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2011年8月29日 (月)

試験の採点で体験した新たな心境(2)

昨日の本欄で「穏やかな温かい心境で採点できるようになった」と書いたが、それは決して「甘い採点をする」ということではない。適切なレベル設定に基づいて客観的な採点基準を設けて試験を行なっている以上、厳正に採点しなければならないのは当然だ。したがって、所定の基準に達していない答案には、不可という評価を付けざるを得ない。

しかし、その「不可」という評価を与える場合、これまでは、強い徒労感を覚えてきた。「こちらはこれだけ一生懸命授業をしてきたのに…」という失望感を、かなり強く感じてきたのである。

ところが、今回から味わうようになった新たな心境の下では、ある答案を不合格にする場合にも、穏やかな平常心を保てるようになった。「はい、残念だけど不合格!また来年、出直しておいで!!」という感じで、非常にサッパリとした気持ちになることができたのである。

たしかに、以前の私のように、「これだけ一生懸命教えてあげたのに…」という思い、すなわち教師として行なってきた努力に学生も応えてほしい!!--という思いを強く抱くのは、人情として当然だと言えるかもしれない。

だが、教えを受けたうえで、それを身につけるためにどれだけ努力しようとするかどうかは、よく考えてみれば、学生の自由だとも言えるだろう。こちらの熱意をどれだけ受け止めようとするかどうかは、最終的には、学生次第なのだ。にもかかわらず、「どうしてこちらの思いに応えてくれないのか…」と腹立たしく思ってしまうのは、一種の執着だと言えるのではあるまいか。

そういう考えに立ち至ったとき、非常に爽やかな気持ちになることができた。これは決して、「学生の成績など、どうでもよい」という無関心では全くない。教師として必要な努力をしてきたという確信があるのであれば(実際にその確信は持っているのだが)、あれだけの労力を費やして、15週間にもわたって授業を行なってきた以上、受講生諸君には必要な知識・能力を是非とも身につけてほしい!!--と願う気持ちを抱くのは当然だろう。

そういう熱い思いを強く強く持っていたとしても、にもかかわらず、それをどれだけ真剣に受け止め、それに応えるべくどれだけ努力しようとするかは、最終的には学生の自由に任せるのである。これはいわば、執着から解き放たれた“放つ愛”とでも言えるだろうか。

また、そうした“放つ愛”の背後には、「もっとやる気を出して努力すれば、必ず合格レベルに達することができるはずだ」という信念、すなわち受講生諸君の潜在能力に対する期待・信頼がなければならない。そうであってこそ、「また来年、出直しておいで!!!」と力強く心の中で叫ぶことができるのである。

今回、必要な場合にはやむなく不可とするにあたって、非常に穏やかな平常心を保てたのは、以上のような心境に達することができたからだと思う。

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