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2012年11月15日 (木)

アダム・スミスを改めて勉強中

前回の更新から、もう数ヶ月も経ってしまったが、その間、何をしていたかというと、春学期末の試験の採点と、論文執筆(およびそのための読書)である。

その論文執筆であるが、今年から来年の夏にかけて、実は5本もの論文を書く仕事をもらっている。なので、なかなか大変だが、前向きに取り組もうとしているところだ。

夏休み中に、9月が初稿提出期限だった論文が2本あったので、何とか、その期限に合わせて提出したが、2本とも修正の必要が出てきたので、最終稿の期限(11月末と1月中旬)に向けて、ただいま奮闘中である。

さて、その修正の必要に合わせて、今はアダム・スミスを勉強し直している。スミスの『国富論』と『道徳感情論』は、もう20年ほども前の大学院生時代に読んだことがあったが、その記憶にだけ頼っているわけにもいかなくなったので、いま大急ぎで勉強し直しているところだ。

いま読んでいるのは、田中秀夫『原点探訪 アダム・スミスの足跡』(法律文化社、2002年)である。まずは、その第10章3「わが国のスミス研究」を先回りして読んだのだが、それによると、スミスの思想はある一つの思想的伝統(たとえばカルヴィニズム神学など)に単純に還元し切ることはできない。その社会思想には、キリスト教の伝統のほか、ストア哲学、共和主義、自然法などが密接な関係を持っていることが、近年の研究を通して明らかになってきた。そして、いま求められているのは、こうした個々の成果を踏まえて、スミス研究を総合する大きな構想をもった試みなのだという(同書164頁)。

裏を返せば、これまで我が国でもスミス研究の長い積み重ねがあるにもかかわらず、まだそういう総合的な研究が出ていない(!)ということである。それほど、スミスの社会思想は奥が深いということなのだろう。

だとすれば、スミスの描いた市場概念を古代・中世・近代以降という三つの時代区分のうち、どの時代の現実の市場に近いものと考えるかは、なかなか難しい問題だということになりそうである。

スミス自身は紛れもなく近代の人間であるが、たとえば共和主義やストア哲学は、紛れもなく古典古代に由来する思想伝統である。また、スミスのうちに見られる経済的個人主義の要素は、おそらく中世ヨーロッパの遠隔地市場で活動していた遍歴商人に由来するものかもしれない。さらには、スミスの市場概念には近代的な要素も当然入っているものの、それは、絶対王政下の重商主義によって人為的に創出された国内市場(国民市場)と完全に重なるものではないだろう。

なかなかに難しい問題であるが、現在、その答えを求めて奮闘している次第である。

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