2010年9月21日 (火)

私が「ゲゲゲの女房」を見ていた理由

この4月から放送されてきたNHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」も今週がいよいよ最終週だが、私はこの「ゲゲゲの女房」をほとんど欠かさず見てきた。それまではNHKの連続テレビ小説を見る習慣があまりなかった私が、この「ゲゲゲの女房」にかんしては熱心に見てきたのには、理由がある。それは、私と水木しげるさんとの間に、ある接点を感じていたからである。

もちろん私は漫画家ではないし、それにそもそも生まれた時代も全然違う(1969年生の私に対して、水木しげるさんは1922年生)。妖怪に非常に詳しい水木さんに対し、私が知っているのは、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」によく出てきていた「ネコ娘」とか「こなひきじじい」とかなどにすぎない。

それでは、そんな私が水木さんとの間に感じていた「ある接点」とはいったい何だったのか?--それは、私も水木さんも「左腕を失くしていた」ということである。

私が左腕を失ったのは、2歳3ヶ月のことだったらしい。私自身は全く覚えていないのだが、両親が精肉業を営んでいて、その精肉店の機械に左腕を巻き込まれたのだそうである。肘から少し下のところだけを残して、あとは切断されてしまった(私の身障者手帳には「左前腕欠損」と書かれている)。私自身は物心ついた頃からすでにそういう状態だったので、当の本人は案外平気なものだったのだが、いま思えば、むしろ自分の子どもに大怪我を負わせてしまった両親の方が、はるかに辛かったに違いないと思う。

その私と同じように水木さんも左腕を失っていたことを、しかしながら、実は今年になるまで私は知らなかった。水木さんの場合は、戦争で失ったのだという。ひょんなことからそのことを知り、その水木さんの奥様が書かれたという自伝『ゲゲゲの女房』がドラマになると聞いて、「それなら一度見てみようか」と思ったのである。漫画家・水木しげる(本名:武良茂)を支えた妻・武良布枝の視点から描かれたこの人生ドラマに、私も強く惹きつけられたものであった(その勢いで、武良布枝さんの『ゲゲゲの女房』も買いこんで、一気に読んでしまったほどである)。

NHK出版から今年の7月に刊行された水木しげる著『ゲゲゲの人生 わが道を行く』を買って読もうと思ったのも、そのドラマを見て、水木さんの人生そのものに興味を持ったからであった。

この『ゲゲゲの人生』にも非常に興味深いことがたくさん書かれていたのだが、私が最も強く興味を惹かれたのは、水木さんが戦地で九死に一生を得た体験だった。それによると、水木さんは南方のニューブリテン島に派兵されていたが、その最前線のバイエンというところで、ある日、夜明け近くの時間の見張りとして、海から来るであろう敵を見張っていた。

ところがその見張りをしているときに、「朝日が昇るにつれて刻一刻と海が黄金色に輝きはじめ、息を飲むような美しい風景」がそこには広がっており、そんな風景の中で、なんと水木さんは、「青々と茂る木々に止まっている極彩色のオウムたちに双眼鏡でうっとり見とれていた」というのである。つまり水木さんは戦地の最前線にいたにもかかわらず、“戦う心境”ではなく、自然の美しい光景に感動できるような“平和な心境”にいたというわけである。

そのときに、海から来るとばかり思われていた敵が、その裏をかいて山側から攻めてきたために、兵舎にいた他の兵隊は全部やられてしまったが、水木さんだけはその攻撃を免れた。必死に逃げて、命からがら、陸軍中隊に戻ることができたという。

その後、爆撃を受けて左腕に重傷を負ったため、水木さんは左腕を肩の少し下の辺りから切断せざるを得なくなったのだが、そのおかげで後方の野戦病院に送られることになり、命は失わずに済むことになったのであった。

その水木さんは、後方の野戦病院に送られていたとき、現地のトライ族の人々と大変仲良しになったのだという。その後、終戦の知らせが届き、日本に帰ろうとしたとき、そのトライ族の人々から「日本に帰らず村に残れ。ここで一緒に住めばいいじゃないか」と言われたので、一時は本気で、島に残ろうかと思ったぐらいだったのだという。

私が非常に感動したのは、水木さんが、戦地にいてさえも、自然の美しい風景に目を向けたり、現地の人々と分け隔てなく仲良くなれるような、きわめて平和な心境を持っておられたことである。その水木さんは今も現役の漫画家として活躍されながら、飄々と生きておられる。

私もそんな水木さんを少しでも見習って、平和な心境で力まずに努力して、生きていきたいと思う。

【参考文献】
水木しげる『ゲゲゲの人生 わが道を行く』NHK出版、2010年7月25日発行

| | コメント (1)

2010年3月 8日 (月)

ただいま充電中

3月に入ってからは、こまごまとした大学の業務があった一方で、大学に行かずに在宅しているときには、花粉症の薬の副作用なのか、眠気とけだるさを覚えて横になっていることが多くなってしまった。

そのため、今はその薬の服用をやめ、気力と体力を回復させるべく、心身ともに充電しているところである。

先日本欄に書いた「アフルエンザ」のDVDの規格は、こちらからの問い合わせに対する回答によると、問題ないとのことだったので、今はその到着を待っている。受け取り次第、専門演習の準備を再開することにして、その間は、政治学関係の授業の準備を進めることにした。それを精力的に進められるよう、今はしっかりと心身の充電につとめたい。

| | コメント (0)

2010年1月17日 (日)

センター試験 終了

昨日・今日と、大学入試センター試験だった。私は試験事務班としての業務があったので、試験前日の1月15日から2泊3日の伊勢出張だった。

センター試験は全国一斉に行われるものであり、大学入試センターによって決められたマニュアルを厳格に守らないといけないので、かなり気を使う仕事だが、毎年、合間の時間には冗談を言い合うなどして、あえてリラックスするよう心掛けている。その方がかえって、仕事の能率が上がるからである。

長い3日間だったが、順調に終了したのでホッとしているところだ。今は帰りの電車だが、帰宅したらゆっくりと休みたい。

| | コメント (2)

2010年1月 4日 (月)

今日の仕事

今日は、午前中はゆっくりと休んでいたが、午後にはちょっとしたひと仕事をした。

それは、先月に担当した皇學館大学社会福祉学部平成21年度第7回月例文化講座の原稿を仕上げる仕事だった。講演叢書として今年4月に刊行するので、そのための原稿である。講座終了後、少しずつ書き進めていたのを、今日、書き上げることができた。研究論文ではなく、『アフルエンザ』という本の紹介が主な内容である。

ちなみに、アフルエンザというのは造語で、アフルエンス(affluence 豊かさ)とインフルエンザ(influenza 流行性感冒)を合わせた言葉である。詳しくは、ジョン・デ・グラーフ他『消費伝染病「アフルエンザ」:なぜそんなに「物」を買うのか』(日本教文社)に書かれている。もともとはアメリカPBSで放送されたドキュメンタリーが本になったものである。

その仕事を終えた後、今日の夜は家族3人で市内のお風呂屋さんに行き、くつろぎのひとときを過ごした。ひと仕事終えた後だったので、のんびりと寛ぐことができた。

今年はこれからも、休みだからといって何もせずに過ごすのではなく、小さなものでもよいから、何か必ず、仕事を進めていこうと思っている。その方が、かえって気持ちが楽になれることだろうと思う。

| | コメント (0)

2010年1月 3日 (日)

凧揚げで童心に帰ったお正月

昨日・今日と、身内が集まって、楽しく賑やかなお正月を過ごすことができた。6歳の娘は、いとこたちに久しぶりに会えて、おおはしゃぎである。

昨日は橿原神宮に初詣に行った後、市内のホテルで宴会をした。今日は父母の墓参りをしたあと、公園で凧揚げなどで遊んだ。

今日は風が強く凧揚げには絶好の天気だった。ところが、風が強すぎたのか、糸が弱かったのか、凧糸が途中で切れてしまうというハプニングもあったので驚いたが、やはり凧揚げは楽しかった。

それにしても、凧揚げをしているときの、あの解放感は不思議である。自分の身体は飛べなくても、凧が自分の分身となって、自分の代わりに空を飛んでいるような感じがするからだろうか。

こうして童心に帰ることができるひとときを、これからも大切にしたいと思う。

| | コメント (0)

2010年1月 1日 (金)

年賀状の名簿作り

読者の皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

さて、この新年最初の一日は、年賀状の名簿作りをすることにした。これまでは、新年の年賀状を書くときには、前年にいただいた年賀はがきを一枚一枚見ながら宛名書きをしていたのだが、今年は、次の年以降に備えて、Excelを使って名簿にまとめておくことにしたのである。

その入力を済ませた後には、「データ並べ替え」機能であいうえお順に並べ替えてみたところ、ずいぶん見やすくなったので、気分が良かった。

それが終わった後は、これもまたExcelを使って、『ハイエク政治学論集』の謹呈リスト作りを再開し、完成まであと少しのところまで来ることができた。

こうして名簿作りをしてみると、いかに多くの方々のお世話になっているかということが、改めてよく分かった。そのことへの感謝の気持ちを忘れずに、この一年を過ごしていきたいと思う。

| | コメント (0)

2009年12月30日 (水)

年末休暇でのひととき

12月28日から年末年始のオフに入ったが、27日の夜に夜行フェリーに乗って、妻の生まれ故郷の愛媛県西条市にやってきた。28日朝から31日午後まで滞在予定である。西条市に着いたばかり28日の午前中には、その数日前から書き始めていた年賀状をようやく書き終え、その日の午後には投函したが、何通かは思わぬ書き忘れがあるような気がしてきたので、31日に橿原市へと戻ってきた後、再確認しようと思っている。

今日30日の午前中にしていたのは、今月20日に刊行された『ハイエク全集Ⅱ-5政治学論集』(春秋社)の贈呈リスト作りである。2007年3月に出した拙著のときよりもかなり絞ったつもりなのだが、それでも、リストアップを進めているうちに、贈呈先が結局85名ほどにまで上ることになった。研究上のご指導を受けたり、研究上の交流を持たせていただいている方々が、それだけ沢山おられるということなので、改めて感謝の思いが湧き上がってきた次第である。

このような作業を進めるかたわら、ゆっくりとした休暇のひとときも過ごしている。昨日29日には家族3人で松山の道後温泉へ行き、道後温泉本館の「神の湯」につかってきた。

松山は司馬遼太郎原作のNHKドラマ「坂の上の雲」の舞台になっていることから、その主役(秋山兄弟、正岡子規、正岡律)を務める4人の俳優陣のサインや、記者会見やロケの様子を映した写真が、その温泉本館入口の壁いっぱいに掛けられていたのが印象的だった。

温泉につかっただけではなく、その界隈にある商店街でいろいろ買い物も楽しんだのだが、私にとって興味深かったのは、竹細工だった。いろいろなものが置いてあって、どれも興味深かったのだが、その中から私が買い求めたのは、耳かきと携帯用の靴ベラである。

耳かきについては、以前に本ブログでも「耳かきへの冒険」と題した文章を書いたことがある。ところが、実はあれから数か月ほどして、再び綿棒を使うようになっていた。しかし、今回自分のお気に入りの耳かきを買うことができたので、また昨夜からは、この耳かきを使い始めている。

靴ベラと言えば、巷でよく見かけるのはプラスチック製のものであるが、こうして竹製のものを手にしてみると、何とも言えない温もりが感じられてくる。この温もりはプラスチック製には到底望めないものだろうと思う。

091230_233622 【追記】そのときに買った耳かきと靴ベラの写真を掲載します(12/30 23:51)

| | コメント (0)

2009年12月24日 (木)

エレベーターではなく階段で

最近また、エレベーターではなくて、階段を使うようになった。私の研究室は研究棟の最上階の4階にあるのだが、その4階まで、エレベーターではなく階段を使って上るようになったのである。最近「また」と書いたのは、以前はそうしていたのを、この10月以降はやめて、エレベーターに頼ることが多くなっていたからである。

そもそも階段を使うようにしていたのは、もともとは健康のためだった。日頃の運動不足を少しでも解消しようと、階段を上っていたのである。ところが、この10月以降は、仕事の多さに少々気疲れしてしまい、その結果、エレベーターに乗るようになっていたのだった。

しかし最近また、階段を使うようになった。だがそうしようと改めて決意したのは、健康上の理由からだけではない。むしろ、主な理由はまた別のところにある。

もともと健康上の理由から階段を上り始めていたのだったが、毎日それを続けているうちに、いつのまにか、もう一つの理由が後から付け加わるようになっていた。それは、「一歩一歩、着実に…」と自分に言い聞かせるため--という理由である。

そもそも仕事というのは、一足飛びにはいかないものである。特に研究の場合は、一歩一歩着実に、歩みを進めていくしかないものだ。そのことを自分に言い聞かせるためにも、階段を使っていたのだった。「そういえば、そうだったな…」ということを、最近ふと思い出したのである。

最近それをふと思い出したのは、おそらく、大きな仕事が一段落したからである。ハイエク政治学論集が刊行されたし、年度内の授業もゴールが見えてきた。要するに、研究の面でも授業の面でも、次の段階に進むべき時が来たのである。

その次の段階へと新たに進むべきことを思った時、「初心に帰ろう」と決意した。そうすると自然に、「また階段を上ろう」という気になったのである。

また階段を使い始めると、なかなか気持ちがよかった。一歩一歩、段を上がっていくときに両脚にかかる負荷も、自分を強くしてくれているようで、かえって心地よい。こんな風に、研究も一歩一歩、着実に進めていけばよいのだ--そう自分に言い聞かせながら、今日も階段を一段一段上っていったのであった。

| | コメント (0)

2009年5月26日 (火)

多忙さのおかげで出来るようになったこと

授業等で多忙な日々だが、その多忙さのおかげで、前よりもテキパキ、クルクルと身軽に働けるようになった。余計なことを考えずに、無心で働けるようになったからである。

元々の私は沈思黙考型で、物事をじっくりと考えるのは得意中の得意である。しかし、それも度が過ぎると、何も行動できなくなってしまう。
しかし最近の私は、考え過ぎる癖が時には顔を出すこともあるが、以前よりもずいぶん行動派になってきた。授業で忙しくならなければ、こんなふうにはならなかっただろう。その意味で今の生活には感謝している。

| | コメント (0)

2009年3月 4日 (水)

取り急ぎ、近況報告

前回の更新以来、何をしていたかというと--

①卒業研究の口頭試問(2/16~17)&そのための準備

②学友会のリーダーズ研修会(2/18~19)

③ハイエクの資本主義観に関して、最近の日本政治の状況も踏まえつつ、5500字程度で書くことを依頼された小論の執筆--2/17締切。締切の1日前に提出できたが、そこに至るまでに案外時間がかかった。

④2/25には名張市民向けの講義--日本の福祉政治はなぜ行き詰っているのか?というテーマで、宮本太郎『福祉政治』有斐閣の内容紹介という形で講義した。

⑤そして現在は、実は明後日より、中国社会科学院日本研究所の社会文化研究室と皇學館大学社会福祉学部との学術交流に伴う訪中団の一員として、来週月曜日まで北京に行くので、その報告準備…などなどであった。

この訪中時の報告では「(東)アジア福祉モデル」について論じることが要請されているので、一から勉強しなおさなければならなかったが、おかげでよい勉強になった。

ちなみに、この報告レジュメ作成に当たっての参考文献は、以下のとおり:

【参考文献】(報告での引用順)
[新川・井戸・宮本・眞柄 2004]新川敏光・井戸正伸・宮本太郎・眞柄秀子(2004)『比較政治経済学』(有斐閣)

[White & Goodman 1998]Gordon White and Roger Goodman “Welfare Orientalism and the search for an East Asian welfare model”, in R. Goodman, G. White and Huck-ju Kwon (1998) The East Asian Welfare Model: Welfare Orientalism and the State (Routledge)

[澤田 2004]澤田ゆかり「報告――計画経済期のツケ払いと市場化への対応」大沢真理編著(2004)『講座・福祉国家のゆくえ第4巻 アジア諸国の福祉戦略』(ミネルヴァ書房)298-309頁

[宮本 2003]宮本太郎「福祉レジーム論の展開と課題――エスピン・アンデルセンを越えて?――」埋橋孝文編著(2003)『講座・福祉国家のゆくえ第2巻 比較のなかの福祉国家』(ミネルヴァ書房)第1章

[宮本 2008]宮本太郎(2008)『福祉政治――日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣)

報告時間は20分間に過ぎないのだが、密度を濃くするためには、やはり勉強しておかねばならないと思い、ありうる質問にも備えるため、上記以外の文献を、現在も読書中である。

以上の5つの仕事に追われていたため、ハイエク監訳は、またもや、しばらく手つかず状態となってしまったが、前回ここに書いた「出来たことを数えて前進する」という方針は堅持している。その代りに、他の仕事はこなせているからだ。

とはいえ、疲れがたまったときもあり、そのときには休養するしかなかったが、その休養も、「何もできなかった1日だった」と以前までは考えていたのを改めて、「今日は1日ゆっくり休養できたので、明日からはまた元気に仕事ができる」と考えるようにしている。

そんなわけで、休養も挟みつつ、他の仕事は無事にこなせてきたのだが、監訳はずっとずっと以前から抱えている仕事なので、中国から帰ってきたら、またその仕事に立ち戻らなければと思っている。

以上、取り急ぎ、近況報告まで…。

| | コメント (0)