2009年5月26日 (火)

多忙さのおかげで出来るようになったこと

授業等で多忙な日々だが、その多忙さのおかげで、前よりもテキパキ、クルクルと身軽に働けるようになった。余計なことを考えずに、無心で働けるようになったからである。

元々の私は沈思黙考型で、物事をじっくりと考えるのは得意中の得意である。しかし、それも度が過ぎると、何も行動できなくなってしまう。
しかし最近の私は、考え過ぎる癖が時には顔を出すこともあるが、以前よりもずいぶん行動派になってきた。授業で忙しくならなければ、こんなふうにはならなかっただろう。その意味で今の生活には感謝している。

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2009年3月 4日 (水)

取り急ぎ、近況報告

前回の更新以来、何をしていたかというと--

①卒業研究の口頭試問(2/16~17)&そのための準備

②学友会のリーダーズ研修会(2/18~19)

③ハイエクの資本主義観に関して、最近の日本政治の状況も踏まえつつ、5500字程度で書くことを依頼された小論の執筆--2/17締切。締切の1日前に提出できたが、そこに至るまでに案外時間がかかった。

④2/25には名張市民向けの講義--日本の福祉政治はなぜ行き詰っているのか?というテーマで、宮本太郎『福祉政治』有斐閣の内容紹介という形で講義した。

⑤そして現在は、実は明後日より、中国社会科学院日本研究所の社会文化研究室と皇學館大学社会福祉学部との学術交流に伴う訪中団の一員として、来週月曜日まで北京に行くので、その報告準備…などなどであった。

この訪中時の報告では「(東)アジア福祉モデル」について論じることが要請されているので、一から勉強しなおさなければならなかったが、おかげでよい勉強になった。

ちなみに、この報告レジュメ作成に当たっての参考文献は、以下のとおり:

【参考文献】(報告での引用順)
[新川・井戸・宮本・眞柄 2004]新川敏光・井戸正伸・宮本太郎・眞柄秀子(2004)『比較政治経済学』(有斐閣)

[White & Goodman 1998]Gordon White and Roger Goodman “Welfare Orientalism and the search for an East Asian welfare model”, in R. Goodman, G. White and Huck-ju Kwon (1998) The East Asian Welfare Model: Welfare Orientalism and the State (Routledge)

[澤田 2004]澤田ゆかり「報告――計画経済期のツケ払いと市場化への対応」大沢真理編著(2004)『講座・福祉国家のゆくえ第4巻 アジア諸国の福祉戦略』(ミネルヴァ書房)298-309頁

[宮本 2003]宮本太郎「福祉レジーム論の展開と課題――エスピン・アンデルセンを越えて?――」埋橋孝文編著(2003)『講座・福祉国家のゆくえ第2巻 比較のなかの福祉国家』(ミネルヴァ書房)第1章

[宮本 2008]宮本太郎(2008)『福祉政治――日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣)

報告時間は20分間に過ぎないのだが、密度を濃くするためには、やはり勉強しておかねばならないと思い、ありうる質問にも備えるため、上記以外の文献を、現在も読書中である。

以上の5つの仕事に追われていたため、ハイエク監訳は、またもや、しばらく手つかず状態となってしまったが、前回ここに書いた「出来たことを数えて前進する」という方針は堅持している。その代りに、他の仕事はこなせているからだ。

とはいえ、疲れがたまったときもあり、そのときには休養するしかなかったが、その休養も、「何もできなかった1日だった」と以前までは考えていたのを改めて、「今日は1日ゆっくり休養できたので、明日からはまた元気に仕事ができる」と考えるようにしている。

そんなわけで、休養も挟みつつ、他の仕事は無事にこなせてきたのだが、監訳はずっとずっと以前から抱えている仕事なので、中国から帰ってきたら、またその仕事に立ち戻らなければと思っている。

以上、取り急ぎ、近況報告まで…。

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2009年2月13日 (金)

出来たことを数えて前進する

やらなければいけない色々な仕事がたくさん重なってくると、「これもまだ出来ていない、あれもまだ出来ていない、それもまだ…」と考えてゲンナリすることがある。実際、以前までの私には、そんなことが、これまで度々あった。

しかし最近の私はそれをやめて、逆に、まずは「出来たことを数える」ことにした。具体的に言うと、日記に「今日出来たこと」を書いていくのである。そうすると、次の日をとても明るい気分で迎えることができるようになってきた。そんな毎日が、最近ずっと続いている。

それなら何故、以前の私はそれをしなかったのかというと、「まだ出来ていないことがたくさんあるのに、出来たことを数えて安心すると、能天気になってしまって、前に進む意欲が薄れてしまうのではないか」と心配していたからであった。言い換えれば、「まだ出来ていない」という一種の“危機感”がないと、怠けてしまうのではないか、ということである。

ところが、実際にまず「出来たこと」を日記に書くことを始めてみると、「前進を妨げるような“思い上がり”につながるのではないか…」という心配は全く無用だった。そうではなく、まったく逆に、むしろ「まだ出来ていないこと」も、「これまでに出来てきたこと」と同じように、「きっと出来ていくに違いない」という確信が生まれ、かえって前進する意欲がこんこんと湧いてくるのである。

たしかに、「これからしなければならないこと」は、「これまで出来てきたこと」とは違い、何かしら新しいことなので、今後為すべきことが、以前と完全に同じやり方で実現できるわけではない。新しいことへのチャレンジは、人生を生きていく以上、つねにつきまとう。

しかし、だからといって「まだ出来ていないこと」をあまりに心に強く印象づけてしまうと、「出来ていない」「まだ出来ていない…」という印象ばかりが心を占領してしまい、そうなると、「以前に達成できたはずのこと」までもが、なぜか心の外に追い出されてしまうのである。

たとえて言うなら、「すでに出来たこと」を白とし、「まだ出来ていないこと」を黒とすると、「まだ出来ていないこと」(=黒)をあまりに心に強く印象づけてしまうと、いつのまにか、その黒色で心が全部占められてしまい、同時にあるはずの心の白色=「すでに出来たこと」までもが、意識の外へ消えていってしまう。要するに心が「暗く」なってしまうのである。

このたとえで言うなら、心のなかには「黒」と「白」が同時に併存していてもよさそうなものである。にもかかわらず、なぜか心は「黒」一色に染められてしまう。「黒」と「白」という相反するものを同時に心で認めることは、心理的に言って、非常に難しい。そこで、いつのまにか、黒一色で心を染め上げてしまうのである。

ところが、全く逆に、心のなかの「白」=「すでに出来たこと」をまず認めることにすると、不思議なことに、その「白色」が、今度は、それまで「黒色」と感じられた領域の方にも染み出していって、「まだ出来ていない」とばかり思っていた思い=黒色だったはずのものが、いつのまにか「いずれ出来ていくこと」という、いわば「ほんのりとした白色」に変わってしまい、心は白色ばかりになってしまうのである。

より正確に言うと、その白色は、完全な白色(=すでに出来たこと)と、ほんのりとした白色(=これから出来ていくこと)とがあって、その二つの白色がグラデーションになっている感じである。

こう言うと何か非常に複雑な感じがするが、とどのつまりは、要するに、心が「明るく」なるのである。さっきとは逆に、心が今度は白一色に染め上がることになる。白と同時に黒も存在すると認めることが、心理的には、なぜか気持ち悪い。心理的には、むしろ、どうしても、どちらか一方にしたくなるのである。だとするならば、同じ一色に染めるのなら、白い方に、明るい方に染め上げた方が、元気が出るというものではないだろうか。

そんなわけで、最近の私は、「出来たことを数えて前進する」ようになった。心の健康に非常に効果的なので、やってみる価値は大いにあると思う。

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2009年2月 8日 (日)

“不惑”の年を迎えて

昨日の2月7日、私は40歳の誕生日を迎えた。いわゆる“不惑”の年である。

言うまでもなく、この“不惑”という呼称の由来は、孔子の『論語』である。孔子が七十を越えたころ、自分の生涯を振り返って述べたものであり、あまりにも有名な文章だが、その書き下し文をここにも引用しておこう。なお(  )内は読みがなであるが、読みにくいと思われる読者もいるかもしれないと私が判断した箇所にのみ付けたものである:

子(し)曰(いわ)く、吾(われ)、十有五(じゅうゆうご)にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳(みみ)順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず〈為政篇四〉。

有名な中国古典研究者の加地伸行氏が、その著『論語 ビギナーズクラシックス』(角川文庫)で孔子の生涯を平易に解説してくれているが--上記の書き下し文もこの本の25-26頁に掲載されているのを引用したものであり、そこには加地氏による現代日本語訳も書かれている--それによると、孔子の三十代、四十代は実は不遇の時代だったのだという。しかし、その間に実力を蓄えていき、「四十にして惑わず」と言い切るだけの自信を持つに至ったというのである。

翻って、私自身の人生を振り返ってみると、私も十五歳前後に「学に志した」と言えるかもしれない。中学2年生の1学期までの私は、実はあまり成績のよくない生徒だった。ところがその2学期以降、高校受験が近づいてくるにあたって、「自分は勉強で身を立てていこう!」と一大決心し、はじめて本気で勉強に励むようになったからである。

次に「三十にして立つ」を自分の歩みになぞらえてみるならば、私が大学の専任講師としての職を得たのが平成10年の4月、29歳の時だったので、これが私の「三十にして立つ」に当たると言えるかもしれない。爾来(じらい)、30代としての10年間を過ごした後、今こうして40歳を迎えたということになる。

とはいえ、孔子が「四十にして惑わず」と言い切った時に持っていたであろうような自信に、今の私が充ち溢れているかどうかは、正直なところ、自分ではよく分からない。そもそも、孔子がそう言ったとき、そこにどのような意味を込めていたのか、その本当の意味を今の私が分かっているかどうかも、はなはだ怪しいものである。というのも、その有名な文章が『論語』中の一節だということは常識として知ってはいたものの、それがその中の〈為政篇〉の一節だったということは、恥ずかしながら、全く知らなかったからである。

『論語』という書物は、実は佐々木毅『政治学の名著30』(ちくま新書)のなかでも取り上げられている1冊である。すなわち、それはまさに“政治”について論じた書物でもあったのである。もちろんそこで説かれていたのは、一言で言ってしまえば“徳治”の重要性であるが、この孔子の思想について、今の私は、まだ全くといっていいほど何も知らないのである。

そんな私でさえ、四十を迎えるにあたり、この孔子の論語の一節を思い浮かべずにはいられなかったのであるから、それだけ論語の思想は日本にも多大な影響を及ぼしているということなのだろう。これを機会に、日本人の一人として、時々は孔子の思想に思いを馳せてみるのもよいかもしれないと思った次第である。

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2008年10月10日 (金)

タイトル改題のお知らせ & 近況報告

本ブログの名前を「山中優の教育・研究随想録」と改めることにした。「日記」と称してきたが、更新の頻度からすると、もうずいぶん以前から、とても「日記」と呼べる代物ではなくなっていたからである。

「随想」という言葉は、広辞苑によると、「思いつくまま。おりにふれて感じたこと。また、それを書きとめた文章」とあり、用語例として「随想録」が挙げられている。

本ブログは、もうずいぶん以前から、実態としては「日記」ではなくなっていた。改題することで、今日からは名実ともに、「随想録」として、本ブログを再出発させたいと思う。

そのようなわけで、更新の頻度は不規則になりますが、読者の皆様におかれましては、どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

なお、改題ついでに近況をひとつ報告しておくと、皇學館大学社会福祉学部の開設10周年を記念した国際シンポジウムが、先週の10/3-4に無事開催され、初日には141名、2日目には109名の参加者を得ることができた。おそらく、成功だったと思う。

そのプログラムについては、こちらのPDFファイル「leaflet_front.pdf」「leaflet_back.pdf」 をご覧いただきたいのだが、政治学者の一人としては、やはり、新川敏光教授(京都大学)のご講演が最も興味深いものだった。今回のシンポジウムでは、私が企画運営の責任者であり、当日には司会役を務めたが、今回の経験は、多くの点で、大変貴重なものとなった。この経験がこれからの私の研究生活にどのような意義を持つことになるのかについては、またおいおい、本ブログに書きとめていきたいと思う。

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