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2012年6月28日 (木)

公務員講座(行政法)を受けて考えたこと(2)

前回も言及した村松岐夫『日本の行政』〈中公新書1179〉(中央公論新社、1994年)によると、日本の行政システムは「最大動員システム」と呼べるものであった。それは、目的を達成するために、行政が利用できる公務員数、予算、法的権限等(これらを総称してリソースと呼ぶ)を最大限に利用しようとするシステムを意味するが、その際の「目的」とは、言うまでもなく、近代化という国家目標だった。

私なりに言い換えれば、要するに「欧米に追いつけ、追い越せ」という国家目標である。戦前日本においては「富国強兵」だったし、戦後日本では「富国」あるいは「経済成長」であった(特に池田勇人内閣以降の日本)。

同書に話を戻すと、そうした行政システムにおいては、最大動員のためには組織成員個人の事情をかまわない。権限の割り振り方、作業場に関して、大体でよいから早く大量にやりやすい方式が大原則になる。分業的な規則はそれほど問題とされない。規則を犠牲にしても目的実現の最大化に関心が向けられたのである。

同書によると、これと対照的なのが規則による管理である。ここにおいて組織のトップは目的にではなく、規則に従う。トップの恣意性の危険性は少ないし、組織内規則は組織外の行政規則にリンクしており、司法的監視体制の下に置かれる。その代わり、責任のためにしばしば目標が達成されなくても仕方ないという覚悟がある。

それに対して、最大動員システムにおいては、個人責任を明らかにすることを犠牲にしてでも、目標の達成を第一と考えるのである。すなわち、最大動員とは、「規則による責任志向の管理」に対する「目標による能率志向の管理」なのであった。

同書の「まえがき」では、以上のように日本の行政システムの特徴を述べたあと、次のように述べている。

このシステムが大きな功績を挙げたことは否定できない。だから評価され、今後も維持されるべき多くの長所を持つ。しかしシステムとしては、しだいに有為の青年の自主性を引き出すよりもその時間を奪い、不透明をもたらしそれゆえ国民に不安を与え始めた。

こうした不透明性を解消し、行政手続の透明性を確保すべく制定されたのが、行政手続法に他ならなかった。この法律の制定は、「目標による能率志向の管理」から「規則による責任志向の管理」への移行という非常に大きな転換期に日本の行政システムが置かれていることを示すものなのである。

こうした大きな背景を知った上で、行政手続法の勉強を進めて行けば、公務員試験勉強への興味が増すのではないかと思う。公務員志望の学生諸君に、この『日本の行政』の一読を強くお勧めする次第である。

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2012年6月21日 (木)

公務員講座(行政法)を受けて考えたこと

皇學館大学・公務員試験対策講座の経済学は毎週火曜日だが、毎週木曜日は行政法である。今日もその行政法講座を志望学生たちと一緒に受けてきた。経済学とは違って、行政法は大学生時代に授業を受けて単位も取っているので、その学生時代に戻ったつもりで、懐かしい気分にも浸りつつ、毎週受講している。

さて、その学生時代に受けた行政法の授業では全く習わなかった項目が、今日の公務員講座では出てきた。それは、行政手続法のことである。

この行政手続法が制定されたのは平成5年(1993年)のことだったという。私が大学の学部を卒業したのは平成4年3月のことだったから、それを私が学部生時代に習わなかったのは当然である。

その行政手続法の条文の逐次解説を今日の講座で聞いている時に、思わず心の中で笑ってしまうことがあった(いや、今思い返すと、声を出して笑っていたかもしれない)。というのも、至極当たり前だと思われることが、何とも仰々しく明文化されていたからである。

その一例を挙げてみよう。たとえば同法第7条には、「行政庁は、申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければなら」ないーーと定められている。すなわち、たとえば飲食店の営業許可申請が行われた時には、行政庁は速やかに審査を開始せよーーとわざわざ規定しているわけである。

このような至極当たり前と思われることが同法にわざわざ謳ってあるということは、その制定前には、申請がすぐに審査されるとは限らなかったということだ。実際、講座担当の先生によると、その申請書類が役所の机の上に、封も切られないまま、一ヶ月以上も放ったらかしにされていることも決して珍しくなかったというのである。

そのような弊害を是正するため、至極当たり前と思われる公正な手続をわざわざ規定したのが、行政手続法という法律である。そのことだけを捉えてみれば、「それまでの日本の行政は一体何をしていたんだ…」と半ばバカらしくなってしまうかもしれない。

しかしながら、この行政手続法が新しく制定されたということの背後には、実は、日本の行政にまつわる非常に重大な事実が横たわっていた。そのことが分かるのは、日本における行政学の第一人者である村松岐夫氏の著書『日本の行政』(中公新書、1994年)を読むことによってである。(続く)

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2012年6月 5日 (火)

公務員試験のミクロ経済学について思ったこと

私の勤務する皇學館大学では、大原専門学校による公務員試験対策講座を放課後に受けることができるので、この五月より、私も公務員志望の学生と一緒に、その授業を受けている。その理由は、試験勉強に取り組む学生たちと苦楽を共にしようと考えたからである。

その学生たちの苦労がよくわかるのは、例えば、ミクロ経済学に出てくる計算問題を解けと言われた時である。そこでは、完全競争市場における消費者/生産者の効用最大化/利潤最大化条件を求めるために、偏微分を使って計算するーーといったような作業が求められるのだが、これが結構ややこしくて、手間がかかるのだ。

こうした計算問題を、公務員試験の一次試験(択一式)で出題するのは、一体何故なのだろう?ーー私が思うに、それはおそらく、型の決まった日常業務を忠実にこなす意欲と能力が受験者にあるかどうかを判定するためだと思う。

新しい問題発見・解決にむけた意欲と能力については、それとは別の試験、例えば論文試験とか面接での集団討論などで見定めるのだろう。その前に、まず一次試験では、定型的で、必ずしもエキサイティングではなく、それでいて結構複雑な日常業務を着実にこなせるかどうかーーその資質の有無を問うていると思われるのである。

他方、大学教員として私が養成すべきなのは、何か新しい問題を発見し、その原因を探り、その解決ができる能力であり、そして、そのための旺盛な意欲である。もしも私が現在のように公務員試験対策講座を受けていなかったとしたら、このことにのみ専念していたことだろう。

だとしたら、公務員試験の択一式で、完全競争市場に関わる出題がされているのを見て、「ナンセンス……!」と一蹴してしまっていたかもしれない。というのも、私の専門はハイエクの政治・経済思想であり、そのハイエクは、完全競争市場などという極めて非現実的な想定を行うことを厳しく批判していたからである。ハイエクに言わせれば、完全競争市場という概念は自由市場を擁護すべき根拠を却って掘り崩してしまうことになる。彼はそのことを、社会主義経済計算論争で雄弁に主張していたのである。

しかし、そんな専門的な知識を公務員志望の学生たちに頭ごなしに説いたとしても、あまり意味を為さないだろう。というのも、その学生たちは学者になろうとしているわけでは決してないからである。

もっとも、定型的な仕事だけしかこなせない、あるいはこなそうとしないとすれば、それはまた別の意味で問題だろう。だからこそ、他方で私のような大学教員の出番があるのだ。

しかし、その大学独自の仕事にだけ専念していたのでは、一次試験の勉強に苦労している学生たちの気持ちは、全く分かってやれなかったに違いない。そんなわけで、私は今、公務員志望の学生たちと一緒に、ミクロ経済学を受講している。

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