的幸福度」を測り、客観性の高い条件についてどのように考慮すればよいかについては、具体的には記されていないのだという。おそらく専門的には、クリアーしなければならないハードルがまだまだあるのかもしれない。

しかし、その方向性自体は正しいはずなので、経済学の世界でこの研究が進展してくれることを願うばかりである。この連載記事では、そのあたりの研究状況を読者に分かりやすく解説してくれることだろうから、これからも注目して読んでいこうと思う。

なお、人々の主観的幸福度との関連で、「豊かさの質」についてこれまでどのように論じられてきたか、またそこにはどのような課題がまだ残されているかについては、『成長なき時代の「国家」を構想する』の第Ⅱ部で、大東文化大学の佐藤方宣氏が「『豊かさの質』の論じ方:諦観と楽観のあいだ」と題して論じておられるので、関心のある読者はそちらもお読みになるとよいと思う。

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2011年3月 8日 (火)

日経新聞経済教室・集中講義「市場を考える」を読む(2)

日経新聞朝刊で1月4日から毎週月~金曜日に連載されていた「集中講義 市場を考える」が2月22日の第35回を以て終了した。本欄1月6日の記事でこの連載記事への関心を表明していた私としては、その連載が終了した後、すぐに本欄でコメントを加えたいところだったが、2月下旬以降は研究室の名張から伊勢への引っ越し作業のため、その時間的余裕がなかった。最近ようやく落ち着きを取り戻してきたので、ここで若干のコメントを加えさせていただこうと思う。

まず感心させられたのは、筆者の松井氏が、昔話や童話を引き合いに出しながら、そこから得られる教訓を踏まえつつ、議論を展開されていることだった。そうした能力はまだ私には備わっていないので、少しでも見習いたいと思った次第である。

全35回に渡ったこの連載記事では、市場を機能させるために必要とされる諸条件について様々な角度から語られており、学生時代に経済学を専攻していなかった私には、まだその全てを理解することはできていないのだが、それでも、この連載を読むことで、市場を生かそうとする経済学における根本思想だけは、読み取ることができたように思う。それが私にとっての最大の収穫だった。

それでは、その根本思想とは何か? 私なりに要約すると、それは、「見知らぬ者同士の間で“顔で差別しない”関係、すなわち分け隔てのない相互協力関係を、強制権力にできるだけ頼ることなく形成するのが、市場の役割である」ということである。

この根本思想のうち、「強制権力にできるだけ頼ることなく」という点を現実に生かそうとする際に、おそらく避けて通れないのは、ホッブズの政治思想であろう。実際、松井氏は第2回の記事で、昔話「さるかに合戦」を引き合いに出しつつ、ホッブズに対して、さりげなく異議を唱えていた。その箇所は次のとおりである:

 それにしても、〔『さるかに合戦』の〕猿は浅知恵だった。もしかしたら『リヴァイアサン』の「万人の万人に対する闘争」のくだりだけ勉強して育ったのかもしれない。あだ討ちされてしまうくらいなら、あのような強欲なことはせずに、カニから少しだけ分け前をもらうことで満足すべきであった。
 一方でホッブズも、『さるかに合戦』を読んでいたら、王権の強化だけが唯一の答えでないことに気づいたかもしれない。『さるかに合戦』、恐るべし。(日本経済新聞朝刊2011年1月5日31ページより)

しかしながら、ホッブズがいわゆる自然状態を戦争状態として描いた大きな理由--また、その戦争状態を克服するには強力な政治権力に頼るほかないと考えていた理由--は、「人間は、虚栄心(と不安)を理由として、他者に対する優越を絶えず求めようとする強欲な動物だ」という悲観的な人間観を彼が持っていたからであった。したがって、ホッブズの政治思想を克服するためには、人間の虚栄心をいかに抑えるかが重要なポイントとなるはずである。

松井氏も、虚栄心が市場における健全な競争を阻害するということには気づいている。すなわち、氏は第15回の記事(2011年1月24日)で、(宮沢賢治の童話『洞熊学校を卒業した三人』を引き合いに出しつつ)妬みと強欲による競争を戒めていたのである。

しかしながら問題は、そうした強欲や妬みが、果たして市場内部でのみ抑制することができるかどうか?--ということではないだろうか。というのも、市場におけるギブアンドテイクの損得勘定すなわち経済的な互恵関係だけで、はたして強欲や妬みを抑制することができるとは、私には思われないからである。

この点に関して、今回の連載記事で松井氏が述べていたのは、私が読む限りでは、健全な市場競争のためには妬みは禁物である、ということのみだったように思う(1月24日の第15回の連載記事を参照)。しかし、「妬みは禁物」というメッセージだけでは、また市場内部における経済的な互恵関係だけでは、ホッブズがあれほど警戒していた人間の虚栄心を抑えることは、おそらく不可能ではないかと私は思う。

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